ワタナベボクシングジム
WBA世界スーパーフェザー級王者
内山高志氏
2012/2/20 13:00
◆業種
プロボクサー
◆子供のころになりたかったものは?
プロサッカー選手に憧れたこともあった。
小学生の頃は少年野球、中学からサッカー少年。
当時Jリーグが流行っていて、三浦知良選手に憧れた。
春日部の中学でレギュラー入りしたものの、「サッカーのセンスないなぁ」と思いあきらめた。
中学の時、初めてボクシングをテレビで見て「カッコいい!!」と思い、高校に行ったらボクシングをやろう!と決意する。
なぜかボクシングは、やる前から「やれそう!」と思った。
高校は、ボクシング部のある高校に進学。
高校に入ったら、雲の上のような強い先輩がいっぱいいた。
最初の思い込みとは違い、やってみたら全然ダメだった。
同級生でも物凄く強い。
先輩にはボコボコにされた。
ところが、ボクシングに関しては、諦めるどころか、悔しくて強くなりたい!と思うようになった。
考えてみると、これまでのスポーツは団体競技、ボクシングは個人競技だ。
野球の時は「ピッチャー打たれてんなぁ」。
サッカーの時は「もっと良いパス回せよ」。
とか「キーパーちゃんとしろよ」と他人事だった。
ボクシングのような個人戦は、誰のせいにも出来ない。
初めて本当の悔しさを知ったのだ。
男と男の勝負!明確に結果が出る。
特に、同級生で同じ体格のやつには絶対に負けたくない。
負けたくない気持ちが物凄いプレッシャーとして圧し掛かる。
だから誰よりも練習した。
個人戦は、悔しさも倍増するが、喜びも倍増する。
野球やサッカーで勝ってもあまり喜びを感じたことがなかったが、ボクシングに出会ったお陰で、喜びを味わうことが出来た。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
練習
また、休むことも練習だ。
3日はジムで練習し、1日休む。
この繰り返しだ。
休みも大事で、体を上手に休ませなければならない。
だから、疲れることはしない。
「他のスポーツをやりたいな。」と思ってもしないようにしている。
もちろん怪我もしてはいけないからスノボやスキーもしない。
勝つための毎日だ。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?
1、木庭(こば)先生
高校のボクシング部の監督
技術はもちろん、礼儀や挨拶を徹底して教えられた。
とにかく恐い!
怒らせたらヤバイ!と評判の先生だった。
毎日練習が終わると、先生からの話がある。
しかし、地方の学校だから、電車も20分から30分に一本しかない。
ついつい、先生が話している途中「チラッ」と時計に目をやると直ぐにわかって大変なことになる。
部員は、全員ピクリともせずに話を聞いていた。
また、ボクシングは意外と地味で、達成感を味わうチャンスが少ない。
練習試合に勝ち負けがないのだ。
だから試合に出られない部員は、辞めて行くやつが多い。
自分の代も30人入部して15人は辞めていった。
そんな時、木庭先生は一人ひとりに対応されていた。
ボクシングを辞めて、エネルギーを発散する場が無くなったやつは大抵グレるからだ。
在学当時は、あまりわからなかったが、面倒見の良い先生だ。
今でも、先生から電話が入るとピリッとする。
2、両親
高校の時、試合前の減量中に母が「何か食べない?」と何度も聞いてくる。
こちらとしては、食べたくても我慢しているので、とても腹がたった。
怒りに任せて、一度だけ壁に穴を開けてしてまったことがある。
すると父が飛んできて、「自分で決めてやってんだろ!」と怒鳴られた。
「確かにその通りだ。」
冷静になって考え、それからは八つ当たりをしなくなった。
男三人兄弟の真ん中で育ったわりに反抗期もなく、母に「くそババァ」といったこともない。
安定した精神力と、継続できる力を与えてくれた両親に感謝している。
◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?
