世界の子供たちの命に寄り添う「ちゃんと生きていくぞ!」王


 

一般社団法人 アジア支援機構

認定NPO法人アジアチャイルドサポート

代表理事

池間哲郎氏

 

2014.8.21 14:00


池間哲郎

 

業種

 

カメラマン

映像制作会社経営

国際協力活動

 

子供のころになりたかったものは?

 

獣医

 

動物が好きだったため。

 

子供の頃は、かなりのワンパクで、樹木をなぎ倒したり、舟をひっくり返したり、多くの悪戯をし、警察官だった父に2回程留置所へ入れられた。

 

但し、「警察官の子供」、という自覚が何処かにあったため、人に危害を加えるような事や物を盗むという事はしなかった。

 

 警察官の父は暴君で暴力的でもあった。

 

何度、親父に殴られた事か。

 

それでも親は親。

 

父親に対する尊敬の念は深い。

 

どんな事があっても親だから、亡くなった今でも尊敬している。

 

両親に対しては、父に殴られている最中でも「産んでくれて、ご飯を食べさてくれて、大きくしてくれて、しかも寝る所があって、それだけで親というのは90点を超える、ありがたい存在。」と思っていた。

 

そんな私の姿勢に父が「お前にはかてないよなぁ。」と言っていた。

 

90歳を超えた母は、今でも健在だが、会いに行くといつも謝ってばかりいる。

 

私の、大学進学のためにとっておいたお金も生活費に使ってしまったことや、かばってやれなかった事等、何一つ文句を言わなかった私に「ごめんな。ごめんな。」と言い続けいている。

 

しかし母は、いつも「お前を信じている。お前なら1人でも生きていける。」と私を信じてくれていた。

 

貧乏や暴力があったからこそ、中学生の頃から自立出来たのだと感謝している。

 

今思えば、反面教師とはいえ、これも教育だったのかも知れない。

 

私が娘を持った時も、父親である私には敬語を使わせ、何があっても逆らうようなことはさせなかった。

 

小言は全く言わないが、人をだましたり、母親の悪口を言ったりしたら、それはもう大変。

 

怒ったら誰にも止められない程。

 

「何があってもお母さんは正しい。」と教えた。

 

私は妻が大事だし、悪口も絶対言わない。

 

配偶者の悪口を言う人は、男も女もあまり好きではない。

 

また、娘たちへの金銭的援助は大学卒業までとし、それ以降は自立させるため一切しなかった。

 

講演活動を通して、多くの子供たちを見て来て、あまり豊かすぎると、心の柱が育たないと思ったからだ。

 

私は高校を卒業後、獣医師になろうと決意して東京に出た。

 

アルバイトをしながら予備校に通ったが、2年で挫折し沖縄へ戻った。

 

土木作業、コーラの配達、牛乳配達、ホストクラブ、畜産業など全ての職業とまでは言わないが多くのアルバイトを経験した。

 

26歳の時、サラリーマンにはならない!と思っていたが、社会を知るためにも必要と考え家電メーカーに就職した。

 

子供の頃から、誰に言われる訳でもなく募金等をよくしていた性格上、お給料が入ると、一人でホームレスに毛布を配って歩いたりした。

 

両親からは、「なんで人助けなんてするんだ。」と、逆に怒られることもあった程だ。

 

29歳で「人の喜んでいる顔が見たい!」と、ビデオ映像制作会社を設立。

 

当時はホームビデオが出始めたばかりで、結婚式やプロモーション、CM等の撮影を手掛ける。

 

そして、現在も会社経営は続く。

 

国際協力団体代表としての立場からの給与は一切無い。

 

生活の基盤は映像制作会社からの利益のみ。

 

1980年代の後半、仕事で有る途上国を訪ねた時に児童買春の現場に遭遇。

 

その衝撃は大きかった。

 

それから売春や児童売買の現状を調べる為に子供達の出身地である村々を訪ね調査を行う。

 

その原因の多くは貧困であった。

 

貧しさから来る大きな悲しみは私の胸に深く突き刺さる。

 

そして自分の出来る範囲で少しずつ支援を始めて行った。

 

 

毎日欠かさずしていることはありますか?

