院長
独協医科大学、独協大学
講師
谷田貝 茂雄 氏
2011/5/7(土)13:00
講演会のテーマ
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・「ひとりに2カ所のかかりつけ~地域の基幹病院とホームドクター~」
・「医者のかかりかた」
・「ニューマンエラーと医療事故」
・「健康の定義~肉体的、社会的、精神的、
そしてスピリチュアルに健全であるということ~」
・「医療、薬剤、食品の誤解」
・「突然起こる脳卒中、心筋梗塞。症状なく進行する癌と動脈硬化」
・「ナラティブベイスドメディシン」など
◆業種
開業医
◆子供のころになりたかった職業は?
学校の先生か医師
父も祖父も叔母も医師でした。
自宅で医院を開業していて、幼い頃から常に祖父と父の背中をみて育ったので医者になるのは全く自然なことでした。
獨協高等学校という医師の師弟が多い高校に入学し、自然に多くの先輩、同級生、後輩も医学部に進学しました。
現在は、獨協高等学校の現役医師約1,000名が所属する獨協学園ドクターズクラブの主務を任されています。
今では息子も、母校医学部6年生に在学しています。
息子は、私が母校医局の講師として講義をしても嫌がりません。
息子の同級生達全員の前で講演しても、苦笑いしながら一番前で見ていてくれます。
同じ志を持ち、素直な子に育ってくれたのは「家族と御先祖様」のお陰と感謝しています。
今時の若者は、「マナーが悪い」「やる気がない」「視野が狭い」という人がますが、私の周りの若者は皆、礼儀正しくやる気も有るし視野も広いです。
大学の講義や息子の友達、ラグビー部の後輩、若い患者さんなど「今時の若者」に実際触れてみると、皆が礼儀正しく素晴しくキラキラしています。
「今時の若者」と触れ合う機会がないとわからないでしょう。
流行歌にしても、「昔の歌はよかった、今の歌は・・・」などと言う人がいますが、今の歌だって当然素晴しい歌はたくさんあります。
「今の歌」を聞かないからでしょう。
今の若者や今時の歌に触れもしないで、悪い印象を持つことは社会を悪くすると思っています。
「今時の若者は」という言い回しは平安時代からあるのです。
現に、東日本大震災が起きた時も、多くの若者が交通費や食費も自腹で駆けつけました。
「今時の若者は・・・」という大人は若者や流行歌に触れ合う機会がなく、気持ちも老いているのだと思います。
「愚痴やぼやき」の多い御高齢の方に、いつも「皆さんの教育が良かったから、今の若者も素晴しいのですよ。」と申し上げると、御高齢の方に笑顔が出ます。
こうして「良い事」を認知・回想することで皆が良くなる、そしてそこには良い人達が集まると思っています。
※同じ医学を志す息子が違う部活を選んだ事から学んだ事。
私は、学生時代からラグビー部に所属していて、今でも医師と歯科医師約70名の「東京ドクターズ ラグビーフットボールクラブ」に所属しラグビーを続けています。
息子も母校でラグビーを!と期待したのですが、なんと軟式テニス部に所属してしまいました。
その時、自分で選んで自分の好きな事をやるという息子の考えを尊重しました。
周りの仲間からも、息子がラグビー部に所属することを期待されていましたし、私としても「なんで・・・」と思っていましたが、最近になって、はじめて見た息子の大学5年生の引退試合を見て考えが変わりました。
仲間達と楽しそうに、自分で選んだ本当に好きな事をしているのです。
嬉しかったです。
帰りの新幹線でひとり感動して涙が出た程でした。
人が本当に楽しいと思うことは、当然親子でも違いがあります。
ひとりの人間の好みを尊重すると、その人は輝くと思います。
押しつけるとつぶれてしまうのです。
まして、患者さんは100人いたら100人とも家族背景や職業、好みが違います。
人は押し付けでは動かないし、良い成果を出せません。
だからこそ、ファミリードクターとして患者さんの話をよく聞いて、患者さんの好みや背景に見合った治療やアドバイスをすることを大切にしています。
私の両親も、私に好きな事をさせてくれました。
親(リーダー)は、周囲の人間(家族、恋人、後輩、部下)が自分の力を十分に発揮できるようにするのはどうしたらいいのかを考え行動するのです。
好きな事をさせて見守るのが、親(リーダー)の姿だと思います。
「真理は一つ!」ブレたら終わりだろうか?
