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最先端科学を牽引する「量子意志」王


株式会社光子発生技術研究所

株式会社みらくる分析センター

株式会社活性水素水研究センター

代表取締役

 

立命館大学

名誉教授

 

 

山田廣成氏

 

2021.1.13.13:00


山田廣成
山田廣成氏

 

◆業種

 

物理学者、哲学者、 大学名誉教授、 事業家、発明家

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

1.小学生までは特には無かった。遊ぶのが楽しくてしょうがなかった。

 

自然界がどんなふうにできているのか?とても興味があり、植物採集や川で魚をとって遊んでいた。

 

興味のある所へ一人で探検にでかけて良く迷子になった。

 

国語はよくできたが、勉強はすきではなく、家庭科や工作などが好きだった。

 

夏休みはまず家にはおらず、ほとんど外で遊んでいた。

 

自然が不思議で、どうして風は吹くんだろう?なぜ樹々は紅葉や落葉するんだろう?と疑問を持った。

 

小学生の頃、ラジオで自然の不思議を教えてくれる番組があり、熱心に聞いた。

 

学校の授業で先生に理科の質問をされたら真っ先に手を挙げて解説した。

 

多動性障害を持っていたため、椅子にじっと座っていられない子供だった。

 

結果、しょっちゅう教室の外に立たされていた。

 

同級生によると、私はいつも学校の帰り道をブツクサ言いながら道の真ん中を歩いていたそうだ。

 

父親からは、おまえは勝ってつんぼだと叱られたが、熱中すると周りの声が聞こえなかった。

 

それでも中学校を卒業する頃には、学校の成績はグンと上がり学年で10番以内に入るようになった。

 

特に理科は1番だった。

 

2.高校生になってノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹の本を読み、量子力学の世界に興味をもった。

 

数学が得意で、高校3年生のころには、全国の模擬テストで常に数十番以内だった。

 

昔から何か考えだすと眠れなくなり、2,3日寝ないことがよくあった。

 

数学の問題を考えながら居眠りすると、目覚めた時に答えが出ていることがよくあった。

 

当時は寝て脳が休まったから問題が解けたと思っていた。

 

ところがあるとき、寝ている間にも脳が働いていることに気がついた。 

 

脳は睡眠してても働いている。例えば赤ちゃんは寝ないと脳が発達しない。

 

脳は寝ている間に発達する。

 

脳は元々パラレルプロセッサーだ。

 

寝ている間にも脳が勝手に考え続けてくいることが「わかった!」ときから人生が豊かになった。

 

説明するとき、口や目を使い表現することができるのは1つだが、考えることはいくつも同時にできる。

 

そのことが腑に落ちたとき不眠症が解消された。

 

3.大学進学を考えたころ、将来の夢は3つあった。

 

a. 登山家になるか? (山登りが好きだったから)

b. 小説家になるか? (本をたくさん読んでいて、文学も好きで文系にも強かったから)

c. 物理学者になるか?

 

abは大学に行かなくてもなれるのでcを選んだ。

 

名古屋大学で教養学部から専門へ移るとき、物理学を選ぶか生物学を選ぶか迷ったがより基礎的な物理学を選んだ。

 

坂田晶一という偉人がいたことも選択の理由になった。

 

定年後3冊の本を出版した。山は、75歳になる今も登り続けている。夢は今もかなえ続けている。

 

◆専門は原子核物理学

 

博士課程を名古屋大学の原子核工学科へ進んだが、工学の話は底が浅かったので、東京大学原子核研究所の委託研究生となり原子核物理で博士論文を書いた。

 

原子核研究所所長の紹介でアメリカに渡り10年間テキサスAM大学、バンダービルト大学、オークリッジ国立研究所、メルボルン大学で研究員をした。

 

しかし、1979年に起きたスリーマイル島の原子力発電所事故から原子核物理学は斜陽の時を迎え、パーマネントポジションを得るのが難しくなった。

 