 

朝起きた時、「ちゃんと生きて行くぞ!」と、心にグッと思う。

 

目覚めた瞬間、瞬時に思う。

 

死んでいく子供たちをたくさん見て来たから。

 

 

自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

尊敬する方があまりにも多すぎる。

 

ただ常に自分が責任者と思っている。

 

人物

・イエローハットの創業者、鍵山 秀三郎氏。

 

トイレ掃除を毎日続けた人。

 

人の行動として影響された。

 

・戦争時の日本兵

 

戦地で日本のために戦った姿は、自分の中に大きな影響を与えた。

 

兵士は、普通の教員や床屋のお兄ちゃん等、普通に生活していた人達だ。

 

とても尊敬している。

 

特に志願兵した特攻隊は、これから30分後には死に向かって飛び立っていくのに、殆どが笑顔でいることが凄く衝撃的だった。

 

どう見ても演技ではない。

 

しかも学歴もある優秀な人が多かったと聞いている。

 

この笑顔は何なんだ!?と追求すると、「日本を守りたい!」ただそれだけだった。

 

負ける事も分かっていただろう。

 

その笑顔は「日本人としての誇り」だったのだと思う。

 

 

・デールカーネギーの著書

特に「道は開ける」

 

衝撃的だった。

 

物事は、しっかりとした道筋をたてて、毎日をちゃんと歩いて行く事が大事と思った。

 

青年時代にとても影響を受けた一冊。

 

 

自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「大人になるまで生きる事」

 

フィリピンのマニラにあるトンド地区で、ゴミ捨て場で暮らしている少女に、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねると、「大人になるまで生きる事」と返って来た。

 

まさに人生を変えた衝撃の一言だった。

 

しかも、その答えは、この少女一人だけでなく、たくさんの少年少女から聞いた。

 

「大人になるまで生きる事」

 

今でもそう言うだろう。

 

皆、10歳前後の子供たちだ。

 

この時から、支援活動に生涯を掛ける事を決意した。





人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

1993年、ゴミ捨て場で暮らしている少女たちの夢を聞いた時。

 

ビジネスだけやっていたら蓄財も多く持てただろう。

 

しかし、支援活動をすることで人生が100倍に広がった。

 

深い幸せを感じる。

 

嬉しいからやっているだけ。

 

ボランティアという概念からは遠く、誰かを助けるとかいうものではない

 

楽しいからやっているだけ。

 

活動をしていると、劇的なドラマが毎日起きる、これを生で体験できるのだからとても感謝している。

 

例えば、ハンセン病患者の女性が、私と出会った時は「殺してくれ!」と叫んでいた。

 

指も鼻も落ちて、足も片一方を切断されて、あまりにも醜い姿に変わり果てた自分に、どうしようもなくて叫んでいたのだ。

 

ところが面倒をみていくうち、だんだん綺麗になって、ちゃんと生きていけるようになり、結婚も出来た。

 

私が援助の手を差し伸べた孤児が、ちゃんと学校に行って、大学を卒業し結婚して子供が出来たなんて報告を聞くととても嬉しい。

 

普通に生きていたら到底味わえない喜びと感動だ。

 

また「命を支えた」という意味では日本の子供の方が遥かに多い。

 

何故かというと、日本の子供たちは素晴らしい子供たちだが、環境が整って平和である分心が弱く、外を見た事がないから、自分たちの恵まれた現状がわからない。

 

心が折れる、自殺したい等といって本当に自らの命を絶ってしまう子も多い。

 

当初、私はカメラマンなので、アジアの子供たちの現状を伝えようと、写真展を開いた。

 

すると、親御さんたちから「講演をやってもらえないか?」と声を掛けられた。

 

今日まで2938回の講演をしてきたが、その内の40%は学校だ。

 

講演後に子供たちから手紙をもらう事も多く、以下のような内容が多い。

 