1、「恐れず、驕らず、侮らず」(おそれず、おごらず、あなどらず)
この言葉は、今でも忘れず大事にしている。
高校ボクシング部の部訓だ。
人は、上に行くと驕り高ぶる。
特にボクシングのような個人戦だと「栄光は自分のお陰」になってしまう。
驕れば、侮り、油断する。
チャンピオンになると下からのプレッシャーが凄い。チャンピオンとして少しでも驕れば心の隙が出来る。
きつい練習を続けることで、隙を作らない。
2、「継続は力なり」
自分の好きな言葉だ。
やり続けてきた事は、必ず成功し自信になる。
そのことを体験して知った。
「相手は俺より練習をしていない。」と思えるくらい練習してから試合に臨む。だから「負けたらどうしよう」等と考えたことがない。
常に悔いのない試合をし続ける。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
大学1年生の11月に出場した「全日本選手権大会」
ボクシング推薦で入った大学には、日本全国からのチャンピオンが集まっていた。
監督やコーチに期待されるのは上位の選手のみ。
自分は荷物番だった。
同じ1年生なのに先輩と同じ扱いを受けているやつもいる。
イヤでイヤで、すんごい練習をした。
物凄く屈辱に感じ、悔しかった。
しかし、お陰でこれがエネルギーになった。
週6日は練習に当て、大学が休みの日は、高校のボクシング部に行って練習した。
夏休みになると、地方出身者は地元に帰る。
地元に帰ってまで練習をするやつは殆どいない。
その間も、高校のボクシング部で練習を重ねた。
高校も休みの時は、一人だけ可愛がってくれた2つ上の先輩がスパーリングの相手をしてくれた。
練習に練習を積み重ね、全日本選手権大会では埼玉県の代表として出場することが出来た。
トーナメント表をみると、天才と言われた同じ大学の先輩も、福岡県代表で出場することがわかった。
なんと2回戦目でその先輩と当たる事になり、部の皆からは散々「負ける。負ける。」と言われた。
その言葉を尻目に、自分を信じて試合に臨んだ。
その甲斐あって、先輩に判定勝ちした。
皆のあっけにとられた顔が忘れられない。
泥臭く練習し続けた成果だ。
この後、回りからも評価され、レギュラー入りを果たすことができた。
今までの人生の中で「一番良かった。」と思える体験だ。
この成功体験のお陰で、「努力すれば何とかなる。」ということを、身をもって知った。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
オリンピック断念と怪我。
大学を卒業してオリンピックを目指すため、旅行会社に就職した。
24歳の時、あと一歩のところでオリンピックを断念した。
4年後となると年齢もきつくなるし、父との約束もあったからだ。
仕事人間だった父は、仕事に専念することを願っていた。
自分も早く社会人としてのスキルを身につけようと思っていたので、悔いなく引退を決めた。
それまでの練習と仕事の両立生活とは打って変わって、急に楽になった。
ところが2ヶ月もすると、モヤモヤしてきた。
ボクシングの試合で、友達が活躍しているのを観るとどんどんやりたくなった。
かねてより声をかけてくれていた、ワタナベボクシングジムのマネージャーが、また声をかけてくれた。
そこまで言ってくれるなら、とプロの道へ進むことを決意。
ところが、プロになって直ぐ、左手の中指の拳を手術することになった。
アマチュア時代に右手中指の手術を経験しているが、それより更に重症だった。
正直、この先不安になったがやり続けるしかない。
10ヶ月のブランクの間は、走りこみ重視の毎日で乗り越えた。
ボクシングだけでは食べられず、アルバイトもしながら練習をし続けた。
その甲斐あって、プロになって5年後の2010年に、世界チャンピオンを獲得。
今も維持し続けている。
◆夢は?
とにかく勝ち続けること!
ボクシングを愛好する世界中の人から「内山が一番強い!」と言われるようになりたい!
今出来る限りがんばる。
1から2年後にもっともっと強くなった自分がいる。
強くならなければ続ける意味がない。
内山高志オフィシャルウェブサイト
http://takashi-uchiyama.com/
内山高志オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/takashi-uchiyama/
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