柔らかく「朝令暮改(朝に出した命令を夕方にはもう改めること。)」締めるとこを締めて、緩めるとこを緩めるようにしています。
ダーヴィンの進化論の通り「生き残るものは強いものでも賢いものでもない。変化に上手に対応できるものだけ生き残る」うさぎ、キリン、ゾウなどがいい例でしょう。
ちなみに私は歩いているとき、信号無視をしません。
前任の大学病院で、多くの医師が病院前の横断歩道を忙しく歩き信号無視をしていました。
病院の窓から、それを見ていた患者さんが「お医者さんが信号無視をしているので心配だ」をつぶやいたからです。
なかなか難しいですが、公人として模範とならなければいけないと思っています。
ラグビーも「ルール」を守らないと試合がなりたちません。
医療も人生も同じと心得ています。
◆毎日欠かさずしていることはありますか?
瞑想
やることが多く、外来診療中は3つも4つも物事が同時進行します。
気持ちも身体も疲れるしエラーが生じやすくなります。
仕事が終わって15分くらい、クリニックの机に手帳を置いて一人瞑想することで物事と心の整理整頓が出来ます。
坐禅の様なものです。
その時、ひらめくこともあります。
忘れていた大切なことを思い出すこともあります。
そうしたときは必ずメモをしておくと、時間に追われるうちに本質からズレてしまうことを避けられます。
少しの時間で、濁っていた灰汁が透き通るようになるのです。
気持ちも透き通ります。
医師は、ワーカーホリック(仕事中毒)になる人が多く、うつや不安になる人、燃え尽き症候群も多くいます。
私もスケジュールが埋まってないと不安になります。
スケジュールが埋まっていても不安になる、なぜだろう。
ゆっくり休息を取ることがあまりないので、この瞑想の時間を大切にしています。
◆人生の転機はいつどんなことでしたか?
麻酔科に入局した事、内科に所属を変更した事、東京に帰り外科に所属を変更した事、2000年に開業した事、それぞれ「決断の時」であり転機でした。
私の父は、私が22歳の時に亡くなりました。
開業していた医院は、父が亡くなったと同時に閉院していたので、大学を卒業すると母校獨協医科大学の麻酔科研修医として就職しました。
父が生前「卒業したら麻酔科を勉強しなさい。麻酔科は、心臓病や呼吸器から脳外科や耳鼻科など色々な病気の手術に立ち合える。それを経験してから専門を決めるとよい。」と言っていたからです。
迷わず麻酔科を選択しました。
麻酔科から出向し、集中治療室で仕事をしているときに、当時内科学講師で現在は栃木県小山市、友井内科クリニックの院長である塚田錦治先生と出会いました。
塚田先生から「科学だけでは患者さんは救えない。もっと呼吸器病や循環器病を勉強し、患者さんという人間を見つめなさい」とアドバイスされ、呼吸器循環器を専門とする内科(現 獨協医科大学心臓血管内科)に所属変更する事になりました。
内科では大学院を含め10年間御世話になり、最後の3年6ヶ月は国立栃木病院に6名の内科医の医長として派遣されました。
その頃、東京に一人でいる母を呼び寄せようとしましたが、母は東京を離れようとしなかったのです。
そこで、36歳で母のために東京に帰ることを決意、実家に一番近い日本医科大学第一外科(消化器外科)に就職しました。
不思議な御縁で、現在の日本医科大学第一外科 主任教授の内田英二先生と准教授の加藤俊二先生とは、私が麻酔科勤務時代に母校の麻酔科に出向したとき、一緒に仕事をしたことがありました。
ですから、なんの不安もありませんでした。
麻酔科から内科、そして外科へ、一般的に医師が専門を変えることはあまりないのですが、当時自分にとって一番興味があったのは消化器外科でした。
