明治天皇に味付海苔を御用達した山本徳治郎六代目!海苔王



株式会社山本海苔店

代表取締役社長

山本 徳治郎氏

2013.8.14 1400


山本徳治郎

 

 

◆業種

 

海苔小売業

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

野球選手

 

小学校6年生の文集に書いたことを覚えている。

 

本当は「海苔屋になる」と思っていたが、恥ずかしくて「野球選手」と書いた。

 

幼い頃は結構いたずらで、躾の厳しい母に、よく蔵や押入れの高いところに閉じ込められた。

 

ある時、家にあったフェンシングの剣を取り出し、障子をプスッとついてみた。

 

その感触が面白く、家中の障子を全部突き破ってしまったことがある。

 

また、箱根に旅行に行った時、旅館の障子を全て破いてしまったこともあった。

 

ところが父は物凄く優しい人で、殆ど怒られた記憶がない。

 

また私が5歳の頃。

 

父が庭でゴルフの練習をしている時、何処からともなく現れた私の尻をドライバーで打ってしまった。

 

父の膝の上に抱かれてひたすら泣いていたことしか覚えていないが、父はかなり青ざめたようだ。

 

尻だからよかったが、頭だったら大変なことになっている。

 

それ以来、父はゴルフを一切しなくなった。

 

また私が出かけるときは、必ず「気を付けていけよ。」と声を掛けてくれ、車で出かける時は特に心配してくれていた。

 

これは私が26歳で結婚するまで続いた。

 

父の性質が元々優しいということもあるが、山本家の事情も深く関わっていたのだと思う。

 

山本海苔店は、二代目、三代目、四代目と男子が育たず娘婿が後を継いできた。

 

五代目には長男がいたが、戦死したので次男の父が後を継いだ。

 

長男が後を継ぐのは私が初めてだったので、父は山本家の当主として相当神経を使ったのだと思う。

 

父に怒られた記憶は一度だけ私が中学生の頃、人に意地悪な事をした時だった。

 

怒鳴るような荒々しいことは一切なく、「そこに座りなさい。」と言って、椅子の肘かけをコンコンと指でたたきながら、人としての道をただひたすら説教された。

 

それと「勉強しなさい。」等と、私に何か強いることはなかった。

 

ただ一つ、中学に上がる時に言われたのは「運動を何か一つやれ、そして始めたら止めるな!」で、続けることが大事と教わった。

 

私は剣道を選んだ。

 

そして本当に中学から大学まで殆ど休むことなく続けた。

 

自分で選んだものだからか、血統なのかわからないが、さぼろう等と考えたことは思い出す限りない。

 

剣道は二代目もしていて、山岡鉄舟と共に神田の千葉周作道場に通っていた。その山岡鉄舟から「明治天皇が京都へ御行幸のさい、御所方へのお土産として何かないか」と求められたことが、宮内省(宮内庁)御用達の光栄ある御用が始まったきっかけになる。

 

その時、初めて焼海苔に味をつけることを考え、「味附海苔」を苦心創案し献上した。

 

特許こそ取っていないが、これが「味附海苔」の由来だ。

 

そういった先代の功績を含め、山本海苔店を引き継いだ。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

腹筋100回

 

夜自宅に帰ってする。

 

お付き合いでない限りお酒は飲まないし晩酌もしないので、ほぼ毎日続けている。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

 

70歳になっても毎日会社に出社していた。

 

質素で勤勉な父は、私が、「夫婦で海外旅行でも行っておいでよ」と言っても「皆が働いているのに遊んでいる訳にはいかない。」と言うような人だった。

 

父は亡くなったが、今でも尊敬し感謝している。

 

歴史上の人物としては、西郷隆盛や三国志の劉備玄徳など、徳のある人に憧れる。

 

西郷隆盛は、山岡鉄舟を評する際「金もいらぬ、名もいらぬ、命もいらぬと言う男は、始末に困るものだ。この始末におえぬ男でなければ天下の大事はできぬ。」と言った。

 

そういう発想をもつ西郷隆盛を尊敬している。

 

劉備玄徳は、蜀漢の初代皇帝だが、力や権力で人をねじ伏せるようなことをせず、徳で人を動かした。

 

暖かさを感じる人。

 

諸葛孔明を参謀に迎え入れたくて、劉備玄徳自らが三度も諸葛孔明の家に足を運んだという話は「三顧の礼」として有名だ。

 

高い身分にありながらも、自分より優れた人を認め、人に礼を尽くせる人。

 

全体を見極め、判断を下せる大局観を持ち、優しさと強さと厳しさを兼ね備えた、徳のある人を尊敬している。

 

また自分もそのような人になりたいと思う。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、「人事をつくして天命を待つ」

 

2、「細心而剛胆(さいしんにしてごうたん)」

 

大学生の時、一年間、部活を皆勤したとき師範からご褒美として頂いた言葉。

 

剣道では、竹刀の先で相手の様子を細心の注意をもって探り、打つ時は隙をついて躊躇なく思いっきりいけ!という意味。

 

これを経営に例えると、綿密にマーケティング等、市場調査をして決断したら、思いきって進めというように解釈している。

 

ろくな調査もしないで、突き進むのは無謀だが、調査をしても100%の保証はない。

 

しかし、綿密な調査をして決断したにもかかわらず、迷っていたのでは先に進めない。

 

経営していて、いつも思い出す言葉だ。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

1、山本海苔店に入社した時

 

大学を卒業するころ、経験を広めるため他社に入社しようと思っていた。

 

