勧善懲悪のヒーローを全身全霊で創出!漫画家王



漫画家

平松伸二氏

2011/6/11() 14:00


平松伸二

なんと!!平松先生のオリジナル作画4枚入り!


 



◆業種

 

漫画家

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

漫画家

 

幼いころは、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などが好きだった。

 


小学生の頃になると、原作:梶原一騎氏の「あしたのジョー」や「巨人の星」を好んで読んだ。

 

しかし、この頃はまだ、「どうしても漫画家になる!」という強い決意があった訳ではない。

 

同級生と同じように、当時流行っていたテレビドラマ「七人の刑事」を見れば、刑事に憧れるというような子供だった。

 

只、絵を描くことが好きで、家の壁に鉛筆で絵を描いてしまったこともある。

 

かんしゃくもちの祖父に見つかり、ひどく叱られたことを覚えている。

 

しかし、両親に怒られたことが殆どない。

 

三人兄弟の末っ子だったこともあり、自由にさせてくれた。

 

中学生になると、漫画を本格的に学びたくなり、当時の登竜門であった、石ノ森章太郎著「石ノ森章太郎のマンガ家入門」を買って学んだ。

 

本格的にストーリー漫画に取り組み始めると、専門のペン「Gペン」が必要になったが、岡山県の山奥に住んでいたためそうそう手に入らない。

 

しかし、母に「Gペン買って来て。」と頼むと、気軽に買って来てくれた。

 

今思えば、農業に従事していた母は、どこで「Gペン」を買って来てくれたのだろうか?

 

間単に手に入るものでもなかっただろうそのペンを、文句ひとつ言わずに買ってきてくれた母に感謝している。

 

しかし、その母は中学2年生の時にガンで亡くなってしまったため、自分の作品が入賞したことさえ知らない。

 

そのことが少し、心残りだ。

 

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

夕食前に、神棚に向かいご先祖様に感謝。

 

最近は、「東日本大震災の被災者の方が、一日も早く笑顔が取り戻せるように。」と、お願いしている。

 

物心ついたときから、神棚はあってあるものだったので、30年前に家を新築したときも当たり前のように神棚を作った。

 

そのころからずっと続けている。

 

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

本:

 

原作:梶原一騎氏、作画:川崎のぼる氏の「あしたのジョー」や「巨人の星」

 

吉川栄治著「宮本武蔵」

 

中でも、「巨人の星」は野球の英才教育の話であるが、人生の学びになった。

 

作中の話で、主人公の星 飛雄馬(ほし ひゅうま)の、早朝ランニングをしているいつものコースが道路工事中だったことがある。

 

そのため、近道をして家に帰るといきなり父親にぶん殴られた。

 

「いつものコースが工事中だったら、遠回りしてくるのが当たり前だろう」ということだ。

 

「男なら、険しい道を選ぶ!」その姿がとてもカッコイイと思えた。

 

「目標を達成するためには、楽をしたらいけないんだ。」

 

その時、険しい道を選ぶことが自分の身になることを学んだ。

 

 

人物:

 

漫画家の中島 徳博氏

 

18歳で、初めてアシスタントに付いた漫画の師匠

 

毎日、物凄く忙しく、寝る間も無い状態だった。

 

中島先生が、寝不足のため体調を崩し、毎日吐きながら仕事をしている姿を目の当たりにし、仕事に対する姿勢を学んだ。

 

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、「心が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命がかわる」

 

最近聞いた言葉だが、「本当にそうだなぁ」と自分を戒めている。

 

2、「報われない努力があるとするならば、それは努力が足りないからだ。」

 

王貞治氏がソフトバンクの小久保選手に言った言葉

 

世界最高の本塁打数記録を始め、数々の日本プロ野球記録を保持する「王貞治氏」に言われたら、何も言い返せない。

 

努力あるのみ。

 

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

中学1年生のとき

 

あまり勉強をしない子供で、授業中もノートに漫画のイラストを落書きしていた。

 

