なにもかもが奇跡的に上手くいく!「ゲストハウス ELEVEN VILLAGE 吹屋」農家民宿王


ゲストハウス ELEVEN VILLAGE 吹屋

代表

田川寿一氏

 

2016.6.5(日)1430


田川寿一

業種

宿泊業


子供のころになりたかったものは?

J
リーガー

小学校3年生の頃から高校一年生までサッカー少年だった。

小3の時にJリーグが発足し、世の中はサッカーブーム。

サッカーしかしていなかったといっても過言ではない。


毎日欠かさずしていることはありますか?

3つある。

1.瞑想

1年前位から始めた。

毎朝5時に起きて直ぐにする。

目を瞑って、1分2分の時もあれば30分する時もある。

忙しくなり始めた頃、心が乱れている事に気付き、落ち着きたくて始めた。



2.速読の練習

大阪の脳トレの先生に教えてもらってから毎日している。

目を上下、前後に動かして、眼球のトレーニングをしてから始める。

本は目で読んでいるのではなく脳で認識していると教わり、横書きの文章も全体を上から下に読む。

脳の処理能力が上がり、本が早く読めるようになったと共に、積極的になったと思うし楽しいので続けている。


3.コーヒー

ミルで毎日入れている。


自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

1
、大場さんと石部さん

「ゲストハウス ELEVEN VILLAGE 吹屋」を始めるきっかけをくださり、色々と応援してくださる人。

大場さんとの出会いは奇跡的だった。

田舎暮らしの良さを伝える為に、農家民宿をやりたかったが、農家民宿を手掛ける前に貯金が尽きた。

生活費を稼ごうと仕事を探すが、この時、不思議なくらい何処にも採用されなかった。

子どもも生まれたばかりで電気も止まり、家賃も滞納している状態。

食事は近所の人が野菜をくれるし、薪もたくさんあるから暖はとれた。

更に、事情を知った大家さんが家賃を免除してくれたが、携帯の充電が出来ない。

外部との連絡を遮断してしまったら終わりと思い、1時間半くらいかけて大型スーパーの授乳室で充電しながら友達に電話をかけたり、Facebookを更新したりしていた。

電気が止まって2週間した頃。

魚の行商に来た人と話しをしている時、自転車が通りかかった。

その翌日その自転車の人から「農家民宿をやりたいんだったら良いところがあるよ。」と携帯に電話が入った。

その良いところが、ここ現在の「ゲストハウス ELEVEN VILLAGE 吹屋」であり、その自転車の人が大場さんだ。

その一本の電話がなければ今の自分はない。

正に神のささやきに聞こえたが、よくよく考えてみると、その自転車の人が何で農家民宿をやりたいって知っているのか?何で自分の携帯番号を知っているのか?不思議だ。

そこには偶然がいくつも重なっていた。

魚の行商人が店を開いていた場所は大場さんが営んでいるカフェの駐車場だった。

その日、予定の時間になっても行商の人が来ないので、駐車場にカフェのポスターが貼ってあったので電話してみた。

その通話先が大場さだった。

「魚の行商の人は、まだ来ないんですかね。」と尋ねると「今、そこに着いたよ。」と教えてくれた。

その時、私の顔を大場さんは見ている。

しかも、行商の人と話しをしている時、自転車で通りかかった大場さんには「農家民宿をやりたいんですよね。」というところだけが耳に入ったのだそうだ。

とにかく現地を見に行く事にした。

現在の「ゲストハウス ELEVEN VILLAGE
吹屋」を下見に行った時、大場さんに「オーガニックカフェもやりたいんですよね。」と話すと、「あーカフェも空いているよ。」という。

「ただ土日はやっている人がいるから平日だけだけどね。」と言われたが、電気がまだ止まっている状態の我が家にとっては、大変ありがたいことだった。

早速、翌日からカフェを開業。

我が家の食材を使っての営業だったが、「若い人が来た」と地元の人がたくさん来てくれた。

しかも、土日に営業していた人は元々やめたかったらしく、土日も我が家で営業する事になった。

その日から日銭が入ってくるようになり、仕入れも出来、電気代も家賃も払えるようになった。

そして、オーガニックカフェをしながら「ゲストハウス ELEVEN VILLAGE
吹屋」の準備をし、大場さんとの出会いから約2年後にオープンすることが出来た。


2、妻

妻とは29歳の時出会った。

大阪で一人暮らしをしている時で、友達は周りにたくさんいたが、孤独感を感じていた。

仕事が上手く行っている時は、たくさんの人が寄って来るが、上手く行かなくなると去っていく人がいる事が寂しかった。

寂しくて色々考えている時、みんなが一緒に楽しく暮らせる村をつくりたいと思うようになった。

衣食住、インフラやエネルギーまでも地域内で完結できるコミュニティーをつくりたい!

