世界一のラジコン王!



/Cカー(ラジコンカー)
18年連続200万人の頂点!
元世界チャンピオン
広坂正美氏

  2009/6/12

出身地:京都府

生年月日:1970年2月26日


広坂正美


◆業種

/C ラジコンカー レーサー


◆子供のころになりたかったものは?

『実車のレーサー』

両親が大の車好き、特に父は、実車のバイクレースに夢中でした。

父は毎年開催されていた鈴鹿サーキットでの6時間耐久レースで、3位入賞経験もあるほどの超マニア。

母はピットでサインボードを出すなど、いつも父のサポート役で、しばしばヘルパー賞をもらっていました。

その頃の僕は、ピットエリア内の爆音の中で、乳母車に乗ってスヤスヤと眠っていたそうです。

周りが騒がしくても、乗り物に乗っていても、熟睡できる特技?は今も少しも変わりません。

物心がついた頃は、ヨーロッパのスーパーカーが大ブームだったこともあってか、車の消しゴムやスーパーカーを写真にしたカードや、おもちゃのミニカーなどが、常に僕の身の回りに散乱していました。

庭では自分が乗ってペダルを漕いで動かす車に乗り、タイヤなどでコースを作って遊んでいたのも、おそらく父の影響でしょう。

5才くらいの時に、両親からプレゼントされたR/Cカー(ラジコンカー)が、R/Cレースを始めるキッカケとなりました。

ちなみに当時のことは全く記憶にありません。

7歳の時、R/Cレースに公式戦があることを知り参加。

なんと初参戦、初優勝することが出来ました。

そこから、R/Cカーレースにはまり、夢中になりました。



◆毎日欠かさずしていることはありますか?

『朝起きたらまずは感謝』

僕を生かしてくれている空気他、全ての存在に感謝、「ありがとう」という気持ちを持ちます。

もちろん両親他、ご先祖様にも「ありがとう」。

そして 「今日一日、お付き合い宜しくお願いします」 と自分にも挨拶します。

自分一人の力だけで今日の自分があるわけではないので、常に思い上がることなく、感謝の気持ちを忘れないよう心がけています。



◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

『その多くはレース上での現場で起こったことが僕を変えてきました』

それは、時にはライバルだったりチームメイトであったり、時には競技運営者や観衆からの影響もありました。

これまでの人生においては、ほとんどの時間をレースに費やしてきたからです。

僕の支えとなったのは、家族、スポンサー各社、メカニックを担当してくれた方々、そして応援してくれた全てのファンの皆さんです。

学生の頃には、Dカーネギー氏の著書の他、気持ちを高めるために哲学書をよく読んでいました。



◆好きな言葉は?

『 「ありがとう」 ・「負けてたまるか!」・「上には上がある」 』

「ありがとう」

R/C
レース世界選手権で優勝した時には、溢れんばかりの感謝の気持ちでいっぱいになります。

心からの幸せを実感する一時でもあります。

大きくは、世界中が、「ありがとう」という感謝の言葉と、その気持ちを持った人々で溢れる状態になって欲しいと願っております。

「負けてたまるか!」

大きな勝利を勝ち取るには、ライバルとお互いの人生をかけての真剣勝負をすることになります。

自分のスキルを上げる為、あらゆる可能性を追求し、あらゆるトレーニングに励みます。

しかし努力したからといって、その先に必ずしも勝利が用意されているわけではありません。

それくらいは誰もがしている事だからです。

そんな時に支えとなるのが 「負けてたまるか!」 この言葉です。

土壇場にはいつもこの言葉に助けられます。

この言葉を、自分が踏ん張るための力添えにします。

苦しい時に自然と湧き出てくる言葉でもあります。

それが正しかったのどうかはわかりませんが、今まで決して気持ちが折れてしまうようなこと(挫折)はありませんでした。

「上には上がある」

競争する時、常に念頭に置いている言葉です。

競争の世界、特に"世界一"の座を争う場においては、これを忘れてしまうと "勝ち続ける" ということからは遠ざかってしまいます。

例えばあるレースで優勝したとしても、そのレースの表彰式が始まる前から、すでに次のレースが始まる。つまり "終わる前から次が始まる" のです。

翌日にはライバルに追い抜かれているかもしれない。

常に 「上には上がいる」 という気持ちを忘れないことにより、たとえ頂点に立っても思い上がることなく、今日の自分に勝る明日の自分作りを目指し、頂点を維持し続けてきました。

