不条理をも新たな扉を開くコミュニケーション王


株式会社KDDIウェブコミュニケーションズ 

元Jimdoカントリーマネージャー

駒井健生氏

2013.9.26 15:00


駒井健生

 

業種

 

ITサービスプロバイダー

 

 

子供のころになりたかったものは?

 

サッカー選手

 

3つ上の兄の影響で、9歳の頃から始めた。

 

キャプテン翼が流行っていた頃で、その影響もあったと思う。

 

小学校4年生から、父の転勤によりアメリカのケンタッキー州で3年間過ごしたが、その間もサッカーは続けていた。

 

中学からJリーグが始まったこともあり、帰国後も続けていたが高校の途中で諦めた。

 

 

毎日欠かさずしていることはありますか?

 

辛くても1日1回は、笑顔をつくる!

 

出社時と退社時に駅から会社の間でする。

 

24歳頃から8年間続けている。

 

当初は営業職についており、難しいことがあると、つい険しい顔になってしまう。

 

しかし、険しい顔をしていれば人は近寄りがたい。

 

また街中にはお客様もいて、外で険しい顔をしている担当よりも、笑顔の担当のほうが印象がよいので。

 

 

自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

・会ったことのない二人の祖父

 

1、父方の祖父

 

戦前に、単身、船でアメリカに渡った。

 

石川県の金沢出身で、アメリカで何をしたかはわからないが、一山当てて帰国したらしい。

 

更に、どんな経緯があったのかわからないが、帰国後、財閥系の銀行支店長になり、京都に500坪の豪邸を建てた。

 

執事のいる生活をしていたが、父が幼いころ、銀行を辞め起業をしたら大失敗。

 

家は小さくなったが、末っ子の父を含め5人の子供を立派に育て上げた。

 

そんなダイナミックな祖父の話を聞いて、そのDNAを引き継いでいるのなら、大抵のことは何とかなるだろう!と思えた。

 

2、母方の祖父

 

祖父は、母が幼い頃に亡くなり、母子家庭となっても祖母は働くことなく生活ができたという。

 

日常の買い物は、魚屋さんや八百屋さんが御用聞きに来るので、母親が「魚屋は来てくれるもの」と誤った常識を身に付けるような生活だった。

 

祖母は、祖父の残したいつくかの山を売って、今までどおりの生活していたというが、子供たちが成人するころには、とうとう尽きたらしい。

 

そんな祖父たちの血も引いていることが、今も励みになっている。

 

・奴隷制度開放をしたリンカーン

 

アメリカで人種差別を体験したから。

 

自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

1、「一つ上の上司になった気持ちで仕事をしろ!」

 

もし上司だったら、今の自分をみてどう思うか?また、どのようにアドバイスをするか?そう考えると、自分の悩みが小さく見えてくる。

 

また、こうすれば良い!と気づける。

 

更に、自分が上司になったときのシミュレーションも出来る。

 

 

人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

1、小学校4年生から3年間、アメリカで生活したこと

 

小学校の高学年は、日本語の基礎を学ぶ時期。

 

その期間をアメリカで過ごしたことで、良い事も悪い事も経験した。

 

良い事は、帰国後も英語を忘れずに使えた事。

 

小学校の低学年より小さければ、帰国後は英語を忘れてしまいがちだ。

 

悪い事は、日本語が中途半端になった事と、最初は言葉が全くわからず、人種差別もある中で寂しい思いをした事。

 

ケンタッキー州には、トヨタの大きな工場があったので、日本人が多くいる学校に入ることもできたと思うが、両親は一番近場の普通の現地小学校を選んだ。

 

英語が全くわからないのに、いきなり授業が全て英語になり、学校では何も理解することも話すことも出来ない環境に置かれた。

 

1年たっても言葉はよくわからなかった。

 

お陰で表情を読み取る力がついた。

 

言語が必要ないサッカーや体育の授業を通して一つ一つ覚えていった。

 

だんだん友達も増え、日常会話ができるようになると、友達の口から「ジャップ」という言葉が飛び出して「しまった」という顔をされたこともあった。

 

その子に悪気はないのだろうが、人種差別の風習が根強く残っている地域で、子供ながらに「あー影では言われているんだな。」と思った。

 

学校では、白人も黒人も一緒だが帰宅後は一切、一緒に遊ぶところを見たことはなかった。

 

馴れない環境に、陰では心配してくれていたと思うが、子供の頃から、男兄弟二人でいたずらを沢山しても、自由にさせてくれた両親。

 

