Q&Aサイトで助け合いの大波を興すOKWAVE王


 

株式会社オウケイウェイヴ

代表取締役社長

兼元謙任氏

2015.4.27 1400



『OKWave AWARD 2015』
『OKWave AWARD 2015』記者会見にて

◆業種

 

インターネットサービス

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

漫画家や絵描きか医者。

 

絵を描く事も漫画を読む事も好きだった。

 

漫画は、手塚治虫先生が好きで、特に「ブラックジャック」をよく読んだ。

 

幼少の頃から病弱で、よく発熱をしていたが、小学校5年生の頃からひどくなった。

 

原因不明の発熱を繰り返し、体が動かなくなる。

 

後にギランバレー症候群と診断されたが、実のところはわからない。

 

長期入院を余儀なくされた。

 

入院中、短命で亡くなる子供をたくさん見て来たこともあり、「命を救える医者になりたい。」と考えるようになった。

 

両親は学歴重視で、言う事をきかなければ手を上げられるほど、躾が厳しかった。

 

しかし、私が病弱で辛さのあまり「産まなければよかったじゃないか!」と暴言を吐いても、両親は良い医者や薬を探して走りまわり、宗教という宗教を巡り、鍼灸や接骨にも通院させてくれた。

 

それでも良くならず、ある時、入院中の病院の屋上から飛び降りてしまおうと思った。

 

しかし、やっと車いすを動かせるだけの筋力しかない私は、柵を乗り越える事が出来ず、飛び降りて死ぬ事すら出来ない事を思い知らされた。

 

そしてその時、「やはり生きたい」と思った。

 

このまま命を絶ってしまっては勿体ないし、悔しい!

 

そんな時、入院していた病院で、新薬を使う事になった。

 

担当は女性の先生で、私の両手首にハリを刺して「動かしてみて」という。

 

痛くて動かせない上、鍼まで刺されて、筋力のテストだと言うが、実は虐められているのだと思った。

 

しかも新薬を飲むと副作用が強く、とても辛かった。

 

つい最近まで、その先生を恨んでいた程だ。

 

ところが、知人の医者にこのことを話すと、その新薬のお陰で私の病気は快方に向かったという事がわかった。

 

当時としては画期的な治療法であり、そうでもしなかったら助からなかったかもしれないのだ。

 

知人の医師が、その先生に会わせてくれと言った程。

 

その先生の名前もわからないが、名古屋市緑区にある南生協病院の小児科にいた女性の先生という事は覚えている。

 

今、会えたら御礼を言いたい。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

会った方とは感謝の気持ちを込めて必ず握手をする。

 

風呂場で歳の数だけ「7つの言葉」を唱える。

 

「ありがとう」「うれしい」「楽しい」「幸せ」「愛してる」「大好き」「ついてる」

 

いろんな方から、これらの「7つの言葉」が人生をいい方向に導くという話を聞いたことから、自分を律するために始めた。

 

風呂場で唱える理由は、自分に言い聞かせる上で湯に浸かってリラックスできる場であることと、風呂場は声が響くので自分にもよく響くであろう、という点。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

1、小学6年生の頃に入院していた時の担当医師

 

男性の先生は、仏教徒でもあったようだが、女性の体についてリアルな医学書を見せてくれるような一面もあった。

 

そして、病気になるのは心の問題でもあると教えてくれた。

 

仏教の本や精神哲学の本等を色々紹介してくれたが、当時の自分には理解しがたいものが有った。

 

「神様がいるなら、こんな病気になるはずがないだろう!」

 

しかし、入院中の私にとって、この先生の関わりがとても支えになった。

 

当時は半信半疑だったが、今は辛い状況になっているのにも「何か意味が有るに違いない。」と思える。

 

 

2、入院中に出会ったおばあさん

 

小学校6年から中学一年にかけて入院中、個室にいた私にわざわざ話しかけてくるお婆さんがいた。

 

そのお婆さんは、入院患者だったらしいが、私の手相を観て、「過去世で海賊だったから、今この状態になっているけど、人生の後半は病気も良くなって『いい事をする人になるよ』」と言った。

 

当時は、適当な事を言っているのかもしれないと思ったが、とても印象に残った。

 

病気をしている間、またその後の人生においてとても勇気づけられる言葉となったと同時に、「良い事をする人になる」と自然に動機付けされた気がする。

 

いつの間にか、「良い事」を前提に考えている。

 

オウケイウェイヴの発想も、人と人がQ&Aを通して「助け合えたら良いな」との発想から生まれた。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、「ピンク色のレンズの眼鏡をかけている人は世界がピンク色だと勘違いをしている。自分が眼鏡をかけていることに気づいていないのだ。」

 

アルフレッド・アドラーの言葉

 

小学6年生の頃に入院していた時の担当医師から、「読んでみたら」と紹介された本の中にあった。

 

take off your rose colored glass」原文はこんな感じだったと思うが、ようは「色眼鏡をはずしてみようよ」という意味だ。

 

人は知らず知らずのうちに色眼鏡をかけていて、かけていることに気づいていない。

 