「おじさんの話を聞くまでは死にたいと思った。死のうと思っていた。しかし、おじさんの話を聞いて、いかに小さな事で悩んでいるかを知った。ちゃんと生きて行きます。」

 

今の子供たちは中々静かに講演を聞くなんて事は出来ないので、大人の10倍は力が必要になる。

 

最初のうちは50連敗、やっても、やっても静かにしないし、ウロウロするし、それでも諦めず続けた。

 

あまりにも騒がしい時は、「静かにしろ!ふざけるなー!」と一喝すると、「シーン」と静かになる。

 

やはり、そういうことも大事だ。

 

ただ講演中、「教える」とか、「変える」という意識はゼロ、ただ「伝える」ということをする。

 

それだけで、日本の子供たちは、「もっと真剣に生きて行かなきゃいけないな。」とか「もっと親に感謝しなきゃ。」と気付く。

 

ゴミ捨て場で暮らしている少女と出会ってから約10年後、一人でコツコツ続けていたことをマスコミに取り上げられると多くの人が集まって来た。

 

それまで自己責任で、生涯一人でやっていこうと決めていたが、人が集まってしまったので、仕方なく事務局をつくり任意団体を設立した。

 

しかし、人は集まってもお金を出す人はおらず、勢いで集まった人々は直ぐにいなくなった。

 

事務局をつくるという事は、事務所の家賃等多くの経費がかかる。

 

結局、私の持ち出しが増えただけだった。

 

そうなると最初からわかっていたから、団体はつくりたくなかった。

 

「お金がなければ支援も調査も出来ない。」これが現実、綺麗事ではすまされない。

 

 10年近くは一人でコツコツと活動を続ける。

 

全て自分のお金で自己責任でとの思いで続けていたのだが、団体となる事により経費がかかり、逆に私自身に資金的な負担が重くなって来た。

 

「もう団体はやめて、元の個人の活動に戻ろう」と何度、思った事だろうか。

 

それでも、人は一度やると決意した事は、どんなことがあってもやめたらダメになる。

 

子供たちも大学生でお金もかかるし、会社も小さいし、大変な時だったがやり続けて来た。

 

私一人だった団体も、2002年11月18日にはNPOとして認証を受け、今では4000名もの会員と皆でお金を出し合って活動している。

 

利益もない、名前もでない、それでもやりたい!という人が、日本人には1%に満たないかも知れないがいる。

 

その1%との出会いが今となった。

 

今までに、井戸1000基、学校104校を造り、エイズやハンセン氏病の施設も造り支援活動を続けてきたが、支援先で「『ありがとう』と言われてはいけない。」としている。

 

個人的な感謝は一切厳禁。

 

もし私を神様扱いでもしたら、もう2度と行かないと言っている。

 

4000名にも上る方々が出し続けてくれている「無償の愛」の支援金を使って活動している。

 

信用と信頼のためにも、自分たち個人が感謝されてはいけない。

 

ただ、私たちが日本人であることはアピールする。

 

支援した国の人に日本を好きになってもらいたいからだ。

 

私たちの造った学校で勉強した子供たちは、皆「日本が好き」という。

 

 外国に出た時には「地球市民」なんて言葉は使わない方が良いのかもしれない。

 

私の体験上では有りますが「自国の歴史を良く知り、日本人としての誇りを持つ」毅然とした人間でなければ外国では相手してくれない例が多い。

 

世の中というのは、愛とか平和では生きていけない。

 

何しろ戦争が無くなった事は一度もないのだから。

 

どんなに小さな国の人であっても、「自分の国を守る。」という意識が高く、敵が攻めてきたら今すぐにでも国のために命を捨てるという。

 

「日本を背負っている」という気合がなかったら、とても対抗出来ない。

 

更に、私たちの活動は、誰も行かない地域でする事もい。

 

 治安状況が悪い支援現場も、かなり有る。

 

車や資材の手配等を交渉する時は、泥棒相手にしていると思わないと難しい。

 

ちょっと油断したら、騙されてしまう。

 

