人生のオーケストラを調和へ導く!指揮王



元日本ビクター株式会社

代表取締役

 

株式会社フロントランナー

取締役会長

  

株式会社フロンティアーズ

代表取締役社長兼CEO 

伊藤裕太氏

2010/12/27


伊藤裕太

 

 

 

   業種


製造販売業



◆子供のころになりたかったものは?


哲学者


高校生の頃、哲学者の和辻哲郎氏の影響を受けた。

 

 

   自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?


学者の梅原猛氏


私は、子供の頃は成績が良かった。


高校は地元の進学校に入学し、上位の成績を維持していたが、高校1年生の冬に腹膜炎をおこし1ヶ月の入院を余儀なくされた。


授業は高校3年間の数学を2年間で終わらせるようなカリキュラムで構成されていたので、1ヶ月も入院しては授業についていけなくなる。


そんな時、父が病床に1冊の本を置いてくれた。


梅原猛著「美と宗教の発見」


この本は「勉強から落ちこぼれてしまう」と思っていた私に全く違う世界を教えてくれた。


それからは本の虫になり、日本の古いものや美学が大好きな「変な高校生」になった。


それまでは「医者にならなければいけない」と思っていた。


父方の祖父は東京帝国大学を出た医者だったが、父を含めてその子供たちは誰も医者にならなかった。


そのため祖母に、幼少の頃から医者になることを吹き込まれていたのだ。


しかし、私は血を見るのが好きではないし、ずっと病気の方と接している自信もなかった。


高校生になって、目指したいものが変わったのだ。


精進し、美学、日本精神を学びたいと思った。

 



◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?


「徳は才の帥」(とくはさいのすい)


才が徳に勝つ者は「小人」


徳が才に勝る者は「大君」


この言葉に出会ったとき、「自分は『才』のほうが勝ってるな」と思った。


「出る杭は打たれる」という。


出すぎてしまえば打たれないだろうが。


それからの私は、協調性を養うようにした。


いくら才能や知識があっても、人徳がなければ限界があると悟ったからだ。


リーダーに求められるものは「チームでどうするか」ということだ。


自分ひとりだけが何でも出来ても無理がある。


世の中、一人では何も出来ないからだ。


例えば野球選手で言うと、一億円プレイヤーだからといって名監督になれるわけではない。


別の資質が要求される。


私には幸い人生の局面で色々と正してくれる人との出会いがあった。


大学を卒業して直ぐに就職した先の上司、には「男は30歳までにレッテルを貼られる。行動には気をつけろ。」と教わった。


また、事業部長からは「人間には三有ある。有徳・有力・有能のどれも大事だが、一番大事なのは有徳」と教わった。


また心理学の大家-加藤諦三氏の「努力の動機」というエッセイに出会った時、「人は大義名分にはついてこない」と悟った。


人から良く見られたいと思ってする努力と、自己実現に向けての努力は動機が違う。


自分では組織が目標に向かって邁進するのが当然だと思っていても、ある人にとって実はどうでもよいこともある。


他人に努力を強いることができるためには、その他人から好かれていなければならない。

 

努力はお願いして、してもらうものだ。


自分と同じものを人に求めてはいけないと思った。


例えば、お寿司屋さんの家庭があったとしよう。


この「すし」を何個握ったら子供の学費になるか?


レストランだったら、このフライパンを何回振ったら・・・と考える。


しかし、会社員は違う。


一概には言えないが、会社へ定時に出社し、ある時間拘束されていればお給料が貰える。


社員に仕事を自分事として捉え邁進してもらうにはどうしたら良いだろうと考えた。


そのためには自分を好きになってもらうしかない。


人を同じ方向に動かすには人間性が必要。


そういうことを人や書物から教えてもらっていると受け止めている。


私は色々な意見をいただく時、聞き手としての受け止め方が大事だと思っている。


人によっては、指摘されて怒る人もいるだろう。


それもその人の人生だが、指摘や教えを受けてどうするかでその後の人生が変わる。


だから私を正してくれる人の言葉は大切に受け止めてきた。


また、たった一回の出会いがその人を変えることもある。


18年間大学で非常勤講師もしてきたが、たった一回、私の話を聞いただけで「弟子にしてほしい」と言ってきた学生がいる。


彼とは食事を一緒にし、何かと相談にのった。


タイへの留学についても相談を受けた。


現在、彼はタイのバンコクでコスメサイトを立ち上げ成功し、投資を受けてIT会社の役員になった。


今でも相談にのっているが、彼の成功は彼の謙虚さのゆえだ。

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?