父が落第しない程度に宿題を手伝ってくれたが、必要以上に口を挟むことはなかった。

 

お陰で、自ら色々と経験し学ぶことが出来た。

 

2、中高で味わった不条理

 

中学から授業で英語を学ぶのだが、正直最初の頃は、学ぶものが何もなかった。

 

しかし、英訳をする際に、教科書通りでなければ間違いとされる。

 

アメリカでは別の表現を使っていたのに!認めてもらえない。

 

「間違っていないのに!」と、納得できないものがあった。

 

アメリカは結果をだせればやり方は自由だったので、日本の、理屈なくこれはこれ!と決めつけられ、決まったものを覚えるだけの学校教育には違和感があった。

 

中学、高校はどちらかというと我慢の日々だった。

 

だから、大学はカナダで学び、卒業後、就職は日本でした。

 

3、人形町の交差点で先輩に偶然出会ったこと!

 

26歳のある日、カナダの大学の先輩に人形町の交差点でばったり会った。

 

先輩はレンタルサーバーの会社で仕事をしているという。

 

日本に帰ってから一度も連絡をとったことがなかったが、「一緒に仕事をしよう!」と誘ってくれた。

 

その後も、2、3回飲みに行き、その度に誘ってくれた。

 

3回目の時、新しいサービスが始まることを聞き、これは面白そうだと思って転職した。

 

その新しいサービスがJimdoで、誘ってくれた先輩は、KDDIウェブコミュニケーションズの現副社長。

 

それまで私の仕事は営業職で、新卒の頃は訓練のため飛び込みもしたこともある。

 

自分から行かないといけない仕事だった。

 

オンラインビジネスは、ネット上でのやりとりだから、全く人と話さなくてもできる。

 

更に、人為的な営業は殆どなく、ユーザーに対してどちらかというと受身だ。

 

当時は、100名足らずの小さい会社だったが、真逆の仕事に興味が沸いた。

 

ただし、無料のサービスであるJimdoは、宣伝活動も無料ですることになり、広告の予算はなかった。

 

運良く「ツィッター」が流行りだしたところだったので、そういったコミュニティーサービスを最大限に利用し、母体のレンタルサーバーCPIの広告やイベントに便乗させてもらった。

 

また、ラッキーなことに、2009年から2010年にかけて、「10分でできるホームページ」という本がたまたま出版された。

 

クラウドコンピュータの商法活用ガイド本のようなもので、JimdoFacebookが取り上げられていたのだ。

 

これに便乗!今ではベタな方法だが、「ツィッター」でこの本を抽選でプレゼントすると告知し知名度を上げた。

 

その後も、Jimdoの利用者がノウハウ本を出版するなどで、更に口コミで広がっていった。

 

 

問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

アメリカでの経験

 

言葉はわからないのでコミュニケーションが成り立たない上、人種差別があり、なかなか友達ができなかった。

 

常に教室では一人ぼっち。

 

しかし、ある事をきっかけに人を集めることができた。

 

武器になったのは日本のおもちゃだ。

 

ラッキーなことに、クラスに一人、日本語を習っているという日本贔屓の子がいた。

 

しかし、ほとんど喋れない。

 

その子に「ガンダムのカード」を見せると、たちまちクラスの注目が集まった。

 

カード欲しさに、昔の5セント硬貨(銀貨)と交換してくれという子も出てきた。

 

他の子も色々と交渉してきて、かけ引きを覚えた。

 

ガンダムのカードにはポイントがあり、ポイントに応じて金額も変化。

 

最高取引は1800年台の1ドル銀貨。

 

当時の日本円にして15,000円程度の価値だ。

 

他にも、スーパーファミコン等は、日本の方が早く、「なんでお前はそんなのもってんだ!」と、お互いの家に遊びに行くようになった。

 

夏休みなどに一時帰国した際は、カードやゲームを仕入れ、コミュニケーションツールとした。

 

きっかけは何でも良い、もっているものは何でも使えば良いことを学んだ。

 

お陰で友達も増え、言葉も覚えることができた。

 

 

夢は?

 

幸せに生きること!

 

なるべく世界平和。

 

一人ではどう頑張っても難しいし、そんな器ではないが、関わる人は幸せにしたいと思っている!

 

 

株式会社KDDIウェブコミュニケーションズ

http://www.kddi-webcommunications.co.jp/index.html

 

Jimdoチーム

http://jp.jimdo.com/about-1/jimdo%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0/



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