株式会社吉兆堂
株式会社ヒナタトレーディング
代表取締役
ミュラーアレキサンダー丈嗣氏
2020.8.19.14:00
◆業種
お香・防虫剤・CBD・紙袋・製造卸、試作加工・受託加工、南洋真珠買い付け加工販売
◆子供のころに なりたかったものは?
森羅万象 物の理に興味があった。
「虹は何でできてるんだろう?」等とよく考えていた。
中学校から大学まで神戸の関西学院で学び、特に中学校ではキリスト教主義に基づく全人教育を受けた。
教科では特に数学が得意であった。
大学進学は、どの学部でも選べたので、計算も物の理も好きなため物理学部物理学科物性物理を専攻した。
例えば、性質の違う金属を水の中に入れて温度を上げていき、水蒸気になって付着した混合物を調べる実験をするような学部だ。
ところが、物理学部のキャンパスは三田市にある。
友だちは皆、高等部と同じ西宮市にある美しい一面芝生を目前にした校舎。
当時は自分一人違うキャンパスでとてもがっかりしたが、美しい芝生の中にいたら今の自分はなかったかも知れない。
過去は変えられないから、そう思おうとしているのかもしれないが、結果としては良かったと思う。
大学を卒業して、自分のルーツ(父の故郷)であるスイスに1年間留学した。
高校生の時も1年間留学したが、この時はルーツという意識はさほどなかった。
大人になってからのスイスは言葉では言い表すことはできない程、肌で感じるものがあった。
1年後日本に帰り就職を考えた時、六本木のミッドタウンで働きたいと思った。
そこで計算が得意だったこともあり、金融関係を選んで就職した。
東京でサラリーマンをしてる間も神戸の実家にはよく帰っていたが、ある時、がんばっている父を手伝いたくなった。
神戸に帰って父の仕事を手伝ううち、90歳を超えた祖母も心配になってきた。
祖母はしっかりしているが、社長として銀行や取引先を訪問するのはさすがに大変だ。
そこで2年前に父の会社と祖母の会社を継ぐことになった。
幼少の頃から祖母には多くを教わった。
祖母は吉兆堂の創業者である曽祖父の息子の妻であったが、早くに夫を亡くし社長として90歳を超えるまで会社を切り盛りしていた。
94歳の今でも防虫剤の見積もりや紙袋のサイズ等の指示がLINEでくる。
LINEを使いこなし、私が少しでも既読のまま返事をしないと、「アレキサンダーは、既読になっていますが、どうなんですか?」といったメッセージが届く。
メンタリティが強くて、風邪をひいたとしても這ってでも仕事に行くような人だ。
母はその祖母の娘だが、仕事にはつかず母としてそばにいてくれた。
とてもやさしくて、愛情たっぷりに育てられた。
厳しいことも勉強しなさい等とも言われたことがない。
父は、ミスターちゃんと。
とても真面目でちゃんとした性格だが、とてもやさしく、躾以外で怒られたことはない。
一人っ子であり、父母双方の一人孫である私は、家族に大切にされてきたし、私も家族を大事に思っている。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
仕事、メールとLINEのチェックと返信。
必ず当日に何らかの返信をすると決めている。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
全(チョン)さん
雑誌編集者の全さんとは9年前に出会った。
人の紹介で出会ったのだが、その時全さんが「何度空振りしてもいいから常にホームランを狙っていけ!常にホームランと思ってバットを振るんだ。そうして当たった時がホームランだよ。」と言った。
当時の私の心に刺さった一言だった。
しかし全さんとはその後連絡を取っていない。
Faccebook等でお互いの様子はわかるが、仕事を任せて気軽に旅行が行ける程、もっと経営者として成長してから全さんに会いたいと思っている。
とても気になる人だが、その時がくるまで連絡は取らないと決めている。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
「Love Friends and The Campfire」
「愛 友だち 自然の中で着飾らずに」といった意味だが、この言葉で悟りの境地を表している。
イラストデザイナーのJonasという友だちと十牛図について話しているとき、彼が結局「Love Friends and The Campfire」と言った。
その時、私と二人で「そうだ!そうだ!」と感動した言葉。
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたるまでの10の段階を10枚の図と詩で表したもので、牛を探し牛に出会い、牛を見失い、牛を再び捕まえ悟りの境地を開いても、地上の世界で役に立たねば何もならない。
ここでの牛は真の自分の事を表している。
このデザイナーのJonasは、私の亡くなった叔父(廣瀬裕昭)に関係している。
この叔父は日本に初めてスノーボードを持ってきた仲間のリーダーだった。
叔父(母の弟)は33年前に心臓発作で亡くなったが、今でも命日には当時の仲間が祖母の家に集まる。
そのスノーボードをアメリカで買い付けしていたのが浅井さんという方で、その浅井さんは現在70歳になるが、60歳の頃ガンを患い、死を宣告された。
財産分与もしたところ、突然治ってしまい、アパレルで何か新しいことをしたいと、新たにピアスポーツを立ち上げた。
私がアメリカへ初めて浅井さんに会いに行くと、「待っていたぞ!廣瀬の血を継ぐのは君一人しかいない!一緒に仕事をするんだ!」と言われ今また新しい仕事が始まろうとしている。
その浅井さんがデザイナーJonasのライセンスを持っていた関係でJonasと友だちになった。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
2018年
2つの会社を引き継ぎ、結婚して子供が生まれたとき
今まで守られていたが、守るものが出来た。
妻や子供、そして会社、自分より大事なものが出来た。
それまでは遊び惚けヤンチャしていたが、人のために何とかしたいと考えるようになった。
エレベータにベビーが乗ってくれば労わる気持ちが湧いてくる。
それまでは何とも思わなかったのに。
仕事も一人ではなくチームなんだと思うようになった。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
問題はいっぱいあるが、人に話すこと、お願いすることで解決すると思うようになった。
経営者になってから、世の中にはできる人がいっぱいいることを知った。
それまでは単独行動。
自分一人で抱え込んで、自分で全て解決!全て自分でやるべきだ!と思っていた。
出来ないものは出来ないと素直に人に話す。
物凄く悔しいことであるけれども、向上心があれば自分の負を認めることで進化できる。
隠したり、ごまかしたりしても何の意味もない。
それと人を優劣で考えることもやめた。
人によって弱みも強みも違う。
生まれ持ったハンデを背負った人がいる。
それを馬鹿にして下に見ることは愚かなことだと思う。
いつ自分がそのポジションになるかわからない「明日は我が身」と心得、相手の状況に理解を示すようになった。
とは言え、マインドの弱い人は別、向上心あるが故のこと。
常に自由に前向きでいたい。
◆夢は?
家族に色々な経験をさせてあげたい!
家族みんなで旅行がしたい!!
自分が今まで行った国は40か国くらいあるが、それも全部経験させてあげたい!
人は経験や露出で育つと思っている。
その思いは結局、愛から来ている。
慈愛だと思う。
株式会社吉兆堂
https://www.kitchodo.com/
株式会社ヒナタトレーディング
https://www.hinatatrading.com/
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