36歳で外科医としてゼロからのスタートとなりましたが、日本医科大学の先生達は私に対して優しく快く、手術や処置などを教えてくれました。
幸い麻酔科に所属していた経験が役に立ち、全身麻酔も引き受けて手術も多く執刀させていただきました。
現在も手術が必要な患者さんを日本医科大学第一外科の顔が見える(信頼できる)先生に紹介できるのは、その時の人間関係があるからです。
麻酔科で学んだ「全身麻酔をかけるという事」や「疼痛管理」、呼吸器内科で学んだ「手順を踏んだ胸部レントゲン読影」や「閉塞性肺疾患管理」、循環器内科で学んだ「動脈硬化の侵襲的および非侵襲的診断法」や「動脈硬化の危険因子管理」、消化器一般外科で学んだ「消化器癌診断」や「外来の外科」などなど、16年間にわたりそれぞれ専門に臨床医学を広く吸収できたことが「家庭医」である現在の私を支えてくれています。
これらの臨床研修には、多くの先輩達に一方ならぬ御世話になり、言葉では言い尽くせないくらい感謝しています。
その後、日本医科大学第一外科では、私の「ゆくゆくは地元で地域医療に貢献したい。」という希望を聞いてくださり現在開業している場所から歩いて3分の下谷病院に出張させてくれました。
そしてその2年後、私は40歳になり家内の父が家業を引退するので、家内の実家で今のクリニックを開業しました。
前任病院の患者さん達で、15年にわたり来てくれている方がいます。
それは私の一番の喜びとなっています。
◆自分の支えになった、或いは変えた人物は?
一人目:崎尾 秀彰先生
獨協医科大学救命救急科名誉教授で、私が医師となって入局した当時の麻酔科助教授。
医師となった日から直接厳しい指導を受けました。
いまでいう「パワーハラスメント」「アカデミックハラスメント」なみに厳しく愛情あふれる指導でした。
少しエピソードを紹介します。
麻酔科入局後1ヶ月がたち6月に長崎で麻酔学会があり、わくわく気分で崎尾先生の隣の座席で飛行機に乗り込んだときの事です。崎尾先生は、いきなり「抄録(学会の講演プログラム)をみせなさい」と言いました。「抄録?なんですか?一応ここにあります」と答えると、崎尾先生は私の麻酔学会抄録を手にして「いついつどこの講演を聞くかあらかじめラインマーカーなどでチェックしておくものだ。君の抄録はチェックがない。読んだ形跡すらない。聞く気がないなら帰りなさい。」と飛行機の中で怒られました。1ヶ月前まで学生だったのだから無理です。飛行機は離陸していますから帰れません。これが私の怒られ初めでした。その夏東京で「麻酔とリマニマシオン」という講演を崎尾先生と聞きに行きました。講演を聞いた帰り道「今日の講演内容を1分間で話してみなさい」と言われました。絶句し答えられずにいると「いったい何を目的にきたのだ。講演を聞いたら要約を話せる事。まとめる力」が大切なのだと教えていただいたのです。いつでもどこでも「それは英語で表現すればなに?スペルは?」と聞かれ怒られる。毎日手術室で、集中治療室で、外勤の行き帰りで、休憩室で怒られる毎日でした。
学会発表デビューの時。当時ワープロなどない時代手書きの原稿を何回も何回も赤鉛筆で直してくださいました。いつまでもOKがでないので「いつまで書き直すのですか?」と訊ねると「講演の直前まで」との答えでした。崎尾先生が自分で書きなおした部分も御自身で納得いくまで書き直していました。論文デビューは日本救急医学会雑誌に投稿した「心刺創の周術期管理」でした。この時もまた「投稿締め切りの朝まで」書き直してくれました。崎尾先生は医局員の学会発表や論文作成に莫大な時間と労力を惜しまず使ってくださいました。