TBS赤坂サカスを生み!笑顔と夢を後世までもサカス!エンターテイメント王



TBSテレビ

株式会社東京放送ホールディングス

次世代ビジネス企画室 部長

來住 尚彦

2013.5.14 1300


來住尚彦

 

業種

プロデュース業 演出業


子供のころになりたかったものは?

その頃、一番「カッコイイ!」と感じた新幹線ひかり号の運転手

新幹線は日本が世界に誇れる技術だから!と後で自分で理由付けたりした・・・・

小学校の頃は野球の選手にもなりたいと思った。

父は、甲子園出場経験があり、中学、高校、大学と10年間野球を続けて来た人。

その影響を受けたのだと思う。

しかし、中学の頃になるとアイドルに憧れ、人気テレビ番組「スター誕生」にも出演した。

これは、TBSに入ってからの話になるが、女性アイドル歌手の演出をしたとき、スター誕生の話になった。

彼女はスター誕生を20回受けて、超人気アイドル歌手になった。

私は1回で不合格、歌手にはならなかった。

運命の分かれ道、どちらが良いかわからないものだと話した。

 

夫々に役割があることも話した。

今考えると、随分コロコロ変わっていると感じる。

 

高校生の時、パイロットになりたい!と思ったこともあった。

父方の祖母の希望が「医者になればいい。」

 

父も祖父も京都大学だったので、京都大学を受験したが、早稲田大学理工学部経営工学科に進学した。

ところが入学してすぐ、白衣を着た人が校庭でキャッチボールしている光景に不自然さを感じた。

 

その瞬間、大学も嫌いになり、家庭教師や塾講師のアルバイトに勤しんだ。

アルバイトで月30万円ぐらい稼げたので、バイクや車を買い、スキューバダイビングやモーターボート等を楽しんだ。

またバンドも組んでいたので、卒業するころには成績はビリから4番目になっていた。 

それを見て、「あーまだ、下に3人いたのならもう少し余力があったんだ。もったいなかったなぁ。」と思ったが、その3人が卒業できなかったのを後で聞き、ギリギリ使い切ったことに満足した。

就職活動は、やはりパイロットに憧れたということもあって、民間航空会社のCAの試験を受けた。

志望動機を聞かれたとき、「かっこよくなりたいからです。」と答えたら「君はふざけている!」といきなり怒られた。

「いや、ふざけてません!」「ふざけている!」の押し問答になり、結局面接中に「失礼します。」と帰ってきてしまった。

次に、海外プラント事業にも興味があったので財閥系の会社を受けようと思ったが、当時は完全なる成績順だったので諦めた。

そして、大手証券会社に合格。

ところが、従姉に証券会社に就職が決まったことを話すと、「地味じゃない。派手なマスコミがいいよ」という答えが返ってきた。

「そうかぁ。」と思い、新聞社を受けた。

合格したことを父に話すと、「新聞と言えば読売か朝日だろう。」と言われた。

またまた「そうかぁ」と思い、TBSを受け、今に至るという訳だ。

人生は、こんなもので、一方、人に言葉を発するというのは、実に慎重にならなくてはならないと感じる。


毎日欠かさずしていることはありますか?

鏡で自分をちゃんと観て向き合うこと!

我が家には数えたことがないくらい多くの鏡がある。

外見だけでなく、疲れていないか?心は大丈夫だろうか?立ち居振る舞い全て等を確認する。

「鏡の間」にしている部屋もある。

また「どうしたらそんなにスタイルを保てるのですか?」と女子アナから聞かれることがある。

「脱衣所に全身が映る鏡を置き、隣に自分のなりたいモデルの裸体ポスターを貼って、自分もシャワーの後10分間見比べることだ。」と必ず答える。

そうすると脳が勝手に美しい方を判別し覚える、そのようになろうと指示を出すのだ。 


自分の心を掴んだ人物・本は?

高杉晋作

高杉晋作のことが好きになったのも、家に父の本がたくさんあったお陰かも知れない。 

ある時、「來住」という苗字について調べてみると、万葉集から「軍使」「大使」という意味で中国からの渡来人のようだとわかった。

平将門・藤原純友の乱下、村上水軍の仲間でもあったということがわかった。

それをきっかけに、歴史の本を読み進め、明治維新時に辿り着いた。

そして、「革命を起こすには、4つの役割をもった人材が必要」ということを知った。 

1、吉田松陰に代表される思想家

2、高杉晋作、久坂 玄瑞などの行動家

3、井上聞多、伊藤博文などの周旋家(この言葉今あまりいい意味で使われないが・・) 

4、大村益次郎などの技術家

思想家は無理だけど、思想家と行動家の間くらいなら行けるんじゃないか!?と自分の役割を決めた。


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「おもしろきことなき世をおもしろく」(高杉晋作辞世の句)

世の中が面白くないのは当たり前、自分で面白くしなければ面白くはならない。

よく「面白くねぇなぁ。」なんて言っている人がいるが、「だったら自分で変えればいいじゃん。」いつもそう思う。


人生の転機はいつどんなことでしたか?

