ゴールドカレー王


 

株式会社 ゴールドフーズ

代表取締役

今井章完氏

 

2014.7.8 15:00


今井章完

 

 

業種

カレーショップ経営


子供のころになりたかったものは?

小学校5年生から高校3年生まで、野球部に所属をしていた。

しかし、父が内装業を営んでいたので、なんとなく跡継ぎになろうと漠然と考えていた。

高校は、父の後を継ごうと建築科を選び、卒業後は建築の専門学校にも進学した。

ところが、専門学校の卒業前に父がリタイアしてしまったため、建築家になろうという気持がなえてしまった。

特にやりたいことが見つからないまま、卒業後は、父の紹介で社会福祉協議会に就職した。

障害者や高齢者のお世話をしている自分に、「20歳なのに、このまま、この仕事で一生を終えていいのか?」と20歳の血気盛んなころであったため思った。

職場は、人間関係も良く、居心地が良すぎる程だったので、今まで体育会系の厳しい環境で育って来た自分には緩さを感じた。

そして、「もっと自分を向上させたい!」と思った。

1年後に辞めて、学生時代にアルバイト経験があった運送業の仕事に就いた。

長距離もこなし、5年たった頃、自分が何処まで通用するか試したくなった。

そこで当時、最も過酷で、運送業の頂点と言われた佐川急便で働くことにした。

佐川急便は、セールスドラーバーなので、迅速な配達業務の他に営業も出来なくてはいけない。

特に当時の佐川急便は、きつすぎる仕事の代名詞であり、強い目標を持った人、通常では返せないような借金を背負った人等のストイック集団だった。

この覚悟を持った人の集まりの中で頂点を目指した。

午前中に配達をこなし、午後は集荷をし、計100件もの担当エリアを隈なく回る。

普通なら2日かかる仕事を1日でこなし、月給は92万円になった。

担当した地域の集荷、配達、営業等、担当エリア全て自分の責任で業務し、ドライバー全員が経営者意識を持った集団であった。

10年もした頃、同級生で、金沢市でもかなり大きな商売をしていた米卸業者の工場長から、「チャンピオンカレーが、フランチャイズ店をやる人を探しているけどやらない?」と打診された。

佐川急便で培った経営者意識が、直ぐ「俺やる!」と答えた。

当時のチャンピオンカレーいえば、一日に1300人が来店するという金沢カレーの超有名店だ。

本店で、米の炊き方やパン粉の付け方、カツの揚げ方等を習得し34歳の時開業した。

最初の1年は、ただひたすら必死で店を切り盛りしていたが、店で直接「お客様の声」を聞いていると、何とかお客様の要望に応えたくなった。

しかし、フランチャイズなので、オリジナルな事がしたければ本店に申請して通らなければ出来ない。

申請が通るものは限られていて、全く新しいようなものは通らない。

制限も多く、サラリーマンが社内で企画書をあげているようなものだ。

利益は安定していたが、2、3年した頃から何かが違うと思うようになった。

これでは結局サラリーマンと一緒、独立開業したとは言えないんじゃないか?!と気付き、そこで、独立して、独自のカレーを開発し自分の追い求めるカレーショップを目指そうと考えた。


毎日欠かさずしていることはありますか?

カレーを食べる。

美味しいと聞くと、何処にでも食べに行く。

インドカレーのような外国のカレー料理も食べてみるし、行った先にカレーのメニューがあれば食べてみる。

特に、洋食屋、こだわりの食堂、行列店等のカレーは必ず食べるようにしている。


自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

1
、チャンピオンカレーの創業者

食に関して厳しい人、色々教えてもらった。

元々厳しい人だが、とても怒られたことがあった。

フランチャイズ店オープン前、関係各者を呼んだレセプションで、ルーを少し焦がしてしまったカレーを提供してしまった。

カレーの美味しさを知ってもらうための大事な時に、メインのカレールーを焦がしてしまうという大失態。

その時、美味しいものをお客様に提供する商売なのに、「妥協してはダメなんだ。」と思った。

最初が肝心というが、ここで学べたことを感謝し今もその気持ちは常に持っている。


2、米卸業者の社長と工場長(後に社長)

米卸業者の工場長だった同級生がが、「カレー屋をやらないか。」と声をかけてくれなかったら今の自分は無い。

開業してから、お二人には色んな飲食のアドバイスをたくさんもらった。

特に同級生だった彼とは、金沢の飲食についてビジョンを掲げよく語り合った。

当時工場長だった彼は、後に社長を引き継いだのだが、社長になった2年後、急病で亡くなってしまった。

一緒に夢を見ていただけに、夢やビジョンに対する思いを彼の分も引き継いだという思いでいる。


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「貢献」

自分の目指すものを、明確に、決め、チャレンジ精神をもって生きる!

人との繋がりを大切にし、正直に生きる。

 

以上の事を常に頭におき物事を進めるようにしている。

漠然と生きているのでなく、明確な目標を立てて向かって行くことが大事。

 




人生の転機はいつどんなことでしたか?