崎尾先生の緻密できめ細やかな学問に対する姿勢を思い出します。私が内科に所属変更しの大学院時代に崎尾先生も自ら研究室で実験をしていました。崎尾先生は自分で犬を外に連れ出し排便させて、自分の手で麻酔薬を静脈投与して実験していたのです。そうする事で犬の栄養状態や全身の様子を観察するのだと言っていました。私は手間がかかるから後輩や技術員に御願いする事が多かったのですが崎尾先生の実験に対する姿勢こそが本当の「Research mind」なのだと思いました。
仕事に対する姿勢を教えていただいた事で、ちょっと大げさですが崎尾先生から学んだ最大の出来事です。当時の集中治療室は朝8時30分に集合してスタッフと各科の医師に当直医師が入室患者さんの報告をするカンファレンスがありました。そのカンファレンスで崎尾先生は、前の夜新しく入室してきた患者さんの事、深夜で起こった急変のこと使った薬剤や処置について詳細に把握していて、私に「君は、なんで知らないのだ!患者さんをよく診ているのか!」と怒られます。「崎尾先生は患者さんをよく診ているんだなぁ」と感心していました。そんなある日集中治療室で当直して朝のカンファレンスに備えて温度板を見ていたら、朝8時に崎尾先生がふらりと来て患者さんのベットをまわって温度板に目を通し看護師さんに、あれこれ質問していました。患者さんの状況をすべて把握してからカンファレンスに出ていたのです。私は「これか!このひと手間だ」と気づきました。崎尾先生の1日の終わりは午後9時30分過ぎに集中治療室に来て患者さんの様子をみて当直医に声をかけて手術室に電気がついていないかみて「緊急の手術が行われてないか確認」さらに救急外来の前を通って「なにか起こっていないか確認」して帰宅していたのです。これこそ「臨床医の仕事に対する姿勢」なのです。その後、私は麻酔科から所属変更し内科で大学院を含め10年間、実家の東京へ戻り日本医科大学第一外科で4年間勉強し開業しました。大学病院でも、どこの派遣病院でも朝一番は外来の日でも検査の日でも必ず「まず病棟に行って受け持ち患者さんの様子をみて看護師さんに声をかけてから」そして「帰宅する前に、ちょっと病棟へ」を常としていました。医師として仕事に対する姿勢を教えていただいた崎尾先生には言葉では表現できないくらい感謝しています。
要するに「ひと手間を惜しまない」で「自ら行動し模範となる」事なのです。
二人目:大塚 邦明先生
東京女子医科大学東医療センターの教授で病院長です。
地域の研究会で「3つの気付き」を教えてくれた素晴らしい科学者であり、人間愛に満ちあふれる先生です。
心から尊敬している教祖様のような存在です。
1:「高齢者は高齢者の能力に見合った医療をする」:Comprehensive Geriatric Assessment
「住み慣れた地域で、いつまでも健康で自立した生活を送りたい」、これは、高齢者の誰もが有する普遍的な願いだと思います。
一方で、高齢者は、病気やケガ、認知症などの不安、経済的な不安、社会参加や交流の場を失う不安、残り少なくなっていく時間に対する不安などに囲まれながら、日々生活しています。
人はいずれ「死」を迎える、「死」の形は「人それぞれ」です。
突然なくなる人もあれば、ろうそくの火が消えるようにしてなくなる人もあるのです。
衣服の着脱、食事、洗面、歩行、排泄、入浴などに、どのくらいの障害を及ぼしているかという認識が必要であり、何より本人の幸福感を大切にする事を教えていただきました。
2、「地域に見合った医療をする」:Glocal Comprehensive Assessmennt
