
NASCARレージングドライバー
石井浩一郎氏
◆業種NASCARレーシングドライバー
◆子供のころになりたかったものは?
保育園の頃は警察官。
小学校低学年=新幹線・電車の運転手
小学校5年生の時、姉がテレビ中継で観ていたオートバイの「ロードレース世界選手権」をたまたま観て「コレだ!」とピンと来て将来の職業を決めた。
当時は、50ccバイク(原動機付自転車)のヘルメット着用が義務づけられた直後で、姉が買ったばかりの「Araiヘルメット」が物凄くかっこよく映り、憧れていた。
ロードレースのテレビ中継を見たとき、「Araiヘルメット+2輪レーサー=カッコイイ職業」の図式が一瞬で完成した。
そのときの情景は、感動と共に映像としてしっかり脳裏に焼きついている。
その映像は、今いつでも思い出すことが出来る。
それがあるからこそ、この夢を目標としてしっかり捉え見失うことなくやって来られたのだと思う。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
部屋の換気!
どんなに寒くても毎朝10秒ずつ窓を開けて換気する。
そうするとなぜか自然と部屋が暖かくなってくる。
又、掃除が好きで、部屋はいつも綺麗だ。
拭いたり、掃いたり苦にならないので「一家に一人は欲しい人」とよく言われる。
更に、いらない物をきっぱり捨てることが出来る。
クローゼットに入らなくなると捨ててしまうので、急に寒くなると着る物が無くなりあせることもあるが、基本的に使わないものは全て捨てる主義である。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
スポンサーである「Araiヘルメット」の担当者「上 幸一」氏
2004年 自分がマネージャーにお金を持ちに逃げされる事件がおこり人間不信で、レースを辞めようとおもい、それを伝えようと訪問したとき。
「レースは辛くてやめたい。」と本音を言ったとき「石井君がレースをやる以上はスポンサーを続けるよ。」といってくれた。
この言葉を聞いた時「ハッ」とした。
レーサーが走れなくなったら、全ての人に見放されても当然かもしれないのに、この人によって物凄く救われた気になった。
レースを一生涯続けよう!と決意した日でもある。
ところで、よく「応援しているよ!」と声をかけてくれる割に「いつまで続けるの?」と聞いてくる人がいる。
なんだか自分に限界を引いている人が日本人には多いように感じる。
アメリカは52歳の現役レーサーが普通にいる国だ。
「いつまで続けるの?」という質問には「生涯現役です!」と質問を跳ね除ける
ように答えている。
言葉は言霊!大切に使いたい。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
1、 「やり続ければ叶う!」
実践して実感している。
2、「戻れるんだから、レースに戻れよ!」
これは、自分がある脊髄の病気に罹りそれをあるアメリカのサプリメントで回復させる事が出来た後、治っているにも関わらずレースのスポンサー活動をせずにほかの見当違いなことをしていた時に言われた一言
「身体が良くなり、戻れるんだから、レースに戻れよ!」
「お前は、今後どうしたいのだ!?」
そのとき自分は「レースがしたい!」と言う事が出来た。
それを思い出させてくれた言葉だ。
この言葉が無かったら今の自分はない。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
2000年、トムクルーズ主演、映画「デイズ・オブ・サンダー」を観て「コレだ!」と思った時。
2000年8月に2輪のレースで、「頭から地面に着地、ヘルメットが割れるほどの事故。
更に、自分のバイクに自分がひかれる」という大事故にあった。
人生で二度目の大事故である。
この約一年目前に、一般乗用車に乗っているとき、前後の車に挟まれサンドイッチ状態になったことがある。
太ももにハンドルの後が生々しく残ったことを覚えている。
その時は、右手、右足に少し麻痺がでて、右手だけはその後完全に麻痺した。
しかし今回は、一度死んで生還するという奇跡的な体験をした。
もの凄く悔しい気持ちで、「死んでしまった」というあの世との境で(多分、幽体離脱中)20人くらいいたピットクルーに「ごめんなさい、僕死んじゃいました、ごめんなさい」と繰り返し謝っていった。
そして、家族に姪っ子2人、姉2人、母親に最後、父親の番の時に閃光とともに自分の身体にもどってきた。
戻った体は全く動かない。
身体に戻った感じは「この身体使えない...」だ。
しかし、耐久レースだったので自分だけ走らないという選択はなかった。
予選、決勝と走った!
