ヴィダル・サスーンの技術で美容界に革命を起こした!「Something Else」王



株式会社スーパーカットコミューン

代表取締役

 

南 照己氏

2012.9.5 1030


南照己

 

◆業種

 

美容業

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

ビッグになりたい!

 

幼い頃は、パイロットやプロ野球選手と思っていたが、いつの頃からか一国一城の主に成りたいと思うようになった。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

ヴィダル・サスーン

1963年、サスーンは古典的なボブカットを元とする、新たなヘアスタイルを発表した。髪の毛を切る際に頭をいくつかに区画分けして、それぞれの区画の髪の毛をクリップ等でまとめて止めて分けた上で、髪の毛を人差し指と中指の間に1cm程の厚みで引き出してから切る『サスーンカット』は、現在の理容師や美容師の基本技術となっている。(ウィキペディア参照)

 

考え方、生き方、技術に影響を受けた。

 

ヘアスタイルの造形が、幾何学的な裁断で美しく、都会的なセンスがある。

 

サスーンの斬新なヘアカットを、初めて見たとき衝撃が走った。

 

そこまで仕上げるのか!!と驚いた。

 

とにかく凄い!カットの神様。

 

大学を卒業したと同時に美容師の免許を取得し、Something Else(一味違ったもの)を捜し求めて海外へ旅立った。

 

手持ち金は15万円。

 

本当はアメリカに行きたかったが、当時1ドル=360円の時代だったのでとても暮らしていけないと思い、ニュージーランドに渡った。

 

そこで働く美容室を探すため、町を見て回っていたとき、ココ!と直感した美容室を見つけた。

 

早速、「働かせてほしい」と申し込んだが、受け付けの人に取り合ってもらえなかった。

 

いきなり日本人が飛び込んで来たのだから、当たり前と言えば当たり前だ。

 

しかし、諦められない。

 

通い続けた3、4回目、やっと受付の人が「今日オーナーが来たら話してあげる。」と言ってくれた。

 

ラッキーにも、オーナー(ミセスオーヘン)は、直ぐに雇い入れてくれた。

 

仕事は、掃除などの下働きとシャンプー係りだったが、ミセスオーヘンはきちんと生活出来るだけのお給料を払ってくれた。

 

その上、お客様からはチップがもらえたので貯金も出来た。

 

更に休みの日は、ディスコのようなところでパン焼きのアルバイトもした。

 

ディスコは華やかで多くの若者が集まり、とても楽しい仕事場だった。

 

若さに任せて一生懸命働いた。

 

一生懸命しないと、巡り会えるものにも巡り会えないと思ったからだ。

 

1年たった頃、お金も貯まったのでSomething Elseを求めて、いよいよ念願のアメリカに渡った。

 

しかし、アメリカで美容師として働くにはライセンスが必要になる。

 

早速、ロサンジェルスにあったスクールに入校。

 

日本の美容師免許を持っていたので、通常の半分の受講時間でライセンスを取得する事が出来た。

 

スクールから紹介された美容室に勤めたが、1年以上たってもSomething Elseに出会えなかった。

 

少し焦りを感じていた頃、友人が物凄く斬新なヘアカットをした人を連れて来た。

 

それまでのヘアスタイルは、カーラーを巻いてオカマに入るというワンパターンなスタイル。

 

ドライヤーでするヘアブロウも無い時代だ。

 

スイングする髪の美しさを表現したカットにとても衝撃を受けた。

 

聞くとロンドンにあるヴィダル・サスーンという人の技術だという。

 

これからの美容はコレだ!と直感し、直ぐにロンドンに飛んだ。

 

ところがサスーンスクールに入学するには2、3ヶ月待ちだという。

 

ココ!と決めたので、他で働きながら待つなんてことは全く考えられなかった。

 

もうこれ以上サスーン以外のものを、自分の中に入れたくなかったのだ。

 

幸いサスーンのスクールは1階にあり、ガラス張りだった。

 

来る日も来る日も、サスーンスクールのガラスの前にしがみ付き、ノートを取りながら見入った。

 

見るとハサミもブラシも全く違う。

 

ハサミはとても刃先の短いものを使っている。

 

小さな弧を描くカットや細かい表現をするためだ。

 

凄い!毎日、朝から晩まで見て学んだ。

 

2週間たった頃、校長が「よく来るね。」と声をかけてくれ、空きが出たということで入学を許可してくれた。

 

サスーンのスクールは、練習台になることを了承したお客様で練習する。

 

逆に言うと、お客様のカットをしているときでないと教えてもらえない。

 

初心者は一日2人をカットするのが限度だが、私は技術を評価され一日5〜6人のカットを許されたので、人より3倍以上も教えてもらうことが出来た。

 