世界も違うように日本の中、東京の中でも条件や好みが違います。
チベットの山奥の医療から東京下町の医療までグローバルでローカルな医療を、行う地域にあわせて実践する。
すなわち、世界的な科学的根拠で地域にあった医療の実践を教えていただきました。
3:「患者さんの語りに耳を傾ける」Narrative based Medicine
「科学や道理が全てではないことをわかりなさい」「患者さんの『語り』に耳を傾けて心の中に入って一緒に舵をとるように」と教わりました。
患者さんには様々な背景があります。
家族構成、好み、職業など全てが違うのです。
誰が食事を作るのだろう?好きな食べ物は?と聞きながら、病気の原因や治療法を引き出していくコーチングを教えていただきました。
要するに「高齢者にとっては生活の質や幸福感が大切である」「世界の標準医療を地域や患者さんの個性にあわせてあてはめていく」「患者さんの語る病気の物語に耳を傾けて心の中に入り込み、患者さんと一緒に良い方向へ舵を取る」事を教えていただきました。
大塚先生は、病院長として超多忙な毎日ですが、御自身が主催される研究会や講演会を一番前の席で全ての話に傾聴しています。
この大塚先生のお姿こそが、科学者として医師として生涯学習者の手本を実践しているのです。
大学病院勤務時代は、ダイナミックな外科手術や救急医療、カテーテル治療こそが医療だと思っていましたが、大塚先生との出会いで「外来診療」の大事さを学んだのです。
この学びが、今開業医として地域医療に活きているのです。
もちろん、他にも多くの出会いがあり影響を受けましたが、崎尾先生との出会いは大学病院勤務時代に、大塚先生との出会いは地域の開業医として大きな影響となったのがおわかりいただけたと思います。
◆自分の人生を支えている言葉は?
「前へ」
今は亡き、明治大学ラグビー部の北島忠治監督の言葉です。
色紙をデスクに置いています。
つべこべ言うな前へ出ろ!とにかくやってみろ!やるしかない!という意味。
端的でわかりやすい言葉です。
以下は、昨年暮れ私が、母校ラグビー部の上位リーグへの入れ替え戦試合前夜に部員達へ向けたメールです。
人生にも同じことが言えると思います。
『いよいよ明日は入れ替え戦ですね。私のメッセージは「前へ」それだけです。ラグビーの試合前つべこべ言うことなく一言「前へ」です。試合に負けた時は相手が強かったのです。誰かのせいでもなく、ワンプレーが原因でもありません。試合までは勝つことだけ考えて練習するだけです。試合の時は「いつものように」やってきた事を出しきれるようにと考えます。生きていくことも、ラグビーで学んだ、つべこべ言わず「前へ」を俺は信条としています。
それから「必ず勝つ」を目指し努力し続けるための前向き思考は、試合途中の、ちょっとしたミスで次第に効力が薄れてくるかもしれません。「絶対に勝つ!」と力を入れすぎると、試合で一時的に劣勢になったときズルズルと気持ちが負ける方にいってしまいます。ではどうすればいいか。「いつものように」です。いつものようにやるのです。大丈夫です。いつものようにやれば明日は必ず勝ちます。』
私は、「患者さん一人に二ヶ所のかかりつけ」を推奨しています。
ファミリードクターとはいえ、夜間、休日、入院の対応は出来ません。
休診日や夜間に急性の病気にかかってしまうことだってあります。
昔のように、深夜に開業医をおこしてレントゲンや心電図も行わず帰宅させる訳にはいきません。
現在は東京都内であれば、どこでも救急病院が365日24時間対応してくれます。
しかし、そんな時、全く初めての病院に行くよりは、ある程度わかってくれている病院があった方が良いと思います。