大学受験


それまで順風満帆の生活をしていたが、高校生の頃から哲学をやろうと思い、東京大学の文科三類を2回受けて落ちた。


人生初めての挫折だ。


結局早稲田大学の政治経済学部政治学科に入学したのだが、失意で始まった大学生活が結果的に非常に面白かったし、本当に有意義だった。


これが本当の青春だと思った。


大学3年生の時に「早稲田大学交響楽団」のマネージャーになった。


その時、世界的に有名な指揮者「カラヤン」に招かれ、総勢154名、予算2億円の演奏旅行のマネージャーを務めた。


しかも、そのコンクールで世界一になったのだ。


この成功体験は大きい。


「万事塞翁が馬」というが、ビジネスで必要なことの基礎は全てオーケストラで学んだ。

 



 問題、障害或いは試練はどうやって乗り越えたのですか?


私は人生で7回の転職をしている。


外資系企業を歩んできて4社目を辞めたとき、次の職業が決まるまで6ヶ月間ハローワークに通った経験がある。


98年、ロシアで金融危機が起きた年だった。


翌年は子供の受験も控えている。


中学受験だから親子面接もあるだろう。


そこで「お父様のご職業は?」と聞かれ「はい、無職です」と答える訳にはいかない。


なんとかそれまでには職業を決めたい。


そんな憂いで年を越した。


年明け、1日で4、5社からオファーがかかった。


外資系は年末になるとクリスマスがあるので、業務がスローダウンするのだ。


この時ばかりはヤキモキさせられたが、人生の中でずっと雨は降り続かない、いつかは晴れると信じて苦しい時を乗り切った。

 



◆夢は?


1
.オペラハウスの支配人


私の天職は旅行会社の添乗員だと思っている程、旅などを企画することが好きだ。


海外からのお客様がいらした時など「何処へ食事にお連れしよう」とか「何処で何をお見せしよう」等を一生懸命に考える。


相手が喜んでくれることが物凄く嬉しい。


また、音楽が好きで音楽会にはよく行く。


自分でもバイオリンを弾き、チェロもさわる程度だがたしなむ。


オペラは至高の総合芸術だし、最高に高度のビジネスだと思っている。


それらを併せ持った、オペラハウスの支配人になりたい。

2
.「文部大臣」


なれると思っていないが・・・。


人には太陽と月の二つのタイプがあると思う。


自ら輝くタイプと、光を受けて輝くタイプ。


自分は月だと思う。


若い人に輝いて欲しいから、彼等を動機付けたい。


それが自分の役回りだと考えている。


18年間ずっと続けてきた早稲田大学の講師を2010年度は引き受けることができなかった。


朝8時から夜10時までは殆ど社内にいるので、人と会う時間さえなかなか作れない。


最近そんな時は、早朝会うようにしている。


朝7時からホテルで朝食を食べながらなら1時間くらいは話せる。


大学側から来年は戻ってきて欲しいと言われているので、土曜日の朝に引き受けようと思っている。


時間はやりくりできるものだ。


電車に乗ると多くの若者が携帯ゲームに興じている。


携帯ゲーム等は人が作った手順とルールの中で行われる。


そこには創意工夫が生まれない。


昔の遊びは缶蹴りなどにしても皆でルールを決めていた。


また、仲間はずれにして泣いてしまった子をどうするか?


ケンカした後の仲直り方法なども、自分たちで考えたものだ。


しかし今は決められたルールの中で遊んでばかりいるから、ルールの決め方もわからない。


それは親が悪いと思う。


特に母親が重要だ。


更に今の世の中は悲惨すぎる事件が多い。


どうしたら今の社会を変えられるだろう。


それは勉強する空気を作ることだと思う。


しかも自ら進んでやらないといけない。


自ら進んで勉強できるようになるためには、一回貧乏すると良いと思っている。


貧乏すると世の中が見えるからだ。


貧乏から脱出するためには、稼ぐための知識が必要だ。


昔は勉強することが唯一楽になれる方法で「学ぶことが自らを助ける」ということが当たり前だった。


身の回りの環境が豊かになり、いつの間にかそういった考え方が薄れてしまったようだ。


そんなことも含めて「文部大臣になりたい」と思った。

3
.いい父親になりたい


人生を終えたお葬式の時に、立派な父親だったと言われるよりいいパパだったと言われたい。

株式会社フロントランナー
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