3、4ヶ月した頃、修了証を出してくれた。

 

さてこの先どうしようかと思っていたところ、サスーンサロンの本店で働けるチャンスがやって来た。

 

スクールから3名だけ募集があり、校長が推薦してくれたのだ。

 

難関を突破し、夢にまで見たサスーンサロン本店に勤務することが出来た。

 

アジア人初のトップスタイリストになり、それはそれは華々しい毎日だった。

 

その頃のサスーン氏は、ニューヨークでサスーンカットの開拓中だったので、本店には年に2回程帰って来る。

 

帰ってくる度ビジョンを語ってくれ、皆は魅了された。

 

マスコミの取材も多く、サスーンの人気は凄く、映画「ローズマリーの赤ちゃん」の主演女優ミアファーロのカットに、当時の日本円に換算すると2,000万円の値が付いた。

 

私は「テリィ南」と呼ばれ、ロンドンで充実した毎日を過ごしていたが30歳を目前にしたある日、母から連絡があった。

 

「もうそろそろ日本へ帰っていらっしゃい。」

 

日本へ帰ってサスーンカットの伝道師になろう!

 

最初は大阪の母の店を手伝いながら、全国各地で勉強会を開き、サスーンカットを浸透させて行った。

 

そのうち、やはり東京に出なければ!と思い六本木(今のミッドタウンのあたり)にサロンを開いた。

 

その後、ファミリーを対象に、おばあちゃん、お母さん、娘さんと末永くお付き合いできるサロンを目指して千葉に店舗展開を始めた。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「一芸に秀でる」

 

私の場合はカット技術。

 

一つの技を磨き込む。

 

そうすると自分に自信が持てるし強みになる。

 

「何でも屋さん」では中途半端だ。

 

極めることが大事。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

20歳のとき

 

大学2年生で、そろそろ将来の職業について考えていた頃。

 

英文科だったので、「商社で海外貿易をしたいなぁ」とか、「証券会社もいいなぁ」等と思っていた。

 

そんなある日、大阪で美容室を経営している母から呼び出された。

 

「あなたも大学を卒業したら、お兄ちゃんと一緒に家業を手伝いなさい。」

 

一番上の兄が母の美容室を手伝っていた。

 

父は、勤めていた三池炭鉱の閉鎖に伴いリタイアしたので、母が美容師の腕一つで4人の息子を育てた。

 

その母から言われたので逆らう訳にはいかない。

 

交換条件として、卒業したら外国で修行をさせてくれることを約束してくれた。

 

日本にも、「結い上げ」(日本髪等)の伝統技術があるが、海外でパーマやヘアデザイン・技術を学びたかった。

 

目標がはっきりすると、新聞などに載っているヘアスタイルも気になるようになった。

 

なぜこれが流行るのか!?その原因を根本的なところから、知りたいと思った。

 

4人兄弟のうち、美容師になったのは一番上の兄と私の2人だけ。

 

確かにこの2人は感覚が似ている。

 

今思えば、母は子供たちの素質を見抜いていたのかも知れない。

 

大学3年生から、夜間の美容学校にダブルスクールで通い、大学卒業と同時に美容師の免許を取得した。

 

この母のお呼び出しが無かったら、今の自分はない。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

アメリカでの修行時代、Something Elseがなかなか見つからなかったとき。

 

これでいいのか!?と何度も思った。

 

スクールから紹介された美容室に勤め、コンテスト等にも多数出場したが、全くSomething Elseに出会えなかった。

 

その頃、英語が出来る日本人として、繊維会社から貿易の仕事をしないか!と高額の給料を提示された。

 

正直、心が揺らいだ。

 

将来の職業として検討するにも、繊維のことは全くわからなかったので、工場で生地を見せてもらいながら色々と教えて貰った。

 

美しい生地がたくさんあり少し興味も沸いたが、やはり自分は美容師だ!と確信した。

 

少し離れたところから落ち着いて自分を見ることで、本当にやりたいことを確認できた。

 

斬新なカットと出会ったのは、その後直ぐのこと。

 

そこでやっとSomething Elseを見つけることが出来た。

 

 

◆夢は?

 

訪問出張美容(移動美容)を充実させたい。

 

少子高齢化の時代、これからはシルバー層が増えていく。

 

人口約1億2000万人の中、3000万人が65歳以上の高齢者になってきている。

 

施設にも限りがあるので在宅介護も増えるだろう。

 

その時、福祉移動美容車を提供したい。

 

現在、48社と契約していて、100社を目指して検討している。

 

2年後にリタイアする予定でいるので、次の世代の人に引き継いで行きたい。

 

株式会社スーパーカットコミューン

 

http://super-cut.jp/company.html