そのときの自分の筋肉の常態は(筋肉座滅)、医者の表現を借りると「鉄の棒に豆腐を巻きつけたものを床に落とした状態」とのことだった。
もちろん歩けもしないし、バイクに自分でまたがる事も出来ない。
痛み止めを打ち、板氷を直にあてて半分凍傷になるくらい冷やして走行準備し、2人かかりでバイクに乗せてもらい走行した。
あまりの激痛にストレート走行中に気絶していた。
しかし、そんな中でも、自分のペースメーカーを探しペースを維持してベストタイムで走行した。
レースは気力でやり遂げたが、右手足に麻痺がのこりさらに強度のうつ状態になった。
その後、どのくらいひどかったかと言うと、「うつ」の友人が自分の姿をみて一瞬にして「うつ」が治ってしまった程だ。
人は、自分より辛い人、不幸な人、悲惨な人をみると立ち直る傾向にあるらしい。
そんな状況の中、好きな俳優「トムクルーズ」の映画「トップガン」などを観て日々を過ごしていた。
その頃、出会ったのが「テイズ・オブ・サンダー」だ。
この映画は、NASCARの大事故で復帰不可能とされながら、リハビリによって復帰する映画だ。
「なんだ!リハビリすれば戻れるじゃん!」
この映画は、「復帰の仕方」ビデオのようなものであった。
それまでは、リハビリする気力も薄れていたが、この映画を見た後からは希望に満ち、リハビリを物凄くがんばることが出来た。
2001年には、4輪A級ライセンスを北海道へ取りに行ける程に回復した。
しかし、まだ体は完全ではなかった。
オイルメーカーで企画開発営業の仕事を2、3年続けてから、2003年にアジアンラリーに参加した。
バンコクからマレーシア約2400kmを6日間で走るラリーに参加。
ドライバーとナビゲーターの2人で走る競技だが、今まで2人りともラリー経験が全くなかったため、周りからは「お前らなめんなよ」と忠告された。
しかし、元来の負けず嫌いな性格が甲を奏し、一日目を無事に完走しエントラントの人達に走れるというアピールは出来た!しかし、二日目以降は悪条件になった。
1日目の川渡りでマシンがコースミスで水没してしまいその水没でコンピューターがショートして壊れて、正確な距離を測れなくなったからだ。
ナビゲーターの役割を担当した自分は距離を目視することが出来る。
しかもかなり正確に!カーナビよりも正確だと思う。
更に、ラリーの途中、矢印などにいたずらがされていても、瞬時にみやぶり方向を指示することが出来る。
時速150kmで走っているので少しでも迷ったらアウトだ。
そのクラスでは、20番以内に入れば上位といわれているこのレースで11位にランクインした。
そして最終日、ジャングルを無事抜けゴールに!!
クラス初参戦、初優勝という快挙をとげる。
前日まで、2位との差はほとんどなかったのだが、ミスコースなくゴールへ!
この奇跡的な記録を残し、日本に帰って2004年タレント性の強いレーシングチームバンド名をかりた「HOT ROD CRUE Racing Team」を発足した。
有名なプロボクサーにボティコンデショナーをお願いし、有名バンド(JUDY AND MARYのベーシースト恩田快人)を監督にして参戦した。
更に、信頼していた知人をマネージャーにし、自分はレースに専念できる状態を作った。
ところが、レース開幕直前に「なにかがおかしいと感じた。」
よくよく調べてみると、信頼していたマネージャーがお金を使い込んでいたことがわかった。
しかし、周りの人は自分が使い込んだのではないかと疑る人もいた。
自分のチームなのに、なんで使い込みなんてしなきゃならないんだ!する訳無いだろう!
後々になって、自分を疑った人々は、その信頼していたマネージャーから同じようなことをされたことが分かり、その後、何年かして関係は戻った。
新手の詐欺師だったのかも知れないが、暫くは人間不信に陥ってしまった。
しかし、自分は殆ど走っていないから少し微妙だが、その年エントリーした、スーパー耐久レースの開幕戦を初参戦、初優勝を飾る!