それまでは、漫画の挿絵を見ながら真似をして描いていたのだが、ある日、自分の頭の中でイメージしたものがそのままノートに描かれた。

 

立体的で、動きのあるイラストが自分の手で描かれた事実に物凄く感動した。

 

「あっ描けるじゃん!俺って天才!」だと思った。

 

人生の転機は色々あるが、この時、この瞬間が自分にとって一番の転機である。

 

この頃から、ストーリー漫画の作品に取り組むようになった。

 

中学2年生の時、初めて31ページを書き上げ、中学3年生の時に、週刊「少年ジャンプ」の作品募集に応募した。

 

発表される日、街中の高校に通う兄に少年ジャンプを買って来てもらった。

 

「お前の、載ってるぞ。」という言葉とともにジャンプを受け取った私は、興奮で息を飲みながら発表のページをめくった。

 

すると、ほんの1センチ角だが、イラストも掲載され、自分の名前が佳作の欄に載っていた。

 

嬉しくて、嬉しくて、飛び上がった拍子に鴨居に頭をぶつけてしまった程だ。

 

この時の感動は今でも忘れられない。

 

この後も、高校生活の間5、6回程、賞を頂き、東京の出版社から編集担当の方が家まで訪ねてくるようになった。

 

「高校を卒業したら、東京に出ておいで」とスカウトされた。

 

これがきっかけで、漫画家への道が開けたのだ。

 

才能と努力と運のお陰だと思っている。

 

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

1、原稿の仕上がりが、いつも締め切りギリギリになってしまうこと。

 

毎回、「今度こそ早めに仕上げよう!」と思うが、16歳でデビューしてから40年間一度も出来ていない。

 

これは、今でも課題になっている。

 

 

2、作品が打ち切りになったとき。

 

30歳前後の時、2回連続で連載が打ち切りになった。

 

少年ジャンプには毎週23作品ほどの連載が掲載されているが、毎週読者アンケートでランキングが発表される。

 

その順位が低いと連載打ち切りになるのだ。

 

それまで、描いていたヒット作は原作者が別にいて、自分で考えたストーリーではなかった。

 

ある時、編集担当者の人が、「漫画家は自分でストーリーを考えないと、ただの絵描きだ。そんな漫画家を、俺は認めない。」と言った。

 

それを言ったのは、高校生の時、一番最初に来た編集さんだった。

 

それが物凄く悔しくて、自分でボクシングや野球を題材としたストーリー漫画を発表したが上手くいかなかった。

 

その時、自分を振り返った。

 

ヒット作を見ると「ドーベルマン刑事」も「ブラックエンジェルズ」も勧善懲悪だ。

 

読者は、水戸黄門のような勧善懲悪を期待している。

 

「勧善懲悪の漫画が自分は得意なんだ。」と気づいた。

 

原点回帰したお陰でスランプを脱出できた。

 

しかし、最近は勧善懲悪のネーム(セリフ入れ)作業に疲れを感じている。

 

悪役のネーム入れをしているときは、自分も物凄い悪党になりきる。

 

その直後、主人公のネーム入れをするときは、悪に対する物凄い怒りを感じる。

 

善と悪ともに、真剣に感情移入しているので、完全に疲れ切ってしまう。

 

仕事が苦しく、ぐったりしてしまうことが多くなった。

 

机に座っても、仕事モードに切り替えるまでに時間がかかる。

 

そんな毎日に、「言葉」の欄に上げたような言葉を胸に、自分を奮い立たせている。

 

 

 

◆夢は?

 

ドラゴンボールやワンピースのような、長く広く人々に支持される大ヒット漫画を作りたい!

 

「この時代(平松伸二)は良かったなぁ」と思われるような作品を残したい。

 

 

「ザ、松田 ブラックエンジェルズ」連載中!

 

日本文芸社刊 「別冊漫画ゴラク」

ぶんか社刊 「本当にあった笑える話」