命懸けで日本を守る!報恩のエンターティナー王




株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 

俳優

元ムエタイ王者 

武田幸三氏

2011/4/4 1300


武田幸三
武田幸三

 

◆業種

 

俳優 (元格闘家)

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

獣医

 

動物が好きだったことに加え、子供ながら獣医はお金が稼げると聞いたから儲かる仕事がしたかった。

 

5歳の終わり頃、自宅が火事で焼け、家をなくした。

 

それと同時に両親が離婚。

 

母と祖母と妹二人の5人家族となったが、住むところがない。

 

知人の好意で、工場の倉庫に住まわせてもらった。

 

母が、昼はチリ紙交換、夜はスナックで仕事をしながら私たちを育ててくれた。

 

疲れているはずなのに、小学生の頃などは毎日プロレスごっこの相手をしてくれた。

 

父親のいない穴埋めをしてくれた、母の気持ちが痛いほど分かった。

 

自分は相当なマザコンだと思う。

 

家族に男は自分ひとりだったため、幼い頃から母の愛情を感じながら、「家族を守らなくては!」と自覚が自然と身に付いた。

 

大人になったら、獣医になって稼ごうと勉強も必死にがんばった。

 

ところが、中学3年生の頃に母が再婚。

 

以前から、自分たち兄妹も知っている凄く良い人だったので、なんだか拍子抜けしてしまった。

 

自分が頑張らなくていいと思った。

 

高校受験の真っ最中だったが、それ以来テレビばかり見てダラダラと怠けるようになり、成績はガタガタに落ちた。

 

半年程たった頃、自分の様子を見かねた母が29インチのテレビを2階から投げ捨てた。

 

今のような薄型テレビではなく、奥行きのある重たい物だった。

 

あまりにも驚いて「これは尋常ではない!」「大変なことをしてしまった!」と思った。

 

そこに、父が翌日新しいテレビを買ってきて、脚本・主演シルヴェスター・スタローンの映画「ロッキー」のビデオを見せてくれた。

 

小学生の頃から好きだった、ハングリーなロッキーを見て改めて奮起した。

 

勉強を再度やり始めたが、受験期のピークに半年も怠けていたためどうにも追いつかない。

 

結局、高校は希望のところには入学できなかった。

 

更に、希望していた格闘技の部活も無かったためラグビー部に入部した。

 

しかし、高校生活は楽しく、お陰で大学は「ラグビー推薦」で入学することができた。

 

大学2年生の時、ラグビー部の寮で、始めてK1をテレビで見た。

 

8人のトーナメントで、なんと優勝賞金は2,000万円だ。

 

8人のトーナメントということは、3回勝てば優勝だ!

 

「よっしゃ!これだ!」と思った。

 

K1のプロになるため、さっそく大学を辞めて、タウンページでジムを探した。

 

自宅の近くにあったし、タウンページの中で一際目立つ「治政館ジム」を選んだ。

 

獣医にはなれなかったが、K1で「稼げる男」になるために!

 

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

ランニング10Km

 

小学校3年生の頃に見たロッキーは常に走っていた。

 

だから、走っていれば「成功」するのじゃないかと考えて、そのころから毎日10Kmを走り続けている。

 

そのため、マラソン大会は常に1番。

 

今でも、毎日走っている。

 

考える時、迷った時は走る。

 

走ることで成功に近づける!

 

これが自分の基本だから。

 

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

1人目:キックボクシングの師匠「長江 国政」氏

 

治政館ジムの館長。

 

キックボクシングのテクニックも、人として、男としての振る舞いや生き方も教えてくれた人。

 

試合には厳しい人で、「リングではお客様あってのものだ。ファンを沸かせてこい。」といつも言っていた。

 

言ってしまえば、選手というのはジムにとって稼ぐ道具だ。

 

ところが、長江師匠は違った。

 

負けた試合の後は体がボロボロになる。

 

そんな時、大きな試合のオファーがきても師匠はキッパリ断った。

 

ある時、それでも何とか試合に出してくれと、相当な金額を積まれたことがある。

 

自分としてはやりたかったが、師匠は「ふざけんな!」と、なんのためらいも無く断った。

 

「俺の一番の仕事は家族の元に五体満足でお前を返すことだ!」と言った

 

全てを託せる方だ。

 

2人目:父(育ての父)

 

判定勝ちをした試合なのに大喜びで帰ってきた時、父に「お客さんは喜んだのか?」と聞かれた。

 

試合を振り返ると、そんなにお客さんは沸いていなかった。

 

「そんなんじゃダメだ。本当のプロというのは、そんなもんじゃないだろう。」

 