体がボロボロでも、精神がズタズタでもレースとなるときっちり仕事をするように出来ているようだ。
そうはいっても、人間関係においては負の連鎖がこの後も続いた。
使い込みの一件があったお陰で、借金を背負うことになってしまったため、今まで以上にお金を稼がなくてはならなくなった。
そのため、親友から、「なんとなくあの人とは付き合わないほうが良い」と言われた人と仕事をすることにしてしまったのだ。
結局、人脈を利用された挙句、ていよく雇われている形になってしまった。
当初の話は共同経営だったのに、社員として扱われるので自分の時間をもつことも出来なかった。
自分の時間が使えるのは、病院に通院しているときぐらいであった。
結局2000年の事故以来、右足の裏に鉄板が入ったような状態が続いていて通院を余儀なくされていたのだ。
氣功などにも通ってみたが良くならない。
2006年4月から半年間程、大学病院に通院し検査したが原因はわからない。
2006年の年末より入院検査となった。
その入院のお陰で、社員扱いした人とも縁をきる事ができた。
自分の時間をより欲しいと思っていた、しかし、違う意味で時間はなくなっていった。
本来は、環境を改善するべく治療に当たっていたのだが人間関係もどうにかしようと思い入院したということもあるが、使い物にならない人間に用はない」というような人だったからだ。
しかし、病状は悪化するばかりだった。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
病状が悪化する中、2007年2月17日、カテーテル検査をした。
検査当日の夜、担当医から呼び出された。
「あー治療方法が見つかったのだ!」そう思って担当医のところに駆けつけた。
ところが「この大学病院は日本では最先端の技術と設備があります。しかし、石井さんの病気は、日本の医療ではどうすることも出来ません。今のままでは首から下が麻痺してしまいます。」と宣告された。
治療方法がないのなら退院するしかない。
自殺を決意して、翌日退院した。
親友に、「迎えに来てくれ」とたのんで帰宅を付き添ってもらったが、隙があると線路に落ちそうになっていたという。
それから2、3日のことは覚えていない。
皆が心配して連絡をくれる。
周囲の人の暖かい心で、自殺を思い止まることが出来た。
それから何日かして、ある友人からアメリカのサプリメントの情報を聞き、
「直感でコレを飲んでみよう」と思った。
すると奇跡的に回復していった。
2ヶ月間でめまぐるしい回復を見せて行った。
2007年8月のアジアンラリーで復帰し100%完走した。
ところが、残り2日を迎えた日の整備中、ボルトが右目めがけて飛んできた。
目の縁を3針縫う怪我をしてしまう。
主催者からもリタイア先刻されるが、オーナーさんがなんとしても完走したいという想いがあったので意識が飛ぶ中ナビゲーターをした。
その甲斐があり、レースを無事完走し記念メダルを頂いた。
帰国し病院に検査に行くと硝子体剥離(しょうたいはくり)と宣告された。
このけがで更に目標を見失い、健康食品のネットワークビジネスで得た収入でレースチームを作ろうと思ってしまった。
しかし、本当の目標は「自分がレースに参加すること!」だ。
それに気付かせてくれたのが、仲良しの社長だった。
その後、2008年11月、風水師の薦めで引越し、心機一転NASCAR参戦するために集中した。
それからは、会う人が変わってきて順調に参戦の計画は進んでいる。
アメリカで来年NASCARに参戦する費用は、3000万円が必要だ。
スポンサー探しも順調に動き出したが、まだまだ募集中です。
◆夢は?
子供に夢を叶えさせる仕組み作りをする!
スポーツ全般
例えば先日、プロ野球を目指している少年を東京ドームのブルペンに招待した。
プロ野球選手から直接「あきらめないでがんばればプロになれるよ」言われ有頂天!
子供たちは、一瞬にしてその気になっていた。
夢は、なりたい本人に会わせれば絶対叶うと思っている。
又、それが大人の役目だと考えているのだ。
自分には人脈がある。
人の繋がりがあれば、人と人を繋げることが出来る。
そういう意味でも人の役に立てると思っている。
NASCR Driver 石井浩一郎 公式サイト
「ナスカーに挑戦する日本人」
http://dreamcatch.me/
NASCAR Driver 石井浩一郎公式ファンクラブ
http://dreamcatch.clubood.jp




ヒーローの心得をいつでも携帯できる


成功への近道 知って得する勝者の声
メルマガ限定の特別情報をお届けします!
無料メルマガ登録はこちら
コメント(0)
コメントする