ライブハウス「赤坂BLITZ」を企画したこと

社内で、赤坂にライブハウスを作る企画が持ち上がった。

会議の席上で反対した。

テレビの力では、0人のオーディエンスを100人にすることは出来ない。

どんなバンドでも初コンサートは、お客さんは友達だけ。

それを「今度は友達を連れてきて」と一人一人に丁寧に頼んで少しずつ増やしていき何万人にする。

テレビが掛け算だとすると、こちらは足し算だ。

テレビは、1000人を10万人、100万人にはできるが、0人を何万人にするのは人の縁や力がなければできない。

また、人気男性アイドルグループのコンサートをプロデュースしていた時。

音楽も美術もいいのに、何だかうまくいかないこと。

ステージフォーメィションに問題があることがわかった。

それをどうにかするために、自分がダンスレッスンに通った。

ダンスとは、どういうものかがわかってなければステージフォーメィションの改善も出来ない。

自分に足りない部分を補う努力をしてひとつひとつ積み重ねてはじめて、人を感動させられる。

更に、ステージのパフォーマー自身が楽しんで感動しないことには、お客様に感動を与えることなど出来ない。

ダンスを身体で理解して指示を出せば、「えー來住さんわかってるんだ。」と言って受け入れてくれる。

僕がいる音楽業界は、一般社会と少し違って組織論が成り立たない部分がある。

どんなに偉かというよりも、わかってるか、わかってないかが重要視される。

実際に演技ができなくても、演技とは何ぞやがわかっていなくてはならない。

 

 

そうすればいい、ここまで行くと一般社会と一緒だと感じる

だから朝から週三回ダンスレッスンに通った。

企画に反対した根拠は、そういった経験の積み重ねからきたものだ。

数回重ねた企画会議の翌日、担当役員に呼ばれた。

次回から「賛成しろ!」

「お前は問題点を分かっている。他のやつは誰一人わかってないんだろ。だったらお前が解決してやれ!」と言われた。

この思考が2008年誕生した「赤坂サカス」の誕生を導いてくれたと思っている。

「ここが赤坂の新しい顔になり、多くの人々が笑顔になってくれればいい」

このことだけを思って取りかかることにした。

歴史ある伝統文化が息づく街「赤坂」に、人々の笑顔を「咲かす」、夢を「咲かす」という意味で「赤坂サカス」と名付け、感性を刺激するイベント、演劇、心を豊かにする音楽の数々、レストラン等、魅力あふれる複合エンタテインメント空間として生まれたのだ。

「赤坂サカス」企画成功の可能性皆に10%以下だと言われた。

でも 成功か失敗かの可能性は常に50%、50%だと思う。

あとは、自分の中の成功ポイントだけは、自分の中で確り感じていなくてはいけない。


また人間は、全く新しいものを生み出すことはできない。

大地や空気などは神の業で、到底人間が作り出すとこなどできない。

実際、未だに人間は元素鉱物一つ作り出せないでいる。

あのモーツァルトの名曲でさえ、「3歳から父に連れられ、ヨーロッパ中を旅して見聞きした音楽の組み合わせでできている。」とも言われている。

つまり 人間は、今までに見たり聞いたりしたことしか創れないということなのだ。

自分自身、やはり多くの経験を積んできて、多くの方々にたくさんのことを教えて頂いて本当に良かったと思う。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

僕は何回に一度、他人とケンカになる。

「自分はこうだ!」というものが自分の中にあり、自分のやりたいことが明確にある。 

だから、ストレートな意見を言うことが多く、ぶつかることが多い。

しかし、きちんとした根拠と熱意を元に貫けば成功できることが「赤坂サカス」の企画で実証された。

これは大きな自信にもなったが、過去のものだ。

クリエイターは特に、ものが出来上がった瞬間から、その実績は過去のものとなる。

その栄光を忘れないと新しい発想は生まれない。

人間はコンピューターには出来ない素晴らしい脳力をもっている。

その能力の一つは「忘れることができる」ということ。

ただし、経験やノウハウ、感動は残る!

あともうひとつ「間違えることが出来る」

「忘れて、間違えて」

今も、それを元に新しい企画を創り続けている。


夢は?

日本の素晴らしい考え方、技術、慣習を海外に伝える!

和楽器の女性邦楽ユニットをプロデュースし、ワールドツアーを行ったり、アメリカデビューさせたりもした。

日本の考え方やポテンシャルを世界に発信したい。

また美術、デザインや技術なども、中国やベトナムに伝える動きも始めた。

世界の国々と日本が仲良くできればいいと思っている。

そして、ボランティアだが、「童謡で伝える会」という活動。

著名な歌手と2人で、全国の幼稚園、保育園で童謡を通じて日本の美しい言葉、美しい風景、風習、躾等を園児、両親、祖父母に伝えるためだ。

2009年5月29日よりスタートし、被災地を含め全国で活動し続け66回を超えた。 

これも続けていく!

TBSテレビ
http://www.tbs.co.jp/

赤坂サカス
http://sacas.net/

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コメント: 2
  • #1

    やまちゃんなり (日曜日, 19 10月 2014 18:14)

    きしさんに出会ってよかった

  • #2

    tsuka (月曜日, 20 10月 2014 14:06)

    私も、お会いできて、よかったです。