屈強な屋台骨を持つITマルチ王!



株式会社ズィット

代表取締役社長

水谷時雄氏

 

2009/11/10


水谷時雄

 

◆業種

 

IT業界

WEBシステム関係

eコマース・商取引

 

 

◆子供の頃になりたかったものは?

船員 

小学生の頃、兄の友人が船の機関士で、航海して帰ってくると我が家に来て外国の話をしてくれた。

例えば「エンパイヤステートビルは当時一番高いビルだったが、間近で見ると高すぎてわからない。」などと聞くと本当に行って見たい!と強く憧れた。

 


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

趣味に関すること。

小唄、囲碁、陶磁器の鑑賞などだ。

陶磁器に関しては、特に骨董品が好きで、歴史を感じる。

九谷焼の古いものは古九谷というが、最近まで窯元が見つからなかった。

それらしき窯元は佐賀県地方で見つかったが、佐賀県地方は伊万里焼で有名だ。

そのため、古九谷は実は古伊万里の一時代で同じものではないかとの説がある。

その福岡市に近い須恵町の須恵焼きに偶然であったことがある。

須恵焼きの完成品は250個しかないと言われているが、ある時長野の須坂市で内の3個に出会うことが出来た。

有名な収集家の持ち物だったが、その作品は赤くところどころにタイルのような丸い模様が施されていて、なんとも言えず素晴しい作品だった。

そのときに見たのは3個、後247個は何処にあるのだろう。

そう考えただけでもロマンを感じるが、更に歴史を反映していることがある。

1638年江戸幕府がキリシタン狩りをした。

隠れキリシタンは伊万里の陶芸家に多かったらしく、そのとき全国の方に逃げた陶芸家が身を隠しながら須恵焼きとして作品を残したのではないか?というのだ。

陶器や磁器は時代を物語る奥深いものだ。

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

1、新卒で就職した新日鉄の新部長

新日鉄には最終的に30歳まで勤めたのだが、部下から3人共産党員が出たという理由で人事からも直属の上司からもにらまれ、給料評価は同期の2階級も下だった。

そんなある日、新部長が配属されてきた。

その部長が、私の仕事ぶりを見て評価との差に気付いてくれた。

それからは、私を評価し物凄く仕事を与えて活躍の場を提供してくれた。

ビジネスの感性を教えてくれた人だ。

例えば、企画書のグラフの書き方だが、「変化していると言いたいのか?変化してないと言いたいのか?どっちを言いたいグラフなのかはっきり示せ。」横広く書けば変化していなく見えるのだと教えてくれた。

表現の仕方やビジネス取引において自信をつけさせてくれた。

それが、今に生きている。

今やIT業界も、何人で、いくらでつくったかという製造コストで価格が決められている時代だ。

ユーザーとして考えた場合、人件費は10人分出すよりより6人で収まるならその方が良いと考える。

出来上がった作品がどんなに優れていても人数分の人件費しか貰えない。

ならばパッケージ化して販売すれば、出来上がったものに対して価格を設定できるため良いものを作りさえすれば販売者としては利益を上げられる。

私は、売上を伸ばさない主義だが、売り上げより安定収入の追求である。

 

そいて、少しでも多くの給料を社員に支払える。

 

さらには、接客・経営は、人間関係・コミュニケーション能力が一番大切だと考えている。

特にリピーター率に繁栄される。

安さが売りの紳士服屋に、待ち合わせの時間調整のため入店したことがある。

入口に「2着で13,000円」と書いてある。

その商品は標準サイズが3、4着ハンガーに吊るされているだけで、少々サイズの大きな私は奥の方に入って行った。

すると先に行けば行くほど価格が上がる、しかも戻ろうとすると若い女性店員2人が道を挟んで立っていて戻るに戻れないようにみられた。

ずっと奥へ奥へと進んだ。

一番高い価格にたどりつき、ネクタイもシャツも靴下もと勧められ一式買うことになってしまった。

最後に靴も勧められたときはキレそうになった。

「靴まで買わせるのなら、全てキャンセルするからな。」

もう二度とこの店には行くまい。

 