"
最強のライバルは自分自身だ!自分に勝てれば相手に勝てる!" と、常に自分に言い聞かせて来ました。



◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

『初参加の世界選手権』

初めて参加した、アメリカ・ラスベガスで開催された世界選手権において、ある日本人選手に計測ミスがあり、本来の順位より低く発表されてしまいました。

それに対し、主催者側にクレームを出しにいくと、「日本人がそんなに早く走れるわけがないだろう!」と言われ、クレームは却下されてしまいました。

この一件が、僕のどこかに眠っていた、大きなスイッチを入れました。

当時はまだ高校生でしたが、脳裏から決して忘れ去ることが出来ないほどのダメージを受けると同時に、日本人に対しての海外からの認知度の低さを痛感し、「強くならなければ!」と感じました。

"
絶対に世界で1番になってやる!"

そう強く決意した時でもあります。

それからは、今まで以上にあらゆる方法を模索し、練習に練習を積み重ねました。

世界選手権の決勝の舞台において、たった8分間の試合時間に、何年間もかけて自分が信じてやってきたことを100%出し切るためです。

もしも負けてしまったら、そのやって来たことの全てに対して、更に自分自身の存在をも全否定される結果となってしまうのです。

世界一とはそういうものです。

自分のやってきたことが、一つでも間違っていたら1番にはなれない。

人間の能力には、さほど大きな個人差は無いと思います。

ましてや世界レベルでは、ほんの少しのミスで1番かそれ以下かが決まってしまうという、とてもシビアなものです。

しかし、1番と2番では大違いです。

勝つために、日頃の練習においては、一見 R/Cレースとは関係なさそうな、筋トレや食事療法、メンタル強化や呼吸法の勉強などは当然の事、その他にも様々な特訓を行いました。