そうしたところ、住友重機械工業株式会社から声をかけていただき超伝導シンクトロンの開発に従事することになり帰国した。

 

この開発は国内大手企業のみならず、ほぼ同時にドイツやイギリスでも開発が始まった。

 

そして成功したのは私のチームだけだった。

 

この超電導シンクトロンは半導体の製造に使う予定であったが、他の方法が開発されたために需要がなくなった。

 

そこで私は、超電導シンクロトロンの新しい使い方を研究し始めた。

 

すると、社長が直々にやってきて、私と事業部長を前にして「山田君のやりたいことをやらせなさい」と言ってくださった。

 

ところが、立命館大学から研究・分析に使いたいという要望が出てきたために、使い方等を教えられるのは私しかしないということで、私は、超伝導シンクトロンを持って立命館大学に教授として赴任した。

 

社長さんには申し訳ないことをした。

 

 

◆思えば不思議な人生である。

 

1.私はずっと自分のやりたいことをやらせていただける人生を送ることができた。

 

大学院では研究テーマを自分で決め、指導教官には一切頼らなかった。

 

東大原子核研究所でも、別の研究をしないかという誘いがあった。この誘いに乗っていれば私もっと早くに日本で教授になっていたと言われる。

 

大学という組織の中では自分で研究テーマを決めるのは難しいことだが、結果をきちっと出せば認められる。

 

アメリカの組織はもっと厳しかった。教授のいうことを聞かないと、とても自分の好きな研究などできない環境だった。

 

しかし、アメリカでも日本でもいつでもボスがみとめてくれて、自分で決めた研究テーマで研究する予算をつけてくださった。

 

思うに 意志を貫こうとすると、必ず支援下さる人が現れる。きっとみなさんにもそういう支援者が現れるとおもう。

 

2.私は沢山の発明をしたが、いずれも20年早すぎると言われていた。

 

仕方なく私は自ら発明した卓上型放射光を20年後にようやく事業化ができた。

 

最近の発明では、HOからHO₂⁻イオンやHOイオンが平衡状態で存在する不思議な水を製造することに成功したが、この水は大変不思議な水で、植物を元気にし、人間の免疫力を高めてくれる。

 

この水の発明も20年早すぎたかもしれない。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

1.坂田昌一先生

 

哲学の師匠でもある。学部では物理学よりも哲学を熱心に勉強した。

 

坂田昌一先生に師事して量子力学と弁証法哲学を学んだ。

 

哲学はものの考え方ですから、研究のしかたも教えてくれた。

 

そもそもガリレオも哲学者であったし、ケプラーは教会の先生だった。

 

空海やお釈迦様も実は科学者であり哲学者。仏教は哲学。

 

坂田 昌一(さかた しょういち、1911118- 19701016日)は、日本の物理学者。元名古屋大学教授。湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした。―出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

2.助けられたのは坂井光夫先生

 

東京大学原子核研究所の所長だった坂井先生がアメリカの研究機関に推薦下さったので私の研究生活が始まった。

 

坂井先生とは、先生の別荘に遊びに行ったり、スキーをしたり楽しい思いでも残してくださった。

 

「良く学び良く遊べ」が先生のもっとうだった。

 

Vanderbuilt大学のJoe Hamilton先生は、私に自由に研究をさせてくださった。

 

霜田光一先生からは自由電子レーザーの開発でご指導いただいた。

 

千川純一先生には、さきがけ研究21の研究員に推薦いただき、卓上型放射光の開発が動き出した。

 

いずれの先生方も世界の第1人者だった。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

ゲーテの言葉

「人は如何にして己を知るを得るべきか、省察をもってしては決して能わざらん、されど行為をもってして或いは能くせん。汝の義務を果たさんと試みよ、汝の義務とは何ぞや、日々の要求なり」

 

高校生の時に感銘を受けた言葉。

 

いくら省察しても自分が何者かは決してわからないと、ゲーテの様に偉大な文豪も言っている。

 

