マルチな夢とチャンスに繋がる「治療家甲子園」王


一般社団法人 日本治療家連盟(治療家甲子園) 

理事長

株式会社ファーストサービス

代表取締役

田尻賢氏

 

2014.1.9 1500



田尻賢

 

 

業種

治療院応援業


子供のころになりたかったものは?

エンジニア

小学校5年生の時の文集に書いた記憶がある。

父が大手家電メーカーの技術部長をしていたため、家電のエンジニアをイメージしていたと思う。

しかし、実際には幼稚園の頃からサッカーをしていて、高校の部活もサッカー部、バイク好きのサッカー少年だった。

また、親戚が集まった時にするファミリー麻雀をきっかけに、ゲームとして面白い麻雀にハマってしまった。

高校生になると、友達と雀荘に通い、そのうちそこでアルバイトをするようになった。

地元は相模大野、近所の雀荘は、たまたま「伝説の雀鬼」と呼ばれる桜井章一会長の経営する雀荘だった。

雀荘のアルバイトは、麻雀をする訳ではなく、灰皿を変えたり、食事や飲み物を運んだりと、ウエイターのような仕事だった。

桜井会長を師匠と仰ぎ、男としての生き方と接客業を学んだ。

高校を卒業した先の進路を決めかねているうち、流れにまかせて大学受験をしたが失敗。

当然の結果と受け止め、そのまま雀荘に就職を決めた。

両親は大反対。

父からは、「家の敷居を跨ぐな」とまで言われた。

雀荘で働く事7年。

ようやく「やりたい事」が見つかった。

それは、ヘリコプターの操縦士。

元々、バイクや車のエンジンが好きだったのと、人と違う事がしたかったからだ。

ヘリコプターの免許は、アメリカの方が取りやすい。

早速、英語の勉強を1ヶ月必死でした。

あんなに勉強したことは、人生で1、2番を争う。

留学費用は自分の貯金だけでは足りない。

両親に相談すると、不足分を貸してくれた。

半年でプライベート用の免許を取得して帰国。

プライベート用の免許だけでは、仕事で人を乗せる事が出来ないので、鹿児島に業務用の免許を取りに行った。

その1年後、業務用の免許を取得し、愛知県にある派遣会社 社長の「おかかえパイロット」になった。

おかかえパイロットといっても、派遣会社の社員として営業や管理業務もする。

大変だけど、人と人との間に入るやりがいのある仕事だと思った。

この社長は、自分でもパイロットの免許を持っており、人としても教わる事が多く、私にとって二人目の師匠となった。

そしていつしか、自分も「おかかえパイロット」ではなく、オーナーになりたいと思うようになった。

しかしここでは、営業といっても殆ど社長が仕事をとってくる。

「大手の営業を経験してみたい!」と考え、2年後、大手人材派遣会社に転職した。

大手で、飛び込みを含め、本格的に営業を開始して1年半程した時、治療家の友人にあった。

彼は高校の同級生で、「治療家の派遣ってないんだよね。」とポツリ。

そうか!じゃあ治療家に特化した派遣会社を創ろう!と、2000年9月、その友人と一緒に治療家専門の派遣会社を設立した。

治療家の方と飲みながら交流しているうち、一人二人と参加者が増え田尻会を設立。

常に40から50人集まるようになった。

治療家甲子園を開催しようと思いついたのはその頃、居酒屋甲子園 事務局の助言もあって、2009年11月29日、第一回目、治療家甲子園大会を開催する事が出来た。

しかし、三回大会準備中に東日本大震災が起き、治療家甲子園を中断。

そのエネルギーをボランティア活動に切り替え、現地で避難所の方たちに施術して回った。

そして今年、2013年11月24日、第三回治療家甲子園大会を開催する事が出来た。

もう感無量で上手く表現できない程、感謝と感動で一杯になった。


毎日欠かさずしていることはありますか

メールマガジンンの発行

2010年4月から、毎日欠かさず続けていて1340通以上になる。

最初は社員向けに発行していたが、先輩や仲間からの要望でメルマガとして発行し始めた。

ブログと並行して前向きな事を書いている。


自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

桜井章一氏

人として、男として生き方を学んだ。

「男が男に惚れる」というのは、こういうことを言うのだろうなと思う程、尊敬している。

仕草も考え方もカッコイイ。

周りに流されることなく、何事にも動じない。

たとえお金をどんなに積まれても信念は曲げない、ブレない心を持つ人。

桜井会長の前では、嘘もカッコも付けられない。