皆、生きるか死ぬか、精いっぱいの状況で生活しているから少しでもお金を取って豊かになろうとする。

 

これが当たり前と、わかっているから腹も立たないが、そうさせないように厳しく対応する。

 

 

だから、子供たち以外には絶対に笑顔を見せない。

 

何度も騙されて今がある。

 

また、いくら情がうつっても、皆に最低限の生活をさせることが理念だから、特定の人を特別に扱うことは無い。

 

「愛情ごっこ」では成り立たないし、私たちがいらなくなることが一番の成功。それが出来たら「スッ」といなくなる。

 

「教育が貧しさから抜け出す第一歩。」と思って活動している。

 

ただ、団体の職員には、「私たちの仕事は、人の命を預かる仕事は最大の名誉、誇りを持て!」と言っている。

 

人の命を預かる活動をボランティア気分でやってほしくないので、事務局の人には一般企業と同等の給料を支払い、福利厚生もボーナスも支給している。

 

ボランティアでは生活出来ないし、夢も持てない。

 

プロの仕事をしてほしいから。

 

但し、好きな事をやりたくてやっている私の給料は、映像会社から出ていて、寄付や支援金の中からは頂いていない。

 

事務局の維持費も一般的には60%と言われているが、皆さんから頂いた心のこもった支援金は、活動費に比重を置きたいため23%程度に抑えている。

 

 

問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

日本人の誇りを持って活動している。

 

日本は戦前、台湾を始め多くの国々を支援してきた。

 

その「先人たちに恥をかかせないように。」という思いが支えになっている。

 

過去には、会社の利益を活動費に使いすぎて倒産しそうになったこともある。

 

こういった活動のお金は、自らが感じて出してくれるものだと思っているから、街頭で募金活動をした事も、お金がなくなったから出してくれと言った事もない。

 

しかし、活動を止めれば人が死ぬとわかっているから、何が何でも止められない。

 

足りない時は私財を投げ売った。

 

「お金がないから。」では通らない。

 

後に、東京の会員が多くなり、人様から支援を頂いている以上、ここ東京に「私はここから逃げないぞ!」と杭を打つつもりで東京の事務所を私財で購入した。

 

無理をしてでも、「東京に骨を埋めるぞ」という覚悟を見せないとダメだと思ったからだ。

 

また、こんな活動をしていると誹謗中傷は当たり前と思っている。

 

リーダーは、誹謗中傷の中心で生きる覚悟をしないと出来ない。

 

私財を投げ打って活動しようとする人なんて、実際には殆どいないから、「お金をどこかでプールしているぞ」とか「どこかに女がいるぞ」とか悪い噂が直ぐに広がる。

 

これは当たり前の事で、当然の事と受け入れる。

 

私の悪口を聞いた時は、「がんばってるな。」と思ってほしい。

 

人が生きる喜びに比べたら、たいした事じゃない。

 

 

夢は?

 

国際協力関係の学校と、日本の素晴らしさを学ぶ学校をつくる!

 

一昨年から「日本塾」という私塾を始めた。

 

日本の素晴らしさをもっと日本人に伝えていく!

 

私たちが教えられてない日本の歴史。

 

特に現代史が失われているから、日本を大事にしようという気持が薄れてきていると感じている。

 

個人が集まっての国家だから、一人一人が自分の国をちゃんと知ってちゃんと愛する事が大事。

 

特に海外から日本を見ると強く思う。

 

世界一の歴史を持った国家なのだから、天皇陛下のこともよくわからないといけない。

 

右も左も関係ない、日本を愛しているだけだ。

 

認定非営利活動法人アジアチャイルドサポート

http://www.okinawa-acs.jp/

 

池間哲郎Facebook

https://www.facebook.com/tetsuro.ikema

 

池間哲郎 主宰 「日本塾」

池間哲郎FB参照、並びにイベントカレンダーで告知中

お問合せ rsa75194@nifty.com (一般社団法人アジア支援機構 池間理恵)まで


 





 

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