またそれが常識だと思っていたので父に申し出ると、「お前はいい」という。

 

他社の事は、同じ年頃の従兄弟が経験を積むので、その子に聞けばいいというのだ。

 

その考え方には色々な意見があると思うが、一つ良いことは、新卒で入社したので掃除等の下働きを素直な気持ちで出来たこと。

 

休み時間等は、古くからいる人と一緒に昼寝したり、皆に可愛がってもらった。

 

これが他社で4、5年経験を積んでしまうと、掃除から入ることは中々出来ない。

 

お陰で会社のことを一から学ぶことが出来た。

 

また、父がよくランチに誘ってくれ色んなことを教わった。

 

だが、おもむろに誘うので、皆の手前少し恥ずかしく思ったことを懐かしく思い出す。

 

 

2、社長になった時

 

山本海苔店は、代々社長は「徳治郎」と名乗る。

 

社長を引き継いで暫くして襲名した。

 

名乗るだけでなく戸籍も変更するので、全ての名義を「徳治郎」に変えなければならない。

 

この作業は結構大変だが、それより、「徳治郎」と自分の名前をサインする度に、大事なものを引き継いだという重圧感が凄かった。

 

この名前を汚してはいけない、決して辱めることのないようにしなければ!と思う。

 

父が生きている間は事あるごとに聞けばよかったが、亡くなった後はそうはいかない。

 

亡くなる7ヶ月前から入院していたので、お弁当を買って病院でお昼ごはんを食べたり、昼に行かれない時は、会社帰りに毎日病院に通いよく話をした。

 

亡くなる20年前から同居もしていたので、本当に多くの話をしたが尽きる事がなかった。

 

亡くなった後も、もっと聞いておけば良かったと思うことがある。

 

父は几帳面な人で、ある程度以上の金銭の出し入れや人様から頂いたもの、お返ししたものをきちんと手帳に付けていたので、ある程度の事はその手帳を観ればわかった。

 

しかし、お寺さんのお布施に関してはどこにも記載がなく、叔父や親戚に聞いてしのいだ。

 

また、私にも息子があり、今は山本海苔店で働いているが大学を卒業すると他社(銀行)を経験させた。

 

世襲制度を重んじているが、二代目の書いた門外不出の家訓には、「跡継ぎが成人に達した時、無能だったら、お店の許せる範囲でお金をあげて仕事をさせるな。」とある。

 

店の仕事をさせれば、遊びは論外だが、投機や投資に走ったりする可能性もあり、会社そのものを危うくする。

 

そういう場合は、家業を継がせず好きな事をさせてやれという意味だ。

 

更に、二代目の生家や、問題が起きた時に相談する人、お世話になった人などが記されている。

 

この家訓は社長を受け継いだ時に見せてもらった。

 

受け入れることも大事だが、あまり甘い目で観てもいけない。

 

最善の方法を考え、見極めが大事ということ。

 

事ある毎に、ご先祖様や父の偉大さを感じる。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

剣道の試合に出られなかった時。

 

大学生の時、大会の出場選手に選ばれなかった。

 

私は、試合に出られるか出られないかのボーダーラインにいたのだが、私に負けた選手が大会出場選手に選ばれた時は悔しくて納得できなかった。

 

「あいつより強いのに。なんであいつが選ばれて、私は選ばれないのか?」

 

しかし、剣道は相対的に観る。

 

その選手は、私には負けたかもしれないが、私が負けた選手には勝ったのかも知れない。

 

記録が数字で表すことが出来ないだけに難しい。

 

一般的にいったら小さなことかも知れないが、この経験は貴重だった。

 

小学校から大学まで一貫教育を受け、社長の座を約束されていたので、自分が選ばれないという経験をしたくても出来ない環境にあったからだ。

 

若くして、世の中は、自分で納得がいかないことも起きるという事を経験できたので、日常の中の小さな不条理も乗り越える事ができた。

 

 

◆夢は?

 

1、本当に美味しい海苔の味を広めたい!

 

そして世界中の人にも知ってほしい。

 

海苔は日本古来の食べ物で、伊勢神宮で神嘗祭(かんなめさい)を行う際にお供えする品物の中にも、海苔が入っている。

 

最近では、海外でも人気のキティちゃんとコラボレーションしてスナック感覚で味わえる味海苔チップスを開発した。

 

味のバリエーションも豊富で、うめ、ごま、玄米、わざびごま、マヨネーズ、ゆずはちみつと6種類。

 

その他、コンビニでも手軽に味わえる、梅やチーズのはさみ焼き等、商品開発にも力を入れている。

 

海苔は、有明海で取れるものが6割を占める。

 

有明海は、海苔の養殖にとても適していて干満の差が激しく、更に陸から多くの川が流れ込んでいるので海苔の養殖にとても適している。

 

干潮の時は太陽の恵みをふんだんに受け、満潮の時は海の栄養をたっぷり含み、流れ込む川からは陸の栄養が注がれる。

 

ビタミンAやBが豊富で、青魚などに多く含まれるEPA(エイコサペンタエン酸)も含む。

 

特に、EPAを含む食品は、植物の中では海苔しかない。

 

更に焼くことによって栄養価が増す。

 

日本古来の、体によく美味しい海苔を伝えて行きたい。

 

2、良い形で次の世代に引き継ぎたい!

 

私の役目は、代々続いてきた山本海苔店を次世代に繋ぐこと。

 

それが使命と思っている。

 

 

 

山本海苔店

 

http://www.yamamoto-noriten.co.jp/