全ての本性を見透かされてしまうから素でいるしかない。

だからこそ学びも多かった。

麻雀は心理戦でもあるので、心が動揺すれば、相手に見抜かれる。

そんな心理戦では、どんなに大物が相手でも一度も負けた事がない。

それどころか、一緒に麻雀をしていると、「お前、その右から三番目のパイを切れ。」と正面にいる桜井氏が突然言う事がある。

見てもいないのに、相手にどんな持ち手があるのか、桜井会長には手に取るようにわかるのだ。

こういった不思議を考えながら、西田文郎氏のセミナーや研修専門会社の自己啓発セミナー等、多くを受講した。

その中で、心理学者のユングが言っていることで、人には、自覚している顕在意識、無意識の潜在意識、潜在意識より更に深い層にある「集合的無意識(普遍的無意識とも呼ばれている)」があることを知った。

そして自分なりに考えた結果、人と人はこの集合的無意識を通して繋がっているのではないかと考えた。

例えば、危険を感じたイワシの大群が方向転換する時、一斉に右なら右に泳いでいく姿を見た事があるだろう。

どうみても、前のイワシが右に行ったから後のイワシが右に向いたようには見えない。

一番先頭のイワシも、最後尾のイワシも同時に方向転換している。

これは意識の伝達ではなく、同時に同じ情報を受取っているとしか思えない。

だから、桜井氏も全く他人の行動や思考がわかるのではないかと考えた。

これは動物的本能のようなもので、元々誰にでも備わっていたが、世の中が便利になりすぎた為に必要がなくなり、その能力が衰えてしまったのではないか?

ある特定の人だけに残されているが、本当は、誰でも集合的無意識にアクセスして情報を得る事が出来るのではないか思っている。


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず 逢える、しかも一瞬早すぎず一瞬遅すぎない時に」

哲学者であり教育者であった森信三先生の言葉

経験からして、私の生き方が一番盛り込まれている言葉だと思う。

他にもたくさんあるが、桜井章一会長にしても、愛知の人材派遣会社の社長にしても、本当にタイムリーな人との出会いがあった。


人生の転機はいつどんなことでしたか?

1
、友人のバイク事故

ある日、アルバイトの休憩時間にNHKのニュースを見ていると、同級生の友達の名前が画面に出た。

バイク死亡事故のニュースだ。

「嘘だろ」と思ったが、あわてて駆けつけた。

16歳で亡くなった友人は、背も高く、顔もカッコよく、女性によくモテ、まさに皆のヒーローだった。

亡くなった彼を前にして、彼の為にも漠然と「俺は倍生きる!」と決意。

「倍生きる」とは、具体的にどういうことか。

葬儀には、彼の死を悼む人が400人も集まった。

それなら、俺は自分の葬式に1000人来るような人間になろう!

しかも90歳まで生きよう!

90歳では、現役も離れ、同年代の人の多くは亡くなっている。

それでも1000人集まってくれるような人間になる!そう決意した。

この決意は、物凄い原動力となり、英語の勉強やヘリコプター操縦士 資格試験の時も発動された。

30歳になった頃、この話を先輩にしたら「お前は小さいな、俺は5000人を来させる!」と言われ、それからの目標は5001人に変わった。


2
、桜井会長との出会い


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

3、4回会社が倒産しそうになったこと。

設立した人材派遣会社も軌道にのり、天狗になって、倒産の憂き目を何度か見た。

何とかしようと、もがきながら色々な人に話を聞いて回った。

民事再生した仲間に話を聞きにいった時。

今は泥沼だ。

泥沼の中でもがいているようなものだから、何かにしがみついても脱出は出来ない。

一度全てを手放してストンと一番底まで落ちたら、地面を思いっきり蹴って跳ね上がればいい!と言われた。

それを聞いて、それまで中途半端にもっていた見栄やプライド等、邪魔なものを捨てることにした。

すると無駄なものが見え始め、事業縮小や人を見直すことが出来た。

もちろん自分から去って行く人もいたが、今の自分があるのはそういう経験があるからこそと感謝している。


夢は?

以前は明確な目標があったのだが、今は自分のステージをもっと高くし、何かをやろうと思っている。

まずは、学校教育の現場に一石を投じたい!

 

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