他の選手がしないような事であっても、スキルアップ出来るであろう、自分の思いつく限りのことをやり尽くしました。

レースの本番近くになると、毎日夜寝る時に、レースのシュミレーションをしながら目を閉じます。

それは、本番で雰囲気にのまれないようにする事と、常にレースを意識しながら気持ちを高める事が狙いです。

その中でも、ライバル選手の名前が実況されるところをイメージすると、心臓の鼓動が早く、強くなり緊張が全身に走ります。

気持ちを引き締めることと同時に、本番でいざ同じ状況に立たされた時でも、「焦らないぞ」 という自信を付けるトレーニングにもなります。

実は本番においては、 "どれだけ上手く力を抜けるか" が、勝敗を大きく左右する要ポイントとなるので、事前のシュミレートは非常に効果的です。

僕のこれまでのポジションは、自分が "チャンピオンになり続けたい" と思ったからこそ続けて来れたのです。

もし、 "僕は勝てなくてもいい" と思っていたとすれば、すぐに 1位の座は他の人にとって代わられていたことでしょう。

だから常に 「目標=世界一」 に合わせたプランを立てていたのです。

その方法は、自分で考えるのはもちろんのこと、ライバル達がしていることを勉強したり、本やネットで情報を得たり、考え付く限りのあらゆることを試みました。

"
勝てるんだったらどんなことでもする!" という思いでやってきました。

とは言っても、相手の練習を邪魔するような、アンフェアーなことはしませんでした。

練習においてもレースにおいても、いつも 「どうぞあなたの実力を存分に発揮してください」 という姿勢です。

全ての人に与えられている時間は同じであり、競技はいつでも、全ての参加選手に、平等な条件下で行われなければならないと思うからです。

日本以外の国では、"自国の選手が勝ちやすくなる""より有利にする事"を 「やらない方がおかしい!」 と言う国もあります。

僕のように 「誰もが平等な条件で」 というやさしい考え方は、世界でも稀なのかもしれません。

このように、理想と現実は異なりますが、たとえ不利な状況下に置かれたとしても、それをあえてバネにしながら勝利して来れたのも、あのラスベガスでの一件があったからこそだと思います。 「日本人がそんなに早く走
れるわけがないだろう!」 と言われた事は、今では感謝の思いしかありません。

ところで、2008年11月にタイランドで行われた世界大会で、22年前と同じような事件が起こりました。

再び日本人選手に対する計測ミスです。

ところが今回は 「日本人だから」 とないがしろにされることも無く、納得のできるタイムに変更してくれたのです。

これを聞いたとき、僕の第一の使命が終わったと感じました。

今ではR/Cレース界において、日本人を見下す人はほとんどいません。

タイランドでの出来事は、日本人の地位向上に使命感を燃やし、「ここまでがんばってきて良かった」 と、心から思える瞬間でした。

また、15歳の愛弟子である 日本人選手の松倉直人 君が、昨年度 (2008年)
の世界選手権において、世界選手権に出場すること2回目にして、世界一に輝くことが出来ました。

そして僕は、7歳から32年間やり続けたレース活動を、一つの区切りとして公式な試合からは引退し、次のステップに進むことを決意したのです。



◆問題障害或は試練は?どうやって乗り越えたのですか?

『プレッシャーを与えて乗り越える』

自分にプレッシャーを与えて、逃げられない所まで追い込み、それを "何としても乗り越えるぞ!" という強い気持ちを持ち、それが達成できた時、次の段階に進むことが出
来るようになりました。

また、レース用のラジコンカーを作って売っている立場であったため、 "勝てなければ生活できない" という環境が、僕を強くしてくれた要因でもあります。

そして常に "決して諦めない気持ち" を持つことを大切にしてきました。

レーサー広坂正美として一番嬉しいことは、“勝つこと” です。

逆に一番辛く苦しいことは “負けること” です。 この、一番辛い、 "負けること"
によって、自信を無くしてしまったり挫折するのではなく、逆にバネにして気持ちを高める事が重要です。

そして負けた次は、必ず勝つのです。

マイナスをプラスの力に変換する考え方です。

近年の日本では 「競争」 ということを避けすぎているように感じます。

学校の運動会でも、順位をつけないところがあると聞きます。

これでは、やる気のある強い人間は育ちにくいのではないでしょうか? 負けを素直に認め、心からの悔しさを味わうことがないと、なかなか人にはスイッチが入らないものです。

潜在している本来の能力を引き出すことが出来ない、と言い換れば良いでしょうか。

自分を活性させるために “負け”を利用します。

悔しさを素直に、純粋に味わうこと (心底から悔しさを感じる) で、自分自身の中で切れているスイッチを入れることが出来るのだと思います。


◆夢は?

『R/C でどこまで社会貢献出来るかに挑戦していきたい』

子供の頃から現在に至るまで、僕を育ててくれた模型業界に恩返しをすることも含め、R/Cホビーをより多くの方々に楽しんでもらい、R/Cレース界においては、もっとメジャーなものにして、“精神のスポーツ ”としての認知度を高めていきたい。

同時に日本の技術力の高さもアピールし、海外から見た日本の認知度を高めていきたい。

また、R/Cイベントをメジャーな場所で開催することや、あらゆる技術を教える場となる広坂道場を持ちたいです。

 

広坂正美 facebook

http://www.facebook.com/people/Masami-Hirosaka/100002290192573