日本文化の継承と育成に心血を注ぐ「なぞらえ屋」女王!



有限会社La−Moon

代表取締役 

有里紅良氏

2012/6/7 1300


有里紅良

 

◆業種

劇作家、小説家、漫画原作、アニメ編集


◆子供のころになりたかったものは?

1、プラネタリウムのナビゲーター

2、紙芝居屋さん

3、アニメーター
『アニメーターとは、商業用セルアニメの制作工程において、作画(連続する静止画を作成し、動く映像にする)工程の原画・動画を担当する職制の総称として使用される。Wikipwdia参照』

高校生になると、自ら率先して「漫画研究会」発足。

紙芝居に描いた絵を、わざわざ一枚一枚カメラで撮影し、スライドにして台詞をつけ、スライド上映会を開催した。

顧問になって下さった先生も呆れる程。

夏休みも毎日高校に登校し、作成する程夢中になった。

幼い頃から絵を描く事が好きで、物凄く集中する少し変わった子供だった。


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

携帯で情報を収集。

末期癌の患者である私は、発作が起きると物凄い痛みに苛まれ寝込んでしまう。

そんな時でも携帯からネットを通じて、外部からの情報を得ることを欠かさない。

また、ツイッターなどで情報を発信することもある。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

故 長浜忠夫氏

「ひょっこりひょうたん島」や「巨人の星」、「ベルサイユのばら」等の演出家。

TV番組「超電磁マシン ボルテスV」が好きだった私は、「アニメージュ」というアニメ専門誌を通して長浜先生の存在を知った。

高校生の時、ファンレターを送ったところ、返事を下さりお会いすることになった。

ファンレターになんと書いたのかは忘れてしまったが、何か心に留めて下さったのだ
と思う。

私の通う高校にも訪問して下さり、自作スライド紙芝居に声の主演をして下さった。

「君は演出家になった方がよい。高校を卒業したら僕の横で学びなさい。」とのお言葉通り、卒業式の3日後に業界入りした。

後に、フィルム編集として虫プロダクションに所属したが、長浜先生との出会いがなかったら今の自分はない。


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「上がらない雨はない」「明けない夜はない」

発作が来ると、足元から真っ黒な手がグルグルと巻きついて、ズルズルと下に引きずり込まれるような痛みが起こる。

我慢して痛みに耐え抜くと、薬の助けもあっていつかは抜ける。

いつか痛みが抜ける、と分かっているから頑張れる。

1999年に右胸に乳がんが見つかり摘出手術を受けた。

本当は一年前から「しこり」に気づいていたが、大きなイベントを控えていたので仕事を優先するあまり放置していた。

イベントの成功を見届けて病院にいった時、しこりはゴルフボール程になっていた。

幸い手術は成功したが、5年後に再発、今は全身に転移している。

それでも病院の抗癌剤は拒否し、痛み止めだけ処方してもらっている。

病院の抗癌剤を服用すると、がんを抑制すると同時に他の機能も抑制してしまうため、何も出来ない状態になってしまうからだ。

それでは本来の私ではない。

仕事が出来ない身体になりたくない。

その変わり、民間療法の抗癌剤を服用している。

生き方も死に方も自分で選ぼうと思う。

人生の途中で挫けてしまうと今の仕事の結果がみられないので、最後まで頑張りたい!


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

20年間やってきた仕事が突然なくなったとき

私は、アニメのフィルム編集を20年間やってきた。

それがある日突然一切不要となったのだ。

自分を否定されたかのようで、物凄い虚無感に苛まれた。

かつてのTVアニメでは、セル画やフイルムはなくてはならない存在だったのに。

デジタル化が進み、画像もデータ化されるようになった今は無用の存在。

全く必要のない立場になってしまったのだ。

幸い、少しずつ漫画の原作などを手がけていたので、作家にシフトすることが出来た。

更に、フィルム編集は女房役と呼ばれ個性を出すことはあまりないが、作家は個性を表に出し、自分の内側を確実に表現出来る。

今は作品を作ることに没頭している。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

挫折はちゃんとしないとダメ!

ダメな自分を受け入れないと次に進めない。

受け入れて解消するのだ。

今まで、人として当たり前に出来ていたことが出来なくなった今、特に思う。

一度座り込んでしまうと一人では立ち上がれない。

誰かに手を貸してもらえば立ち上がれるのに、何とか一人で立ち上がろうと頑張る。

しかし、一人では転んでしまう。

何度も転んで、悔しい思いをした。

そういう自分を受け入れて、初めて人に「手を貸して」と言えた。

幸い私には、「手を貸して」と言えば、直ぐに手を差し伸べてくれる、仕事仲間で同居人のねむちゃん(漫画家の夢来鳥ねむさん)や夫がいる。

人として欠けていく自分を観るのは恐ろしい。

しかし、私は次に進むために受け入れ続けた。

そのお陰か、ガンの再発から10年近くも仕事をしながら生き続けている。


◆夢は?

今手がけている舞台作品「なぞらえ屋」をもっともっと大きくしたい!

作品に携わった人々の誇りに思えるような作品にしたい。

特に役者は、どの作品に出演したかが自分の功績になる。

カンパニーにいる若い人たちのためにも、皆が履歴書に堂々と書けるような作品にしたいのだ。

「なぞらえ屋」とは、繰り返し起こる不可解な出来事を読み解き、違う方向に導くというお話。

例えば、だれがやっても、何をやってもはやらない店があるだろう。

そういう場所の因縁を読み解き、グルグル回っているループから別の新しい軌道へ救い出す。

前人の犯した失敗を繰り返すことを、たとえて「轍(てつ)を踏む」という言葉がある。

轍とは、車輪の跡のこと。

同じ過ちを繰り返さないように、その間違った轍に楔(くさび)を打ち、別の道に導くのだ。

例えば、いつもおしゃべりが多くて失敗を繰り返している人がいたら、「ここのところは黙って一言もしゃべらないで下さい。」と指示をだし習慣を意図的に変えてやる。それがなぞらえ屋の仕事だ。

こういった発想は、世界中の古くから伝わる風習・伝承、昔話や古事記などを学ぶ中から生まれた。

また、私たちの作品作りは、昔から言霊を大事にしてきた。

特に日本では、ものを数えるにも、1(イチジク)、2(ニンジン)、3(サンショ)に4(シイタケ)といった具合に言葉遊びが有効に活用されてきた。

そういった日本特有の文化を、舞台劇や漫画、アニメ等を通して広く伝えて行きたいと思っている。

2012年7月6日〜8日吉祥寺前進座劇場で、『なぞらえ屋〜開闢九重千曳〜』公演です。

ぜひ観にいらしてください。

「なぞらえ屋」公式サイト
http://stage.la-moon.net/index.html


有限会社La−Moon
http://www.la-moon.net/index_j.html