妻と初めて会ったとき、「なんかとても良い感じの子だなぁ」と思い、村づくりの話をしたら、「いいね、それ。」と言ってくれた。

そんなこと言ってくれた人は初めてで、とても嬉しくなった。

1年後に結婚した。

フリーターだった私との結婚を心配するご両親に、妻は「寿一君の夢と結婚したんだから大丈夫」とキッパリ宣言してくれた。

しかも、高梁市に移住する前は、仕事してある程度お金が貯まると仕事を辞めて、「うまれる」という映画の上映会や「物々交換会」、「本気で語る会」等の大したお金にならないイベントをやり続けていた私なのにだ。

いつも、鍼灸師である妻が物心共に支えてくれた。

更に電気が止まっていた期間も2週間くらいあったのに、文句一つ言わないどころか「寿一君、今度は乗り越えられると思うよ。」と言ってくれた。

「そうですね。もう妻には感謝しかないです。」




1
、高橋 歩著「毎日が冒険」、「LOVE & FREE

大学1年生の頃に読んだ本。

村をつくる計画や家族を大切にしながら自分の好きな事で生きていくことに共感。

著者は実際、沖縄でカフェバーやゲストハウスを運営していて、10日間位滞在したこともあるが会えなかった。

しかし、その時メッチャ楽しくて、村づくりに対して大変影響を受けた。


2
、ロバート キヨサキ著「金持ち父さん、貧乏父さん」

大学3年生の頃に読んだ本

両親がサラリーマンだったこともあり、大学を卒業したらサラリーマンになるものだと思っていた。

ところが、サラリーマン以外にも自営等色んな職業の選択があることを知り、大学卒業後、いきなりDJやバーテンのアルバイトを始めた。

大学のサークルでダンスも始めていたので、音楽やダンスやDJに心惹かれたのだ。

大学卒業までの学費を出してくれた両親は、なんの文句も言わなかった。

その後、バーテンのアルバイトは1年で辞め、ネットワークビジネスを7年くらいしていた。

ネットワークビジネスもそれだけでは食べて行かれないので、ずっとアルバイター。

それでも両親は、「車の免許は取れよ。」と言う程度で、なんの文句も言わなかった。

その時だけではない。

良く考えてみれば、小さい頃から、やりたいことは何でもさせてくれたし、文句も言われた事が無いことに気付いた。

改めて両親に感謝した。


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「全ては上手く行っている」

仕事があまり上手く行っていない時に、「なんとなくこの言葉を贈りたくて」と友達からいきなりメールが届いた。

その時、「あぁそうか!上手く行っていると思ったら上手く行くんだ!」と思えた。

それからは、「全ては上手く行っている」といつも思っている。


人生の転機はいつどんなことでしたか?

1
、友達が、自分が作った竹炭を買ってくれると言った時

電気が止まっている状態で、授乳室からマーケティングの得意な友達に相談の電話をかけた。

現在の状況や夢、取り組んでいる事を話すと、「今、“J”(寿一)がつくっているものを買うよ」と一万円分の竹炭を買ってくれた。

ここで流れが「バン!」と変わった。

「いいんだ!」と思った。

それまで、色んな営業をしてきたのに、自分に本当にお金が無くなったとき、人に営業する事が出来なくなっていた。

なんだか勇気を取り戻した感じで、それから友達に電話をかけまくった。


2
、携帯販売の営業成績が中国地方で1位になった時

高梁市に移住してきて、いろんな面接に行ったがことごとく断られ、人づてに紹介してもらった携帯販売の営業。

これが性に合っていたのか、営業成績が岡山県を通り越して中国地方で1位になった。

しかも自分のやり方で!

このことで自信が付き、「今迄自分が考えて来たやり方でいいんだ。」と強く思えた。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

高校1年生の終り、サッカーをやめた時。

サッカーの名門校であったので、入学予定の中学3年生が毎年入学前の3月に練習に来る。

その中学生を見て凄く上手いのにショックを受けた。

それまで誰よりも練習している自信があったし、将来は「Jリーガー」と思っていた。

しかし、その中学生が入学してきたら負ける事になるかと思うとプライドが許さなかった。

特進クラスにいたので、先生から「進学のためにも学業に専念するか、サッカーを取るか決めた方が言い。」と言われたばかりだったので、サッカーをやめる事にした。

だからと言って勉強もしなかった。

それまでサッカーしか興味がなかったのに、サッカーをやめた途端、女の子に興味が行くようになり、ポケベルを通じて友達になった女の子たちとの文通に夢中になった。

勉強もせず、3年生になったときの偏差値は30になっていた。

当然大学は無理、一浪して予備校に通った。

その予備校時代の英語の先生、西岡先生の教え方に感動。

「答えは全部あなたが持っている」と言い、人生の話を交えながら引き出す感じで授業を進める。

「ああ、こんな先生になりたい」、更に英語も極めたいと思い、大学は外国語学部に進学した。

改めて考えると、「Jリーガー」も「英語の先生」も「ネットワーカー」も「営業マン」も全てかなり良いところまで行ったが、壁が来るとやめてしまった。

壁が来ても、ダメだとも思わず諦めもしなかったのは「村づくり」。

「村づくり」を極める。


夢は?

ELEVEN VILLAGE」を村にする!

吹屋で!!

今、吹屋は6割7割が空き家だ。

ゲストハウスELEVEN VILLAGE 吹屋を通じて、吹屋の良さを伝え、こだわりを持った方に移住してきてもらう。

そして、衣食住、インフラやエネルギーまでも地域内で全て賄えるようにする!


ゲストハウス ELEVEN VILLAGE 吹屋
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