ゴールドカレーを開業した時。

元々金沢カレーは、金沢の洋食業界のシェフの面々が発祥だ。

ゴールドカレーをオープンと同時に、洋食業界に長年生きる料理人に基本のカレーを伝授してもらった。

更により美味しいカレーを!と、試行錯誤しながらの1年だったが、中々納得のいくカレーが出来ない。

そこで、より金沢らしく!金沢の食材を使ったカレーが出来ないものか?!と考えた。

しかも低コストで量産出来るようなものじゃなきゃダメだ。

いかに安く、良い素材を使って提供するか?

「金沢らしさ」に拘り、最初に「加賀野菜の中で何がいいだろう?」と、カレーに一番合いそうなものを考えた。

金沢には、有名な「五郎島金時」というサツマイモがある。

元々金沢カレーは、小麦粉を使った欧風カレーでドロッとしたとろみがあるタイプだ。

サツマイモならとろみ付けにもなる!サツマイモをペースト状にして使用することを思いついた。

すると、とろみだけでなく、うまみも甘みも絶妙で、味の重なりから複雑なコクが生れた。

しかし、サツマイモの量が微妙で、一口食べて、「サツマイモが入っている」とわかるようじゃ面白くない。

「何で美味しいんだろう?」と思わせるようでなければいけないと思っている。

しかも、カレーは、苦みや甘み等、色んな味が絶妙に絡み合いながら出来ている訳で、何かの味が飛び抜けてしまってはバランスを崩す。

試行錯誤を繰り返し、何処にもないオリジナルの金沢カレーが誕生した。

35歳で、金沢ゴールドカレーとして開業してから1年後の事だ。

金沢本店では、能登豚のカツもメニューに加えた。

もちろんルーは、自社工場から各店に直送するが、地方店ではご当地豚や地元の野菜を使ったメニューを提供するようにしている。

輸送費がかかれば価格に跳ね返るし、食材は新鮮なものの方が良い。

また、メニューが少ないというお客様の声があれば、メニューを増やす等、お客様のニーズに応えることが出来るようにしている。

ゴールドカレーではカツの種類や野菜カレー等色々選べるようにした。

最近は、カツの乗った「カツカレー」と、オムレツの乗った「オムカレー」の二枚看板でメニューを増やしている。

チェーン店でありながら今までのチェーン店にないこだわり、特徴のあるお店作りを考えている。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

独立開業当初は不安もあった。

フランチャズ店の時は、「チャンピオンカレー」という有名店の名前があったが、独立してしまえば無名のカレー店。

チラシ等の広告宣伝も独自にしなければならないし、開店当初は珍しがって来てくれたとしてもリピーターが続くかどうかは未知の世界だ。

リピーターを増やすには、お客さんに喜んでもらえるようにしなければ!

金沢らしさに拘り、美味しさを追求してオリジナルの金沢カレーを開発した。

今は、拡張のため自社工場を別に敷地に移したが、当初は自宅の敷地内にカレー工場を造り、日々改良していた。

これで終わりではなく、「これで完璧だ!」なんて今まで一度も思った事はない。

時代と共にお客様の舌は変わる。

良いところを残して、より美味しいカレーをつくるよう心がけ、「絶対に美味しいものをだそう!」と、いつも思っている。

お客様が飽きないように!

他に「美味しい」と評判の店があれば食べにいくのもそのためだ。

これでよし!は無いと思っている。


夢は?

ゴールドカレーをできるだけ低価格で世界の人々に食べてもらいたい!


農作物、養豚場の自社運営からお店の運営までお客様にご提供するまでの流れに一貫性を持った組織の構築。

 

海外でも同じように、食の安全を大前提に地産地消を進めることが出来れば雇用も生まれる。

 

農作物、養豚場の運営を、NPO法人を立ち上げ障害者雇用の促進にも繋げたい。

 

カレーをつくる事は自分にとって日常の事!

仕事として考えているというより、もはやカレーは人生の一部。

いつでも、お客様に喜んでもらえるカレー提供することは自分の喜びでもある。

来店してから帰られるまで、味はもちろんの事、接客等全ての意味で満足して頂くことを目標に大切にしている。

また、石川県物産展に出展した時はイートインコーナーも開設して、その場で召しあがって頂けるようにしている。

より多くの人々に食して貰いたいからだ。

そこで「おいしかったです。」なんて声を掛けられると「もっといいものを!もっと多くの人に!」と意欲が増す。

自分一人の力では限られるので、フランチャイズ化して世界各国に出店する!

何より「お客様に喜んでもらえること!」

このことを一番に考えている。

ゴールドカレー
http://www.gold-curry-honten.com/

 

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コメント: 1
  • #1

    鈴木圭子 (金曜日, 05 1月 2018 20:59)

    介護の経営されるって
    本当ですか?