普段無口な父で、元ボクサーだったこともあり一言が響く。

 

そんな父の背中を見て育つことが出来たことは感謝だ。

 

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「報恩」

 

沖縄の最南端にある寺院に書いてあった言葉。

 

この時、今までファンやスタッフに支えられて生きて来た。

 

今度は恩返しをしなければ!と思った。

 

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

24歳、「ムエタイ」最初の試合。

 

野球選手が、野球発祥の地「アメリカ大リーグ」に憧れるように、自分もキックボクシング発祥の地「タイのムエタイ」に挑戦したくなった。

 

それまで20戦、連戦連勝が続き日本では恐いものが無くなっていた。

 

余裕でムエタイに挑戦した。

 

ところが、試合が始まる前に、リングに入って相手の目を見たときから恐くなってしまった。

 

ボッコボコにやられ、5ラウンドの間、恐くて逃げ回る試合になってしまった。

 

師匠からは「命を張れないならやめろ!」と言われる始末。

 

お客さんもドンビキだった。

 

タイ人は、5歳位から200戦ぐらい戦い抜いてきている。

 

その上、他の仕事では食べていかれない環境にある。

 

本当に命がけだ。

 

それに比べ、自分は他にも食べていこうと思えば食べていかれる。

 

日本は恵まれていることを実感した。

 

しかし、よく考えれば自分だって大学を辞め退路を断って始めたことだ。

 

他に行くところもない。

 

だったら恐いなんて言っていられない。

 

前へ出よう!

 

そう自問自答し、再帰を誓った。

 

しかし、この試合の次から、チケットが1枚も売れなくなってしまった。

 

お客さんは正直だ。

 

リングで命を落とすより、お客様の信用を落とすことの方が恐いことを知った。

 

そんなことになっても、長江師匠は自分を試合に使ってくれた。

 

そのお陰で、お客様からも少しずつ信用を取り戻すことができた。

 

長江師匠は、今でもこれからも永遠の師匠だ。

 

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

覚悟する。

 

特に、最初のムエタイの試合で自分の中の覚悟が変わった。

 

キックボクシングのスタイルは殆ど変わらないが、精神が変わったのだ。

 

具体的には、自分で自分を追い込み克服することで自信を付ける。

 

試合50日前になったらスイッチを入れる。

 

これは経験から培った方法だ。

 

『50日50勝』を実践している。

 

一日の練習スケジュールをこなせたら一勝。

 

一日一勝50日、自分に勝ってからでないと相手に向き合えない。

 

一日の練習スケジュールは自分で決めるのだが、できるだけ高いところ目標を設定する。

 

サンドバック、スパーリング等、吐くほどに自分を追い込む。

 

試合相手だって、素質もあり、練習量も相当なものだ、とことんやって試合に臨む。

 

極端な例だが、ライオンの檻に入って向き合っても、精神的に負けないくらいのところまで持っていく。

 

これがリングインするときの自信に繋がる。

 

そして自問自答もする。

 

「おまえ本当にやりたいのか?」

 

「やりたい!」

 

だったら前進あるのみ!

 

そうやって、あの初戦の恐ろしさを克服しチャンピオンになった。

 

また今、俳優として動きだしたばかりだが、キックで培った経験をいかして勝負をしている。

 

 

 

◆ 夢は?

 

将来、自分を振り返った時、自分で自分が納得出来る生き方をしたい!

 

例えば、試合相手を選ぶ時、勝てそうな相手を選ぶのではなく、厳しい相手を選ぶ。

 

自分を高いところに導くために、あえて厳しい方を選ぶのだ。

 

「男はやせ我慢」

 

今まで72戦の試合の中で、顔に250針も縫った。

 

死ぬ思いも何度もした。

 

東日本大震災の中、芸人さんや俳優や格闘技などの興行に対しては賛否両論だが、皆、必ず被災された方々のことを心の何処かにおきながらやっている。

 

心において、日本国民として自分の仕事を全うしているのだ。

 

それを感じていただきたい。

 

俳優や芸人さんの世界も、格闘技の世界も、何の世界も命がけなのだ。

 

また、格闘技で言えば、新極真空手代表の緑健児さん、芸人さんで言えば、島田紳助さん、明石家さんまさん、ダウンタウンさんたちのように、多くの人を命がけで守れる人間になりたい。

 

更に、キックボクシングでは、若手たちに食べて行ける環境を作りたい。

 

それには試合数を増やさなければならない。

 

自分がメディアに出ることで、キックボクシングの世界に貢献したいと思っている。

 

俳優としては、ラストサムライの渡辺謙さんが目標だ。

 

武田幸三オフィシャルブログ

http://ameblo.jp/takeda-kozo/