
株式会社プリントモ
代表取締役
宋基東氏
◆業種
Total Business Printing
ブランド名刺『ミスタ-名刺』、印刷・デザイン事業・WEB事業
◆子供のころになりたかっものは?
日本の相撲に類似した韓国の伝統的格闘技『シルム』の横綱になりたかった。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
朝起きた時と夜寝る前に、2歳の息子の頭に手を当て「自分より大きく、たくましく育てて下さい」と子供の為に祈っている。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
人物では、一番上の兄。
自分が小学5年生の時に父親が亡くなった。
長男の兄は家計を助ける為、中学卒業後は進学せず、1人でソウルに働きに出た。
毎月仕送りをしてくれた。
兄は兄自身の事より家族の事を考え、引っ張ってくれていた。
どんなに辛くても愚痴一つ言わなかった。
だから自分が辛い時は、いつもその兄の事を考えた。
自分が自分ひとりだけでも精一杯なのに...
兄は家族全員のため、どんなに大変でも頑張っている。
そう思うと頑張れた。
手に職を付けるために一生懸命やっていた。
辛くても諦めず責任感が強くて、凄く腰の低い謙虚な人だと思う。
自分が日本で会社を設立する時も「日本で生きて行くのだから、どんな時でも、ちゃんと挨拶をする事」など色々と人間としての基本的な事を教えてくれた。
兄が父親のような存在になっていた。そんな兄の背中を見て育った。
好きな本として『三國志』韓国では、この本を3回読まないと男として認められない!と言われる程だ。
ハングル版は10冊ある。
以前に1回読み終わり、軍隊にいた時にも読んだ。
自分はまだ2回しか読んでいないので...まだ男ではない。(笑)
今度は日本語で読みたいと思っている。
◆座右の銘
諦めない情熱が人生を価値あるものにする。
◆ 自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
言葉ではないが『日本』
学校や軍隊、親の世代から韓国と日本の歴史の教育を受けた。
特に軍隊では歴史も徹底的に学ばされた。
日本との歴史・関係等教育され、その時は自分もそうだと思い込んでいた。
自分の目で見てみたいと思い、日本に一人旅をした。
旅行をして感じた。日本という国は本当は素晴らしい国だ!
韓国の人は今の日本を知らず、悪いイメージを持っている人が大勢いるとその当時思った。
だから、日本を知る事が出来るように、韓国と日本の懸け橋となり、少しでも両国関係が変えられたらと思った。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
大学3年生の時、日本を一人旅した事が大きな転機だった。
小学5年生の時に父親が亡くなり、6年生になった時に、兄がいたソウルに家族で引越しをした。
大学2年生になってすぐ、兵役をした。兵役が終わり、大学に復学をした。
フラワーショップでアルバイトをした。
薔薇100本をコンセプトにフラワーアレンジメントをして、ソウルの若者が集まる場所に出したらあっという間に広がり、大成功をした。
この事が認められショップを任された。
大学3年生の時に、このバイトで貯めたお金で『青春18切符』を買って日本が本当はどういう国なのか...実際に行って、自分の目で確かめたいと思った。
釜山からフェリーに乗り、下関に着いた。
下関に着いたものの、道も分からない。
標識や地図に書いてある字も全く読めない。
途方に暮れ、困り果てていた時、一人のおばあちゃんが手をぐっと握って案内をしてくれた。
言葉も分からず、通じなかったが、「何処に行くの?連れて行ってあげますよ」と言葉が伝わってくるようだった。
その時の手の温もりは今でも忘れられない。
ひらがなもカタカナも読めない、書けない、外国人である自分に対する日本人の優しさが伝わった。
7日間、旅しながら見たり、食べたり、感じたり、色々と経験して今まで受けてきた教育に疑問を感じた。
何か違うんじゃないか...
