70億の人に幸せを!楽しく生きる王


 

リコーイメージング株式会社
代表取締役社長
赤羽 昇氏

 

2015.3.19 1000


赤羽昇

 

業種

ペンタックス及びリコーブランドのデジタルカメラ、双眼鏡、交換レンズ等光学機器の製造販売


子供のころになりたかったものは?

特になし。ただ会社か役所の課長になるだろうと思った。

子供心に、そうなる確率が高いと思ったので。

幼少の頃は、考え事をよくしていたのを覚えている。

少年マンガやプラモデルも好きだった。

小学校から国立の学校に通っていた為、近所に友達が住んでいない事もあり、母からは「外で遊びなさい、たくさん食べなさい。」とだけは、よく言われた。

勉強については、宿題はまじめにやったが、それ以外はやっていなかった。

ただ、高校生になった頃、テストの点を取るのが得意で、「もしかしたら自分は受験に向いているのではないか?」と思った。

で、もし向いているならその才を無駄にしてはいけないと考えていたので、一番難しいと思われていた東京大学を目指し、高校三年生の一年間だけ一生懸命に勉強した。

物静かで大人しい性格だったと思うが、真面目で「やると決めたら死ぬ覚悟でやらないと本気とは言えない」と思うタイプだった。

起きている間、食事と入浴意外は殆ど勉強していたので一日およそ13時間は机に向かっていたと思う。

塾や予備校に通う事はなく、過去の問題や教科書を繰り返し学習し、殆ど暗記した。

学部は、数学が好きだったので理系に進んでも良かったのだが、文系の方が自分にとっては将来役立つと考え東京大学法学部に入学、卒業した。


自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

本はほとんど読まない。

ただ、小学生の高学年から中学生にかけては、推理小説や冒険小説が好きで、国内外を問わず片っ端から読んだ。

宿題に出た課題の本のほとんどについて、数字やデータ等事実は面白かったが、それ以外はつまらないと思った。

書いている人、一人の価値観を長い間かけて吸収する必要があるのか?

それよりは、目の前にいる多くの人と接した方が、短い時間で色々なことがわかる。

どうして大人は、だれもかれも本を「読め、読め」と言うのだろうか?

先生もそうだが、大人の言う事は固まっていて、「子供はこうあるべきだ」とか多くの事を、なぜ決まった概念でしか話せないのだろう?とずっと不思議に思っていた。

それと同時に、やはり大人の世界というのは常識とか固定概念で覆われていて、その事に自分達では気づいていないのだろうとも思っていた。


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

誰かの言葉ではないが、「楽しく生きる事」にしている。

小学生の頃に、テレビで放送されていた「素晴らしき世界旅行」や「兼高かおる世界の旅」といった紀行番組を見ては、「日本に生まれて良かったなぁ。」と思っていた。

しかも、戦争のない、この平和な時代の日本に生まれた事に感謝した。

中学生の頃は、発展途上国の放送を見て、「何とかしたい。」と思ったが、お金や権力を幾ら得たとしても自分一人で何とかなるものではないとも思った。

ならば自己満足にならずに、自分に出来ることは何か?と考えたところ、結局「一生懸命楽しく生きる事」だと思った。

それから、楽しく生きる事を基本にしている。


人生の転機はいつどんなことでしたか?

バブル崩壊

大学を卒業して就職した先は、長銀の愛称で親しまれた、株式会社日本長期信用銀行。

バブル景気に乗り、銀行はどこも海外リゾートを含む不動産関連融資も拡大した。

順風満帆かと思われたが、多くがバブル崩壊後に多額の不良債権を抱え込み、長銀も投資先の再建と貸付金の回収が急務となった。

担当として世界各国のリゾートホテルに赴くと、多くの無駄が目につき経営状況の悪さは一目瞭然だった。

ただし、無駄の定義は常識によって大きく異なる。

世界各国の常識の違いを大いに学ばせて頂いたのもこの時期であった。

例えば、ある南の国で、ゴルフ場の草むしりを時給で雇っていたが、1時間の内9割方寝ている。

日本ではありえない事だが、そこを課題として指摘しようとしたら、現地の弁護士に止められた。

この国の勤勉性は、日本の百分の一くらい。加えて日差しも強烈なので9割方日陰で寝ているのが常識だという。

もしこの国で猛暑の日中1時間フルで働いたらクレイジー。どの国にクレイジーな人物の言うことを聞く奴がいるか?ということである。

そこで、一時間の内、10分働いていた人なら15分働いてもらえるように交渉した。

それがその国の常識の最大限。

国を超えたらまず「常識の修正」、が基本となった。

また、再建のための改革には、従業員というより、経営陣に問題があるケースも多い。

日本から投資された資金を使って確かにホテルは立派になっていたが、その周辺には立派な経営幹部の住宅が立ち並んでいた。

そのお金はどこから?疑問が湧く。

公私混同の証拠があれば即刻辞めてもらわなければいけないのだが、現地の大物幹部にすきはない。

強硬な真似をしても反発を買うだけ。

ただ、事実は従業員には見えている。

経営陣が不正に良い思いをしていたとすれば、従業員は面白くは無かっただろうから、従業員と信頼関係を築くことができれば多くの事実が見えてくる。

積み上げた情報をもとに話し合い経営陣には辞めて頂いた。

当時日本ではそう考えられていなかったが、海外の常識は、どんなに多く不動産を持っている会社でも、赤字の会社は価値がなく誰も買わない。

よって、試行錯誤して策を練りながら、赤字企業を黒字化して企業価値を上げてから売り、資金回収を繰り返した。

当時は企業再生という言葉はなく、債権回収額極大化プロジェクトと名付けていたが、まさに企業再生の走りだった。

2005年、長期の休暇を取るために、次の就職先のことは考えずに会社を辞めた。

海外含めあちこち自由に旅して英気を養った。

半年程して、そのビジネスモデル=貴金属リサイクルと環境保全事業に非常に魅力を感じて、アサヒプリテック社に入社。

そして再び、次の就職先のことは考えずに会社を辞め、半年程海外を自由に旅する。

その後、東京海上アセットマネジメントを経てリコー株式会社に入社、現在に至る。

長銀時代の経験が、今の私に大きく影響している。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

人から見ると相当大変な事と思われる事が起きていても、「楽しそうですね。」と言われる事が多い。

実際、問題障害に直面している最中でも、それを問題障害と思っていない。

乗り越えたという認識もない。

むしろ、知らないことや価値観の違いに驚いたり楽しんだりしている。

また、交渉事のように相手がいる問題なら、次にどう出て来るかを予測し10手20手先を考えたりしていると、真剣勝負のようで面白くなってくる。

怒ったり、恨んだりする事はほとんどない。

運が良いのかも知れないが、山も谷もなく全ての課題に真剣に対応してきただけ。


夢は?

人生を楽しく生き抜くこと!

最近は年賀状を出さなくなったが、20代の頃は「40億の人に幸せを!」、人口が増えてからは「70億の人に幸せを!」と書いたりした。

一人一人の幸せを願っているわけだが、結局はたいしたことはできない。

だから、せめて自分自身楽しく生きる事で自分に接する人だけでも楽しい気持ちになれれば、それは自分でできる範囲で世界に貢献しているのではないかと思っている。


リコーイメージング株式会社
http://www.ricoh-imaging.co.jp/japan/index.html

 

 





 

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