日本再生に貢献し世界トップを爆走する「歯科医」王


DSヘルスケアグループ 

デンタルサポート株式会社

代表取締役社長・CEO 歯学博士

寒竹 郁夫氏

 

2013.3.26 1030


寒竹郁夫

 

◆業種

 

医療サポート、介護、歯科技工

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

歯科医師

 

父も歯科医師で開業していたため、自然とそう思っていた。

 

ところが、大学に入学して自分を取り巻く世界が広がってくると、他のことに目が行くようになった。

 

当時の歯科医師の王道は開業して一国一城の主になることだったが、もっとスケールの大きなことがしたい!と思った。

 

そう思ったのは、スポーツでも何でも幼い頃から自由にさせてくれた母の影響もあったのかも知れない。

 

歯学部卒業後は大学院に進学し、研究者になろうと思った。

 

むし歯菌のワクチンを開発してノーベル賞を取ろう!と、当時は本気で考えていた。

 

そのためには海外でも学ばなければと思い、語学も一生懸命勉強し、フロリダの大学への留学も順調に決まった。

 

ところが、毎日夢見が悪い。

 

自分の進むべき道は、そこではない気がしてならなかった。

 

当時の自分が置かれていた環境や将来を真剣に見つめ直し、そして自分の直感を信じて、留学を止めた。

 

研究者ではなく、開業する道を選んだのだ。

 

29歳のときだ。

 

開業するなら日本一の歯科医師になる!日本一の医療グループをつくる!と決意し、千葉市の稲毛海岸で歯科医院を開業した。

 

当時はバブル真っ盛りの頃であったので、開業したての若造でも銀行は喜んでお金を貸してくれた。

 

分院を展開し、土地を買ってビルを建てた。その結果、31歳で4億円の借金を背負うことになる。

 

その直後、バブル崩壊。

 

仕事や私生活での無理が祟って、肝臓を壊し1ヶ月の入院を余儀なくされた。

 

平成2年6月のことだ。

 

自分が働かなければ収入はないのに、返済はしなくてはならない。

 

当時は、何をどうやったのかよく覚えていないほど、必死な毎日だった。

 

その時に個人の力の限界を痛感し、日本一を目指すのであれば組織化していかなければダメだと思い至った。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

神棚と仏壇に、それぞれ2回ずつ向かう。

 

毎日朝と晩、どの神様ということではなく、根源の神様にお祈りをしている。

 

毎月の墓参りも欠かさない。

 

また、月に一度程度、一人の時間をつくっている。

 

志を実現するためには、イメージすることが必要だ。

 

私は自分の頭の中を整理して、新たに強いイメージを持つために以下のことを行っている。

 

1、なじみの蕎麦屋に行く。

 

一人で行くところがポイント。

 

2、その蕎麦屋で、越の寒梅という日本酒をぬる燗で2合飲む。

 

これは、熱燗や冷ではダメで、ぬる燗が良い、緊張が解けて良い状態になるのだ。

 

3、割り箸の箸袋を開いて長方形の紙を作る。

 

4、真ん中に「日本再生」と書いて四角く囲う。

 

5、しばらく「日本再生」の文字をじっと見つめて考える。

 

6、思いついたことを、日本再生の周りに細かく書く。

 

小さい紙に小さな字でびっしり書いていく。

 

月に一回、1時間程度のことだが、その時間は大切だ。

 

書いた紙は、持ち帰って捨ててしまう。

 

自分の中に強く残るから良いのだ。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

1、 織田信長

 

27、28歳の頃、山岡荘八氏の書いた『織田信長』を全巻読んだ。

 

そのころから、信長のように天下をとる人物になりたいと強く思うようになった。

 

2、今の妻

 

素晴らしい感性を持っている。

日々支えてくれていることに感謝している。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

中国の故事成句に「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す」というのがある。

 

蘭学医の緒方洪庵は、大坂に塾を開き、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内などを育て、日本の夜明けに貢献した。

 

自分も、日本一を目指し、「日本再生」という志をもって国に貢献すると決意した。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

平成2年に退院した後、病が回復して再び歯科医師として仕事をしているうち、知人の看護師からの要請を受けて、訪問歯科診療(高齢や寝たきり、障害があるなどの理由により、自分自身で歯科医院に通院できない方の自宅・施設・病院に歯科診療に行くこと)を行った。

 

平成9年のことだが、その時すでに日本は高齢社会に突入することは見えていて、主たる対象が高齢者となる訪問歯科診療は、今後ますます需要が高まることが予想できた。

 

当時の歯科医療界は、元々身体に疾患を抱えている患者さんをクリニック外で診療するリスクの高さなど、様々な理由により訪問歯科診療に消極的であった。だが、歯科を必要とする患者さんは多く存在し、今後も確実に増えていく。

 

そこで、訪問歯科診療に特化した組織をつくっていこうと考えた。

 

自らが株式会社の社長となり、歯科医師が診療にのみ集中することができるようにするため、株式会社が診療以外のすべてをサポートするという新しいビジネススキームを作り上げた。

 

平成12年の介護保険制度導入の前後は次々に企業が介護業界に参入し、訪問歯科診療のサポートという業態も新ビジネスの成長株として注目されていた。

 

順調に業績を伸ばしていた当時、今は無き大手介護会社に買収(事業譲渡)を持ちかけられた。

 

事業の成長性を見込んでいたのであろう、破格の金額を提示されたが、その話を断った。

 

当時その大手介護会社は当社の株式も持っており非常に良い関係ではあったが、根本の部分である医療や介護に対する考え方が「自分の理念と合わない」と思えてならなかった。

 

話を断ると当時の幹部社員以下、本部スタッフのほとんどを引き抜かれてしまい、翌日に当社と同じ事業内容の別会社を設立された。

 

日本経済新聞など大手5紙に一面広告が掲載されるという派手なスタートだった。

 

当然組織は混乱し、業界にも様々な噂が飛び交った。

 

そんな状況に、自ら辞めていったものも大勢いた。

 

業績を見ると利益が上がったようにみえるのだが、人件費が減ったためで、この1年間はとても苦しかった。

 

そんな中「自分は何のために経営をしているのか」「自分が成すべく使命は何なのか」を、原点に立ち戻って、内観し熟考した。

 

その時に確立した企業理念が「医療の倫理と企業の論理の融合」であり、今もそれを掲げている。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

心に希望の灯を決して消さないこと。

 

どんなことがあっても、僅かでもいいから灯を消さない。

 

そうすれば乗り越えていける。

 

これを「喜神(きしん)を含む」という。

 

人生のどん底であっても、自分でその「どん底」を受け止め「今の自分は全てが底だ。このピンチを受け入れ底を味わおう」とすること。

 

 

◆夢は?

 

1、幕張地区にIR(インテグレートリゾート)を誘致する。

 

日本経済を再生させるための大きな起爆剤となる。

 

2、グローバル展開

 

日本の医療・介護を、アジアを中心として世界に展開していく。

 

「日本一になる」という目標は達成された。今後は世界を相手に日本を背負って仕事をしていく。

 

現在も当社は中国やドバイで医療を展開しているが、それを拡充させて「世界一」の医療・介護グループとなる。

 

国策でもある「医療の産業化」は民間主導でなければ実現しないと考えている。

 

二つとも「夢」ではなく、すでに実現に向けて動いている。

 

「日本再生」は自分の生涯のテーマであり、グループの社員たちにも大きな志を持って仕事と人生に臨んでもらいたいと思っている。

 

DSヘルスケアグループ デンタルサポート株式会社

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