第13代WBA世界S・フライ級チャンピオン
セレスボクシングスポーツジム
代表取締役
セレス小林氏
2012.11.13 14:00
◆業種
ボクシングジム経営
◆子供のころになりたかったものは?
コックさん
小学生の頃から、料理を作るのが好きだった。
母の作る料理を、手伝いながらみよう見真似でいつの間にか覚えた。
両親は鉄工所を経営していて忙しくしていたので、小腹がすくとカレーやチャーハン、オムライスなどを自分で作って食べていた。
6歳年上の兄からも、よく「作ってくれ」と頼まれた。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
仕事
いつもジムにいる。
いないのは、ボクシング協会の会議か、テレビの試合解説に出かけている時くらい。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
1、両親
尊敬している。
2、兄
現役中、弱いときも強いときも、いつも後押ししてくれた存在。
3、大橋秀行 氏
元ボクシング世界チャンピオン
大橋ボクシングジムの会長で、現在日本プロボクシング協会の会長もしている。
大橋会長が世界チャンピオンになる瞬間をみてプロボクサーを目指した。
きっかけを与えてくれた人。
4、三浦利美 氏
元バンタム級日本チャンピオン
現ドリームジムの会長
自分のトレーナーで、メンタルも技術も私生活も面倒を見てくれた。
10歳年上で兄貴のような存在。
三浦氏に出会っていなければ、世界チャンピオンはおろか、ボクシングすら続けていなかったかもしれない。
自分でいうのも何だが、自分は素直だが我が強い。
そういう自分の気持ちを、コントロールするのが上手だった。
また、押し付けることは絶対にしない。
わからないことがあれば一緒に考えてくれ、わかるまで教えてくれる。
「この人とやっていればオレは絶対に負けない!」と思った。
100%心から信頼している。
感謝してもしきれない存在だ。
5、安齋さん
セレスボクシシングスポーツジムの後援会会長
日本チャンピオン時代に知り合い、それからずっとお世話になっている。
安齋さんが経営する焼肉屋さんにたまたま行ったとき、ボクシング好きで自らもプロのライセンスを持つ安齋さんが自分を見つけお土産をくれた。
安齋さんもその店で宴会中だったが、お土産のお礼に伺った。
それがご縁で、「協力するよ。」とスポンサーになってくれ、何かと助けてくれている。
とても控えめな人で、ジムをオープンするときも後援会会長をお願いすると、「いやぁ他に頼めよ。」と言われた。
「おやじ(安齋さんの呼び名)が引き受けてくれないなら後援会を作るのをやめる。」といったら考えると言ってくれ、後に「やるよ。」と返事をくれた。
お土産をいただいて、お礼するのは当たり前だが、あの時直接ご挨拶に伺ってなかったら、このご縁もなかっただろう。
挨拶や出会いの大切さを実感している。
他にも多くの人にお世話になった。
今の自分があるのも皆様のお陰と感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
夢
夢を持つことが大事。
自分も夢を持つことでがんばれた。
しかし、最初からチャンピオンを目指していた訳ではない。
高校2年生のとき、テレビでボクシングを初めて見て好きになり、ボクシング雑誌を愛読するようになった。
大橋秀行選手が世界チャンピオンになる瞬間をテレビで見て、自分もリングに上がってみたくなった。
高校3年生になった夏休みに、兄の友達のツテで国際ジムを見学に行った。
その日から、週に1回だけ茨城の自宅から東京の国際ジムまで往復3時間かけて通わせてもらうことになった。
そのうち、高校を卒業したらプロの道に進みたいと思うようになった。
ところが、鉄工所を営む両親は猛反対。
特に父は、「ボクサー崩れにでもなったら、人生が台無しになる!」と、はずれた道をイメージしていたようだ。
しかし、6歳年上の兄が「父の仕事を継ぐ継がないは別にして、外の空気を味わってくるのも良いから一回見て来い。」と言ってくれた。
母も、「どうせ直ぐ帰ってくるから大丈夫でしょ。」という感じになって、プロボクサーを目指すことを許してもらった。
許してもらえたのは、日常の生活態度の変化もあったからだと思う。