だから答えが偏ってしまう事が多い。

 

八方塞がりでダメとか、出来ないと思っている人は、ここに陥っているのだと思う。

 

ものの見方を変えるところに出口がある。

 

そうは言っても中々自分ではわからない。

 

だから私は、自分に起きた事を「私」から「彼」に変えて物事を考えるようにしている。

 

「人の事だとよくわかる」というが、そうすると観えて来るものが有る。

 

しかし感情が伴っているときは、それも難しい。

 

けれど、どんなに怒りがこみ上げても、今迄仲良くしていた人の全てが悪いわけではない。

 

少し下がって全体をみたら、今怒っているのは、過去を通して全体の5%程度にすぎない事がわかったりする。

 

だからそのことを、相手にも伝える。

 

「君のことを否定している訳ではない、95%は上手く行っているし、怒っているのは君全体の5%に過ぎないのだから。」と。

 

そして、それを相手にも言ってほしいと要望する。

 

その事によって全否定された感はなくなり、お互い客観性を取り戻す事ができる。

 

 

2、「いい事をする人になるよ。」

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

1、入院中、おばあさんとの出会い

 

「病気は必ず良くなる。良くなっていいことをする人になる。」と言われた事は、その後、何度も支えになった。

 

 

2、進路を変えた事

 

大学入学時、美術学部を選択しデザイナーになった事。

 

 

3、大学生の時、初めて韓国に行き日本人と間違われた事

 

日本人として生きる決意をした。

 

 

4、東京へ出て来た事

 

30歳の時だった。

 

東京へ出る決心をしなかったら、今の私はない。

 

 

5、会社を設立

 

32歳の時だ。

 

それまでは、インターネットで何か質問すると「そんな事を気軽に聞くなんて常識がない。」と批判されてしまう時代だった。

 

気軽に質問ができるQ&Aサイトをつくった。

 

多くの技術的、金銭的な出資者も現れ、嬉しさと同時に励みとなった。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

自分の価値を否定された事。

 

学年が上がるごとに病状は、だんだんによくなったが、医学部には合格出来なかった。

 

そこで翌年、友人の影響もあり「ものづくり」に興味を持った。

 

そこで、元々好きだったデザインの道に進もうと芸術学部を受験、合格した。

 

卒業後は、京都の大手デザイン会社にデザイナーとして就職。

 

しかし、ある塗装会社の社長から「デザイン部門をつくるから、デザイン室長として来てくれないか。」と誘われ、大きな会社で何人もいるデザイナーの一人ではなく、小さくても唯一のデザイナーになろうと転職した。

 

大学時代につくった、「弱者のためのデザインを考える」デザインサークルの仲間にも無償で手伝ってもらい、グットデザイン賞を受賞したが、功績を認めてもらえる事はなかった。

 

その頃、東京の会社から、海外で働かないか?とのオファーに魅力を感じ、東京に行く事にした。

 

しかし、デザインサークルの仲間は、別会社を設立してしまったので、私一人で東京に出て来た。

 

すると、その会社の社長から「君のいいところは、仲間をタダで使えるところなんじゃないの!?それが出来なくなった君には価値を見いだせない。」と言われた。

 

もの凄い衝撃だった。

 

この社長とは、その後もお付き合いは続いているので、この事を話したことがあるが、相手方はそんな事を言った覚えはないというほど軽い言葉だったようだ。

 

小学校5年の時、在日韓国人3世として同級生から壮絶な虐めを受けたり、外国人登録のため指紋押捺されたりして、「これほどの屈辱はないだろう、これからは何が起きても耐えられる。」と思っていたが、それよりもこの社長の言葉は辛かった。

 

その後、東京へ出て来たものの職をなくした私は、妻にも見限られホームレスとなったが、「何が何でも認めてもらわなければ生きていけない。」という思いでがんばる事が出来た。

 

ノートパソコンだけは持っていたので、どんなに小さくて安価な仕事でも、対価以上の仕事を一生懸命することで認めて貰うように努力した。

 

2年かかってホームレスから脱出できた。

 

この2年間は、とでも寂しかったが、それと同時にとても多くの事を考える事ができた。

 

妻、子供、両親、友達、仕事、自分・・・、其々に振り返り思いをはせた。

 

結局妻も、ホームレス時代に送金していたお金を全て貯金していてくれ、それが会社設立資金になった。

 

この時間があったからこそ、今の私がある。

 

 

◆夢は?

 

オウケイウェイヴを世界に広める!

 

理念から、オウケイウェイヴはつくられた。

 

これからは、理念が有るものが残っていくと考える。

 

<互い助け合いの場の創造を通して、物心両面の幸福を実現し、世界の発展に寄与する>

 

 

株式会社オウケイウェイヴ

http://www.okwave.co.jp/index.html

 

Q&Aサイト「OKWave

http://okwave.jp

 

Q&Aサイト「OKWave」で活躍する一般回答者・専門家回答者・企業回答者を表彰

OKWave AWARD 2015

http://project.okwave.jp/okwaveaward/

 



PR



コメント: 0

 

ヒーローズ一覧