昇龍の如し!ドン底から頂点へ!ボクシングで育成王



株式会社 渡辺プロモーション

ワタナベボクシングジム

代表取締役会長

渡辺 均氏

2012/1/27(金)

生年月日:1950年1月5日

出身地:栃木県今市市(現日光市)


渡辺均

 

◆業種

ボクシングジム経営・不動産業


◆子供のころになりたかったものは?

漠然と社長

建設会社の社長とかを漠然と想像していた。

他に、車のデザインやスポーツに興味があった。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

・人物:

 

1人目、母方の祖父母

幼い頃から、身の回りのことは全て祖父母が世話を焼いてくれた。

服を着るときは袖を通してくれるし、食事も食べさせてくれた程甘やかされた。

また生活を通して、勉強もさり気なく教えてくれた。

何をやっても褒めてくれたお陰か、小学校の低学年までは勉強も良くできた。

正に、誰にも負けない「天下」だった。

この頃に定着した「やれば何でも出来る」は、一生涯を通して私の宝になっている。

しかし、小学校4年生から、父の転居に伴い祖父母と別れて暮らすことになった私は、どんどん落ちこぼれていった。

父からは、それまでの甘やかしを打ち消すかのように「ダメだ、ダメだ。」と厳しくしかられた。

やさしい祖父母と別れた寂しさも手伝って、とても無気力な子供になってしまい、成績も気がつけば高校の時に、ビリから2、3番になった時もあった。

ところが、心の根底に「やれば出来る人間だ。」と思い込まされていたお陰で、好きなものに出会った時に立ち直り物凄い力を発揮することが出来た。

祖父母のお陰と感謝している。

 

2人目、株式会社アドフィー大貴 福田彰社長

 

現在の後援会長。

 

内山が世界チャンピオンになったのも、福田社長の援助があったからと感謝している。

 

・本:ボクシングマガジン、ボクシングビート


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「まあ見てて下さいよ、俺は誰にも負けないよ」

自分への叱咤激励の言葉であると共に、自信の確認でもある。

「三つ子の魂百まで」とよく言うが、幼い頃から培った「根拠のない自信」が私の支えであり原動力になっている。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

高校三年生で、ボクシングジムに入会した時

高校に入ってしばらくすると、ボクシング部に入部したいと思ったが、途中入部と体が未熟のため諦めた。

高校三年生になって、ようやく人並み以上に体格がよくなりボクシング部に入部しようと思ったが遅すぎる。

そこで近くにあるボクシンジムの門を叩いた。

入会すると楽しくて仕方がない。

高校を卒業して国鉄に就職しても、ボクシングを続けた。

ボクシングに没頭するうちプロテストにも合格。

しかし、世界の壁は厚く、自分がチャンピオンになることは諦めた頃、ジム運営での改善点に目がいくようになった。

ジム運営のアイディアがどんどん出てくる。

これは、選手より運営者に向いているのではないか?

この直感とも言える閃きと思いつきが人生を変えた。

自分のやりたい事、好きなことに出会った気がした。

もうその頃は、無気力人間とは無縁の状態になっていた。

初めのうちは国鉄職員を続けながら地元でボクシングジムを開いたが、地方ではうまく行かなかった。

ところが、そこから情熱は更に加速。

東京に出ようと考え、ボクシングジムがない地域の、山手線沿線で駅近物件を探した。

当時はボクシングジムを開くというと、条例などの問題があり立地には色々と条件があったし、貸したがらないオーナーも多かった。

ところが、五反田の不動産屋に出向いたとき、タイミング良く空きがでるという。

早速、ボクシングジムを開いた。

それまでのボクシングジムはプロを目指す人ばかりの集まりで、ちょっと打ってみたいとかダイエットのため、健康管理のため等という考えは少なかった。

それならば、と閃いた。

サラリーマンやOLの人がスポーツクラブ感覚で通えるよう、ジムの営業時間を長くし、雑誌に広告を出した。

すると会員があっという間に100人を超え、更に14、5年で800人に膨れ上がった。

事務仕事が嫌で仕方がなかったこともあり、国鉄を辞めてジム経営に専念した。

その後妻と二人三脚、良い選手・トレーナーにも恵まれてジムの運営に力を尽くし、情熱と集中力と故郷の親の資産のお陰もあって自社ビルを手に入れた。

最近では、念願の世界チャンピオンを育てることにも成功し、本も出版した。

高校三年生の時、ボクシングジムに入会しなかったら今の自分はないだろう。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

中学3年生の時、東電学園の入試に落ちた。

小学校4年生から徐々に落ちこぼれて来たが、東電学園に落ちたことはこたえた。


幸い、第一志望は合格したので、希望の公立高校に入学したが、勉強や学校に対して興味がなく、無気力な少年になり、成績も一時は下から2、3番目になった。

高校には、ボクシング部もあり「やってみたい」とは思ったが、体が未熟で途中入部にはためらいもあった。

結局、何の部活にも入らず帰宅部。

そんな自分がボクシングと出会い、気力を取り戻せたのも、根底に「やれば誰にも負けない」という根拠のない自信があったからこそである。


◆夢は?

「世界チャンピオン」を、あと何人も作る!

これは、自分の生甲斐であると同時に、私に与えられた使命でもある。

正直、世界チャンピオンを作るためにはお金がかかる。

ファイトマネーや会場費など、ジムの利益や不動産業の売上だけでは到底まかなえない。

また、スポンサー活動やチケット販売など容易ではない。

しかし、それでも世界チャンピオン育成という仕事は、非常にやり甲斐のある仕事だ。

一生涯を通してやり続けたい!

渡辺均著

「ダメ男が世界チャンピオンをつくった」
廣済堂出版

 

ワタナベボクシングジム

http://www.watanabegym.com/

 


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