この店長は売り上げに貢献できている。

又、高級な飲食業もそうだ。

銀座の高いすし屋でおもいっきり食べて、店で何万円もする高い酒をキープさせた上自分たちで1本を空けてしまい、「もう一本いいですか?」とくる。

私は酒を飲まないが、男として「どうぞ」となる。

しかし、そこまでお金を出させると次のお客にいってしまった。

二度とその店には行かなくなった。

紳士服屋も銀座のクラブもその日の売上は良かっただろうが、リピーター率は上がらないだろう。

それどころか、あの店に行ったら散々な目にあわされたと悪評を流されかねない。

上司や経営者は売上だけを見がちだが、私はリピーター率で評価している。

そんなビジネスセンスの基礎を養ってくれたのが、新部長だった。

私は先に退社して、TI業界で独立した。

新部長はその後、新日鉄の子会社で取締役にまでなったが、落ち着くことがなく、私が中国に合弁会社を作ろうとしていたこともあり、恩返しのつもりで「中国の社長にどうですか?」と連絡をした。

ところが、なんとその10日後に亡くなってしまった。

その、訃報を私が一番に聞くことになった。

なぜかと言うと、そのかたの財布に唯一入っていた名刺が私のものだったそうだ。

物凄く感謝している。

 

 「思い出の人です。いつも、天上より見ていてくれています。」

 

2、シャーロックホームズ、ルパン、ナンセン、アムンゼンなどの推理小説が大好きで、小学校5,6年の頃読み漁った。

その後は探検、小説の文学に興味を持ち、特にヨーロッパのことを案内してくれた夏目漱石、森鴎外は読破した。

特に夏目は、孤高の人で「さみしい」といって死ぬ人。

近代的自由を象徴していたように思う。

まわりに我が自由を求めると逆に他人の心に入れない。

なぜなら、相手の心に入るのは無作法になるからだ。

自由ということを考えさせられた。

高校生になるとハンスリックの『音楽美論』、ベートーベンやワーグナーなどを論争に巻き込んだ人で、原典で読みたくてドイツ語を独学で勉強しマスターした思い出もある。

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

全社に対して「3K」を提唱している。

「感謝・謙虚・競争」である。

競争は、切磋琢磨することによりお互いをみとめることである。

そして共生より競生に。

しかし、自分はまだ出来ていない。

出来ていないからこそ、提唱している。

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

30歳で独立したとき。

「新日鉄は私を必要としていない」と思ったから、会社を辞める決意が出来た。

当時、鉄鋼業は盛んな伸び率を誇っていた。

新日鉄の年間延び率は16%。

しかし、自分の給料伸び率は10%であった。

この人生をグラフ化すると50歳前で、新日鉄は自分を「いらない」というだろうと予測した。

後にこの予測は当たった。

私個人というよりも、鉄鋼業界に不況が来て、経済界の代表としてリストラをしたのだ。

鉄鋼業界がリストラの走りと言われている。

当時は55歳定年制、同期の仲間は定年直前の52、3歳の時リストラされることになったのだ。

逆に私の会社は、大手IT企業が株の等価交換を申し出てくるほど業績を上げていた。

1971年、当然のことながらウインドウズ95も出ていない時代である。

新日鉄時代からプログラミングをしていたが、あんなことはめんどうくさくて技術としては嫌いだった。

何とかならないかと思って、米国にヒントを得て開発しレンタルソフトウエアを発売した。

これが大ヒットを飛ばしバカ売れしたのだ。

人生とはわからないものである。

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

「新日鉄は俺を必要としていない」と思ったとき。

大企業ではない別の生き方(起業)を見出すことによって乗り越えた。

反省は、失敗を謙虚に受け止めるので謙虚な姿勢に近いと思っている。

しかし、後悔は悔やむだけ、いくらしても次に繋がらないことを学んだ。

 

◆夢は?

人を育てながら、社員一人当たりの売上を伸ばしたい!

新規ビジネスの発想がいくつもある。

エネルギーがあり、人を説得できる限りやり続けたい。

リスクの少ないものから手がけていくが、業種はITから飲食と様々だ。

特に最近考えているのは、やきとり屋だ。

大分にあるやきとり屋は変わった焼き方をする。

それを東京でやってみたい。

今は、プロジェクトが終了してしまったので別のところに移動してしまったがその昔、大分に支社があった。

ここのやきとりが食べたいから大分に支社を作ったといっても過言ではない。

他に、婚活バーやコミュニケーションバーも実行している。

  

株式会社ズィット

http://www.zit.co.jp/voice.html


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コメント: 1
  • #1

    石川雅敏 (日曜日, 07 1月 2024 10:38)

    あけましておめでとう。
    むかしの人の住所録を整理していたら、水谷さんのが出てきました。
    パソコンでみたら社長様、さすがですね!
    相変わらず元気いっぱい素晴らしい!こちらも畑作業や読書、囲碁などで頑張っています。
    今年もよろしく。また会いましょう!
             牛久 いしかわ(元新日鉄)