私は、患者さんに「かかりつけ開業医」ともう一つ「かかりつけ病院」を持つように進めています。
そして、患者さんには「患者力(ヘルスリテラシー)」と「情報力(メディアリテラシー)を鍛えてほしいと思います。
例えば、「抗がん剤が百害会って一理なし」と思っている患者さんが結構います。
アガリスクで逮捕者が出たり、中国製のダイエット食品で死亡者が出た事など忘れています。
薬を飲むより、サプリメントや食事療法の方が良いと決め付けている人もいます。
薬を飲まなかった時にこうむる大きな不利益や、手術を躊躇しているうちに手遅れになることがあることを知ってほしです。
また、「高血圧の薬を飲むと一生のみ続けなければならない。」と認識し、「薬は飲まない。」とする人がいます。
きちんと飲めば下がるのに、飲まなければ動脈硬化が進むだけです。
また、血圧の薬を飲んで下がったら、やめてしまう人もいます。
「メガネ」と同じでやめれば元に戻るだけなのに。
健康食品やサプリメントだと取り入れて、「薬」というと嫌がるのはなぜでしょう。
世界の一流紙に紹介されている薬剤が、健康保険で手に入るのに。
ちなみに私は頸椎の大きな手術を受けています。
患者さんのなかには「脊髄の手術なんかしたら車いすだ」と思っている人も多くいます。
必要あって手術をすすめられても車いすになるまで手術しない人は、残念ながら手術しても車いすなのです。
患者力を鍛えて欲しい、情報力を持って欲しいです。
こういうことを、色々なところで講演するとバッシングを受けることがありますが、市民セミナー等で情報は発信し続けています。
日本は科学的知識や病気に対する意識が低い、先進国20カ国の中で17位です。
健康には感心があるが、足元の健康、すなわち生活習慣病やがんには関心が薄いのです。
我々医師も科学的根拠を鵜呑みにしているわけではありません。
目の前の患者さんに適した、正しい個別化された治療が行えるかが問題だと考えています。
同じ病気でも、患者さん一人ひとり治療法も薬も違うのです。
だから患者さんも、こういった情報を受取る「患者力」を鍛えてほしいのです。
情報に振り回された「新型インフルエンザ」「放射線風評被害」を思い出して欲しい、医師の良心を信じて欲しいのです。
例をあげてみると「胸の痛み」で来院した患者さんの心電図を見て「心筋梗塞の疑いがあるから直ぐに救急車でカテーテル治療の出来る大きな病院に紹介します」と患者さんに申し上げても、「先生、胸が痛いから来たんだよ。早く痛み止めを出してくれ。」という方が多くいます。
御高齢の方などは、家族を呼んで説明しても救急車にのって大きな病院に行く事に踏ん切りがつきません。
そんな方が、道理の通った説明で私のことを信じて救急搬送され、命が助かった時などは開業医としてこの上ない喜びです。
疲れも吹っ飛びます。
「患者さん(地域)の役に立っている」ということが、一番のモチベーションになるのです。
私のクリニックでは、首に超音波を当てて検査すると大きな病気を早期に発見することができる超音波装置を持っています。
頚動脈に重症の狭窄が見つかり大きな脳梗塞を起こす前に血管内治療が出来た患者さんが多くいます。
ちょっとした検査で病気が進行しないうちに発見し治療するのが地域医療の役割だと思っています。
患者さんとの会話(語り)から、好みや職業的背景を理解し、顔の見える「専門医」「大学病院医師」を紹介できる「患者さんをかかえこまない医療」が大切だと考えています。
◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?
