圧倒的なパワーと愛情で時代を牽引する衆生王



NPO法人 

100万人のふるさと回帰・循環運動推進・支援センター

代表理事 事務局長

高橋 公氏

2013.1.31 1500


高橋公

 

業種

社会活動家


子供のころになりたかったものは?

パイロット

生まれたのが終戦直ぐだったこともあり、当時の子供たちは皆、戦闘機乗りに憧れていた。

その後は、プロ野球選手、中学生になると弁護士になろうと思った。

悪ガキの弁護をよくしていたので、みんなが向いていると言っていた。


毎日欠かさずしていることはありますか?

寝る前の30分、読書をする。

ジャンルはこだわらない。

最近読んだお勧めは、浜田宏一著「アメリカは日本経済の復活を知っている」

「現代の不況の原因は日銀の金融政策失敗によるもので、円高デフレを解消すればよい。」といったようなことが書いてある。

内容は多岐に渡りかかれているので、読み物としても面白い。


自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

倉田百三(くらたひゃくぞう)著「愛と認識との出発」

倉田百三との出会うきっかけは、武者小路実篤。

中学の頃から、武者小路実篤が大好きで、出版されている書物は殆ど全部読んだ。

その中に、倉田百三が出てきて興味を引かれた。

高校生の頃だ。

「愛と認識との出発」を読んだとき、人は何のために生きるのか?愛とは何か?と考えさせられた。

座禅を組み日々考えた。

その時、自ら出した答えは「自分に忠実に自然児として生きよう!自然体で喜怒哀楽を表現し、気持ちよく生きる!」ということ。

すると、解脱したように肩の力がストンと落ちた。

また、暴力的な自分だったが、マルクス主義的弁証法に出会い、ものの理が自然にわかった。

マルクス主義的弁証法:世界は観念的な神や絶対知に向かって発展していくのではなく、物質に、自然科学に向かって発展していっているのである。(Wikipediaより抜粋)


自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「なせばなる、なさねばならぬ・・・・」

この格言は深いのだが、高校の時、冒頭の部分に惹かれた。

人間の能力は無限であり、できない事があるとすれば、それは手抜きや妥協をするからだ。

一心不乱にやれば、自ずと道は開ける!


人生の転機はいつどんなことでしたか?

1969
417日学生運動で、早稲田大学を占拠したとき

革命を起こそうと思ったのだ。

当時は、能力に応じて働き、必要に応じて供給される社会を目指し、「日米安保条約反対!」と革命を起こそうと国会の周りを練り歩いた。

使用者と労働者という関係ではない、平等でレベルの高い社会を目指した

私は、小学校1年生の時に母を亡くし、その約1年後に後妻に入った継母に育てられた。

この継母は、嫁いでから産まれた実子と自分たちを赤裸々に差別した。

本来なら長男であったため、総領の甚六(長子は大事に育てられるので、その弟妹よりもおっとりしていたり、世間知らずであったりするということ。大辞泉より)であるはずが、「早く家を出て独り立ちしたい!」という思いから、人一倍本を読み勉強もしたが暴力的でもあった。

高校からは、叔父を頼りに横浜に出て、一人で生計を立てながら学校に通った。

その高校時代、樺美智子(かんばみちこ)の遺稿集『人しれず微笑まん』を読んで、物凄く影響を受けた。

その時代背景には60年安保闘争があり、正義感から樺美智子の志を引き継いだ。

樺美智子:1960615日のデモで全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入した際、警官隊と衝突して死亡した東京大学の女子学生。(Wikipediaより抜粋)

60年安保闘争(あんぽとうそう)とは、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。(Wikipediaより抜粋)

その後、早稲田大学に進学して学生運動を起こした。

大学本部に突入し、教職員を全員追い出し大学本部を占拠した。

バリケードを築いて立てこもり、毎日集会を開き士気を高めた。

また、カレーや豚汁などの炊き出しもした。

しかし半年後、機動隊の導入で占拠は強制解除された。

私は責任をとるつもりで自ら大学を退学した。


問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

学生運動では革命できなかった。

弾圧を受け、限界を感じた。

仲間には精神が壊れたものもいて、精神病院に連れて行ったこともある。

私も、エネルギーの持って行き場所がいきなりなくなり、物凄い虚無感を味わった。

しかし、生活もあるのでいつまでも落ち込んでは要られない。

築地の魚河岸で仲買の仕事を始め、やり場の無いエネルギーを肉体労働に向けた。

酒を飲み、荒れた事もあった。

そんな頃、神道夢想流という武道に出会った。

全国大会出場を果たし、一時はプロになろうとしたことがあったが、センスの限界を感じて断念。

このままではいけないと思い、魚河岸の仕事は4年半でやめ、色々な仕事を経験した。

その後、自治労に入り、35年間労働組合をやった。

自治労から連合に出向し、政策を担当した。

 

その時、地方の高齢・過疎化を思うとこのままでは日本が行き詰まると危機感を覚えた。

都市と農村の交流と移住を考え、2000年、地方で暮らすことを希望する都市生活者や定年退職者などのために、受け入れ体制や技術指導などの基盤を整備し、地域活性化と新たな価値観を創造するための社会運動として、現在のふるさと回帰センターを立ち上げた。
http://www.furusatokaiki.net/about/purpose/

学生運動に一生懸命だった20歳前半の頃を一言で表現するなら、「子供だった」のだと思う。


夢は?

福島県浜通り出身であり、原発のない安全で平和な社会を創ること。

団塊の世代として役割をしっかり果たしたい!

現在65歳だが、今まで経験してきたことを活かす事。

学生運動の組織・運営や、ストライキ、選挙活動、労働組合の仕事など様々な経験をした。

志を同じくした、政治家になりたい人のお手伝い等もしていきたい。

認定NPO法人「100万人のふるさと回帰・循環運動推進・支援センター
http://www.furusatokaiki.net/

「高橋 公」ふるさとブログ
http://www.furusatokaiki.net/blog/