ゲーテは生物学者でもある。

 

日々の要求とは、実に“他者が貴方に期待している要求”であり、それを“耳を澄まして聞く”ならば、自ずと“己の道が開ける”という意味だ。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

坂田昌一先生との出会い。

 

ものの考え方や哲学を学んだ。

 

 

◆問題、障害、或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

研究が思うようにいかないとき。

 

原子核物理学の研究をやめて放射光物理学に移ったとき。

 

本意ではなかったがポジションに繋がらなかったので帰国した。

 

その時、日本の企業に就職することを伝えるため、坂井光夫先生を訪ねた。

 

坂井先生は「山田君、何事も万事塞翁が馬ですよ」

 

「どこに行っても頑張らなくちゃいけませんよ」

 

と言ってくだった。

 

そのお蔭で放射光の分野でも成功した。

 

周囲1キロという巨大な放射光装置を周囲1メートルにすることに成功したのだ。

 

坂田昌一先生も「新しい発見は必ず学問の境界の領域で起きる」とおっしゃっていた。

 

それらの言葉を信じ、常に新しいことをやり続けることができた。

 

 

◆夢は?

 

地球に真の平和をもたらす「量子哲学」を広めたい!

 

量子力学の解釈で電子に意志が有ることを発見したのだが、それは20世紀を支配したニュートン力学やダーウインの進化論とは異なり、新しい世界観を形成する。

 

それは、唯物論と唯心論を融合する哲学である。進化は対話と共生により進むとする哲学である。

 

地球環境の守るには、生きとし生けるもの全ての対話と共生が必要であるとする思想。

 

私の著書「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」の中にある対話原理14条は人が生きるための教えを示している。

 

研究はもう十分したから、科学思想である「量子哲学」を広める事が私ライフワーク。

 

■著書

 「量子力学が明らかにする、存在、意志、生命の意味」「地球に真の平和をもたらす量子哲学」「物理学はこんなにやさしい学問だった」

 

光子発生技術研究所グループ

https://photon-production.co.jp/index.htm

 

株式会社みらくる分析センター

https://www.mirrorcle-analysis.co.jp/

 

活性水研究センター

https://www.mirrorcle-analysis.co.jp/j/water/water.htm

 

立命館大学 理工学部/電子光情報工学科 山田研究室(光量子発生科学研究室)

http://www.ritsumei.ac.jp/se/re/yamadalab/home1.htm

 

Facebookグループ「量子力学の思想」

https://www.facebook.com/groups/ryousi

 

Facebookグループ「量子力学講義録」 

https://www.facebook.com/groups/1192171010819319

 

ZOOMにて 「ネットで学ぶ量子塾」を開催

https://www.facebook.com/groups/213508573257020

 

Facebookグループ「活性水情報センター」

 

https://www.facebook.com/groups/2075667292673530


コメント: 1
  • #1

    福原則幸 (月曜日, 29 1月 2024 10:20)

    突然にメールでご無礼致します。先生の御本「量子力学が明らかにする存在,意志、生命の意味」を読ませて頂こうと、すでに手元にあるのですが、この意志はショウペンハウアーのいう意志と同じものなのでしょうか。
    私は宮沢賢治と同じ法華経の信者です。どういう訳か(といっても近代の誤謬を探すべく)ショウペンハウアーを読み始め一年ちょっと、カント批判の途中なのですが、ファーブルにあるフンコロガシから知(恵)というものを間違って私(達)は認識しているのではと思い、では植物はとか粘菌はとかはどう行動しているのかと思い悩むようになったのです。
    そこで先生の御本にたどり着いたのです。まだ読むまえではありますが、ショウペンハウアーの意思をも正確に理解するためにも、宮沢賢治を理解するためにも意志の出処と言って良いか「意志」を掴まえておきたいのです。
    先生が同じ意志であるかないかだけでもかまいませんのでお教え下さい。
    私はこの3月に76歳になります。