ラグビーをやって大学祭もやって、遊んでばかりで浪人もしたし挫折は色々あります。
乗り越えられたのは、ひとえに「両親のお陰」だと思います。
じっと見守ってくれた両親がいてくれたからこそ、今日の自分があるのです。
ひいては「ご先祖様のお陰(家族を含めた)」だと感謝しています。
また、色々な問題や障害に出会っても、自分のフィールドを大事にし、人との縁を大切にして来たことで、その度多くの人に助けられました。
患者さんとの1対1の対話と、そこから生まれる信頼関係を重視してきました。
この視点は、サイエンスとしての医学と人間愛という二者間のギャップを埋めていくものとして考えているからなのです。
「医療と人道」です。
私が家族にも出会う人にも恵まれたことは、ご先祖様のお陰と感謝しています。
◎大問題をみごとに乗り越えた一例である、チリの落盤事故について、精神科医師「香山リカ」氏のエッセイを紹介します。
作業員33人全員が無事、救出されて幕を閉じたチリの落盤事故。
ほとんどが身体的にも心理的にも健康な状態で、医療を受ける必要もなく自宅に戻ったという。「どうしてあんなにタフなのだろう」と驚いた人も少なくないのではないだろうか。そこには「チリ人の国民性が関係している」という説もある。この国の人たちは冷静沈着でまじめなタイプが多く、それが地下での生活にも有利に働いたのでは、というのだ。
だとしたら、日本の人たちも同様の状況には強い、ということか。長引く不況によるストレスからうつ病になる人が続出している現状を見ると、とてもそうとは思えない。
では、どうして鉱山の彼らはあの限界状況に耐えられたのだろう。とくに、地上からは生存が絶望視されていた17日間、食糧なども乏しかった時期に、うつ状態やパニックにも陥らずに一致団結してすごせたのは驚異的だ。そこにはやはり、“ラテン系”といわれる前向きで明るい気質、そして信仰の力が強く関係していたのではないだろうか。
その前向きな気質や信仰が与えてくれたもの、それは「必ず助かる」という希望だ。「助からないはずなんて、あるわけないじゃないか!なんとかなるに決まっている」という信念と言ってもよい。そして、それ以上、あまり思いつめることもなく、ときには笑顔で“そのとき”をゆっくりと待つ。
最近、日本でもとくにビジネスの世界で、前向きな考え方が「ポジティブシンキング」などと言われて重要視されている。しかし、それは「ゆっくり待つ」とか「楽観的に信じる」とかいうことではなく、努力、競争するための動機づけのようなもの。その先にあるのは、「なんとかなる」ではなくて、「必ず大成功する」というゴールだ。
しかし、大成功を目指し努力し続けるための前向き思考は、疲れてくると次第に効力が薄れてくる。「絶対に1位になるという夢をかなえるぞ!」と力を入れすぎ、いつのまにか心身がすり減って、うつ病などに倒れることにもなりかねない。
チリの作業員たちはたしかにポジティブだが、それは人を蹴落とし、自分だけが勝ち残ることを目標にはしていない。「だいじょうぶ、きっとみんな助かるよ」というある意味で根拠のない楽観主義のようなもの。ただ、今回はそれこそが彼らを守り続ける原動力となったのだ。
「なんとかなるさ」という肩に力の入りすぎない前向き思考が、結局は人を救う。ここから私たちも学ぶべきことがあるだろう。
以上、香山リカ先生のエッセイより
◆夢は?
自分のフィールドを守って、長く地域に根ざした医療を続けていきたい!
また、開業医として以下のことを提言し実践しています。
“生涯市井の開業医“これを継続します。
Accessibility:
身近で、いつでも相談に乗ってくれる。
Comprebensiveness:
なんでも診て窓口となってくれる(しかし抱え込まないで迅速に顔の見える専門医紹介)。
Coordination:
周囲の住民、薬局、デイケア、大学病院等とのコミュニケーションがいい。
Continuity:
ずっと地域に根付いて診療を続けている。可能であれば私の息子の代までも。
Contextual care:
患者さんの家族背景、職業、好み、考え方等を尊重して一人ひとりにあった治療方法を納得と確認の基に選択してくれる)。
※まとめ
成功に秘訣などありません。
絶え間ない努力と、ほどよい楽天性、家族と御先祖様に感謝だけです。
やたがいクリニック
http://www.yatagai.net/index.htm
東京ドクターズ ラグビーフットボールクラブ
http://www.tdrfc.net/
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