韓国に帰る船から見た下関の夜景は、綺麗だった。
その時、「韓国と日本の懸け橋になりたい!」 日本でビジネスをしよう!と決意した。
韓国に帰国してから、日本に留学する手続きと準備を始めた。
大学を卒業してすぐ日本に来た。
当時原宿の竹下通りにあるMCA日本語学校に通った。
ひらがなからのスタート。
自分で何とかやると決めて日本に来たので、仕送りは一切もらわなかった。
東京の高円寺にある読売新聞社に住み込みをして、4年間新聞配達をした。
朝2時30分に起きて朝刊を230軒ほど配り、学校に行き、夕方3時から夕刊を配った。
その後に日本語の勉強をした。
日本に来て初めて「勉強って、こんなに楽しいものなのか!」と思えた。
夢に向かって頑張った。この時期は今でも自分の財産だと思っている。
今同じ事をやれと言われたらどうでしょう(笑)。
毎日、新聞配達をして、学費と生活費を稼いだ。
虫歯になっても、歯医者にかけるお金がなかった。
我慢したが限界になり、日本語もろくに話せないまま歯科医院に行った。
保険もお金もない。
何とか診てもらえないかと受付に頼んだ。
「決まりだから」と断られた。がその時、ドクターが気配に気付き、奥から出て来て、治療をして下さった。
歯科医院は新聞社の前にあった。
自分の配達する姿や生活をドクターは前からずっと見ていたようだった。
ドクターは、2ヶ月間の治療費を無料にして下さった。
本当にありがたかった。
語学学校を卒業後、人と人を繋げられると考え、JTBトラベルガレッジで2年間観光の勉強をした。
その後、HISに就職し、海外航空券販売を担当していた。
2006年頃に、韓国の兄から「今韓国で流行っているんだよと、一枚の名刺が送られてきた。
日本で今どうなの?と。その名刺は両面コ-ティングされていて両面フルカラ-だった。
とても綺麗なものだった。
これは東京ならどの位で売られているのか興味を持ち、東京都内で名刺を扱っている会社・店舗などをほとんど回ったりして市場を調べた。
日本で売られている名刺は高い上に品質が良くない、これはヤバイ!!!と、鳥肌が立った。
すぐに韓国へ電話し、詳しく調査作業に入った。
日本にはまだ名刺のブランドがないんだ。これはチャンスだと思った。
働いていた会社をすぐに辞めた。
2008年4月、兄弟だと思っていたIT技術と企画能力がある申(シン-現在取締役副社長)と会社を設立した。
給料を社員さんに毎月払えない時期もあった。
それでも社員さんは、文句も言わず、何ヵ月に1回の給料が出た時「ありがとうございます!」と言ってくれた。
皆で力を合わせてやってここまでくる事ができた。PRINTOMOの絆は凄い。
社長として、皆が頑張って個人個人が成功してほしい。できるようにサポートしたい、皆に還元したいと思っている。
現在の税理士の先生は、資金繰りで大変だった時期数ヵ月間会社の財務・会計等の面で無償で見て下さった。
色々な方に恵まれ、励まされ、助けて頂いた。
価値ある貴重な経験を日本でさせて頂いた。
だからこそ社会に還元していきたい。
名刺をブランド化し、日本の市場に浸透させるのが目標。
◆ 問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
諦めない事。
ゼロからスタートした会社だから、何が何でもやってやろうという気持ちと、熱い気持ちは誰にも負けない自信がある。
韓国に生まれ、日本に来てビジネスをしている。
だからこそ中途半端な事は出来ないし、したくもない。
大手の会社と取引し、緊張しながらもプレゼンが出来るようにまでなった。
ここまでやっと来た!もっと広い世界が待っている!
そういう気持で世界を視野に入れて頑張っている。
◆夢は?
日本で名刺のブランドとして、『ミスター名刺』を広げて行きたい。
60歳までに世界10カ国に『プリントモ』の拠点を作る。
日本に来て経験し、感じ学んだ事を役立て、人と人そして国と国を繋ぐ懸け橋となりたい。
今の自分があるのは、お世話になった方々のお陰と思っている。
決して自分1人の力じゃない。
感謝の気持ちで社会貢献をしたい。
株式会社プリントモ




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