ボクサーになりたい!と思う前は、少なからず不良だった。
タバコは吸うし、学校にもよく遅刻した。
ところが、やりたい事がみつかったとたん、タバコをきっぱりと止め、真面目になって落ち着いた。
高校の先生方のお陰もあった。
学校をサボっていると、「絶対に卒業しろ!」とハッパをかけてくれた。
先生とは仲が良く、どの先生も本当に良い先生だった。
卒業してから、国際ジムの寮に入り、毎朝5:30に起きて走り、昼お寿司屋でアルバイトをしてまた夕方から練習という日々が続いた。
日曜日も仕事だったので、ほとんど休みが無かった。
しかし、父から「やるからには3年間はジムも仕事も絶対に止めない!」という条件が出されたので、止められない。
幸い、仕事先の社長は協力的で物凄くかわいがってくれたため、1年後1992年にプロデビューしたが、父との約束を守ることが出来た。
ボクサーになりたい→プロになりたい→試合に出たい→4回戦から6回戦まで行きたい→日本チャンピオンになりたい→世界チャンピオンになりたい!と夢は徐々に大きくなっていった。
とはいえ、1998年9月に日本チャンピオンになって直ぐに世界を目指した訳ではない。
日本チャンピオンになったばかりの頃、世界戦は物凄い人の集まりでとても遠い話に思えた。
世界を視野に入れるようになったのは、日本チャンピオンを4度防衛(うち3回はKO勝ち)したころ。
取材陣から「なぜ世界を狙わないのか?」とその度に聞かれた。
自分でも「日本人には誰にも負けない!」という自信がついてきたので、世界戦を考えるようになった。
一歩ずつ夢に向かい、2001年世界チャンピオンの夢を叶えた。
2002年に引退してから、自分のジムを作りたい→ジムでチャンピオンを育てたい!と夢を追い続けいている。
選手が可愛い!
正直ジムの経営は色々と大変だが、これも好きだからできるのだと思う。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
1、三浦利美 氏に出会ったこと
2、初めて一番になったとき
日本チャンピオンになったときが、自分にとって初めての一番だった。
本当に自分に自信がついたときだ。
それまでは、最後の踏ん張りが効かず、大事なときにいつも負けていた。
ところが子供ができたら、この子のために!という強い思いが生まれた。
普段、減量等をしているため休みの日でも出かけることが出来ず、子供を遊びに連れて行ってあげることが出来なかった。
何かこの子にしてあげられることはないか?
そう考えたとき、自分が優勝してチャンピオンベルトを巻き、この子を抱きかかえてリングに上がりたい!と思うようになった。
守るべきものが出来たことは大きく、その強い思いがあったからこそ「ここぞ!」というところを乗り越え優勝することができた。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
デビュー戦、判定負け。
それをきっかけについたあだ名が「ジムチャンピオン」
ジム内ではスパーリングなど物凄く上手だったが試合には負けてしまったからだ。
それでも続けてこられたのは、三浦氏の言葉のお陰だ。
「お前はチャンピオンになれるからやめるな。」
「チャンピオンになったやつにしか味わえないものがある。」
信頼している人から言われた上に、自分でもあきらめたくなかったし、「オレはこんなもんじゃない!」とずっと思っていた。
やめないで続けることが大事なこと。
その結果が世界チャンピオンに繋がったと思っている。
◆夢は?
世界チャンピオンをつくること!
2011年11月18日、バンタム級の日本チャンピオンが我がジムから誕生した。
この子を世界チャンピオンにしたい!
また、ジムに来てくれた子たちに「ボクシングをやって良かった!」と思われるようなジムにしたい!と思っている。
ボクシングの試合中は相手を物凄く憎むが、試合が終わったトタン、お互い努力してリングに上がったもの同士リスペクトして抱き合う。
ボクサー同士は結構仲が良い。
それがボクシングの良いところでもある。
そういう精神も養ってほしいと思っている。
セレスボクシングスポーツジム
セレス小林オフィシャルブログ「夢BLOG」
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