天命で医療道を生く「患者さんの心に寄り添う」王


 

健康増進クリニック
院長
東京女子医科大学非常勤講師
医学博士
米国公衆衛生学博士
水上治 先生

2014.1.7 1700


水上治

講演会のテーマ
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・自分が受けたいがん医療
・ここまでできるがん先端医療
・自己治癒力の神秘
・究極のアンチエイジング、等


 

 

◆業種

 

内科開業医

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

小学校の教師

 

母方の祖父が田舎の小学校の校長をしていて、休みになるとよく訪問した。

 

全校生徒合わせて100人足らずの学校で、祖父は、生徒はもちろん、部下の先生方からも慕われていたし、祖父もとてもみんなを可愛がっていた。

 

独身の若い先生達は、毎日のように自宅に食事をしに来ていた程だ。

 

祖父の姿を観て、「おじいちゃんのようになりたい!」と思うようになった。

 

そんな祖父を尊敬していたし、とても楽しそうで、人からも喜ばれる人生って良いなと思った。

 

子供の頃から無類の読書好きで、部屋の隅でいつも本を読んでいた。

 

父の計らいで、近くの本屋で買いたい本を付けで買うことが出来たのは、恵まれていた。

 

このころ読んだたくさんの本は、私の考え方に大きな影響を与えたと思う。

 

今も毎日1冊くらい読んでいる。

 

いつの頃からか、誰に言われる訳でもなく、人の役に立てる人間になろうと思っていた。

 

悩み多き思春期には、クラスメートがテレビや女の子の話に夢中になっているのに、「いかに生くべきか?」と自問していた。

 

高校二年の時。

 

倫理社会の授業で、先生自身も悩み多き思春期を送ったことを語ってくれた優しい先生と出会った。

 

「あーこの先生だったら僕の気持をわかってくれるのではないかなぁ」と、男性の先生だったが一方的に憧れた。

 

その先生の影響で哲学青年になり、古今東西の哲学書を読みふけり、高校の図書館にあったプラトン全集を読破した。

 

大学では哲学を専攻しようと思っていたが、高校3年生になって突然、幼馴染の女の子に恋をしてしまった。

 

教科書を開いても彼女の顔が浮かんできて、全く勉強が手に付かない。

 

このままではどこの大学にも受からないと思い、思い切って告白しようと決意した。

 

「第一志望の大学に合格したら付き合って下さい!」

 

答えはOKだったが、まるまる一年間も勉強していなかったことがたたり、第一志望の大学には合格できなかった。

 

その彼女とはそれっきり会話を交わす事はなかった。会うと来年も落ちそうだったから。

 

しかし浪人中も中々彼女のことが吹っ切れない。

 

受験まで後2か月という時期に、ある尊敬する人から、「水上君、君は医学部に行った方がいいんじゃないの?」と言われた。

 

一族郎党医者は1人もいないし、それまで全く考えていなかったことだけに戸惑いもあったが、「そっか!医者になる道もあるかな!?」と思った。

 

社会科の先生を目指して来たけど、人の役に立つ医者になるのもいいかなと思えた。

 

しかし、ずっと文系で来て数3はやってないし、理科もほとんどやってなかった。

 

だが、人生一回しかないのだから医学部に挑戦してみようと思った。

 

久しぶりにスイッチが入り、集中して一日17時間、トイレと風呂以外勉強して教科書を暗記したが、さすがに2年間も勉強が手に着かなかっただけに、自分でも「どうかなぁ」と思って受験に挑んだ。

 

ところが、奇跡的に合格できた。

 

その時運というものを感じた。

 

天というものがあるならば、「人のために役立つ人間になれ」と言われているような気がした。

 

もしかして医者になることが運命なのかな?と思えた。

 

天命と信じて医学部に進学した。

 

天を受け入れることが出来たのは、挫折を味わったからだと思う。

 

元々、真面目で勉強もかなり出来た。

 

頭でっかちで、正直勉強の出来ない人を「何で出来ないの?」と馬鹿にしているところもあった。

 

それまでは、一流大学を出て、周りに尊敬されるというエリートコースを描いていた。

 

しかし、恋に落ちて勉強が手に付かず、第一志望の大学にも合格できなかった自分の無力感というものを嫌という程味わった。

 

理論家から実践家になりなさいと言われているようだった。

 

だから挫折して良かったと思う。

 

あのまま行っていたら、鼻持ちならない、つまらない人間になっていただろう。

 

しかし大学に入って直ぐまた挫折した。

 

それまで文系だっただけに、何でもデジタルで処理するクールなクラスメートを観て、「あー医者は無理かなぁ」と思った。

 

時代も70年安保、学校封鎖等でもめていたこともあり、大学のオーケストラに入り、チェロに夢中になった。

 

複雑難解な医学から、音楽に逃避していた。

 

しかし、臨床が始まって患者さんに接するようになったら、面白くなって来た。

 

やはり私は人間が好きだと感じた。

 

ただし、臨床の授業ではショックなこともあった。

 

本当の末期がん患者を目の前に授業を受けるのだが、昔は本人へのガンの告知はなされていなかったので、その患者さんは自分が末期ガンであることを知らない。

 

末期ガンは、大学病院では治せない。

 

腹水がたまっていたら腹水を抜いて少し楽にするとか、対症療法をするしかないのだ。

 

この目の前の人はもうじき確実に死ぬ。

 

そういう現実に大きなショックを受けた。

 

「医学に幻想は持てない。」とクールに考えるようなった。

 

しかし逆に、何処かに、例えばアメリカやヨーロッパに行けば治す手段があるのではないか?と思った。

 

漢方のような非西洋医療にも興味を持った。

 

だから医局に残って博士論文を書いて、開業するという王道を歩むことを止めた。

 

大学を卒業して、統合医療(西洋医学とそれ以外の医学とのいいとこ取りの医療)のパイオニアである日野厚先生が内科部長を務める東京の病院で5年間修業した。

 

へき地の医療も経験したいと北海道の襟裳町で総合的な医療も経験した。

 

そこでは他に医者はいないから、「僕の専門は○○だから、別の科で診てもらって下さい」という訳にはいかない。

 

外科的処置も得意ではなかったが、しなければならない。

 

又、往診に行けば、おばあちゃんの具合が悪いのはお嫁さんとの関係にあることがわかったりした。

 

人間をまるごとあるがまま診ることがいかに大切かを学んだと思う。

 

人間を細分化しすぎてはいけない。

 

その後、予防医学を習得するためアメリカに留学した。

 

40歳を過ぎていたし、家族連れで、無鉄砲ではと言われた。

 

妻も、外国は大変よ、彼だけ行かせてはと友人達に言われたらしい。

 

苦労して博士号を取った。世界中の留学生と友情を結び、米国人の友達も多数出来た。

 

米国の4年間で、世界的な視野を持つことが出来るようになった気がする。

 

これは今も大きな財産になっている。

 

子供達もまだ小学生で英語が全くわからなかったが、地元の学校に喜んで通ってくれた。

 

子供たちには苦労を掛けたが、二人の息子は医者になり「アメリカに連れてってくれてありがとう」と言ってくれる。

 

今ピアノを教えている娘もアメリカ体験は楽しかったらしい。

 

よくついて来てくれたと、妻にも子供たちにも本当に感謝している。

 

帰国して、予防医学ばかりでなく西洋医学も一流を極めたいと思い、病院に勤務した。

 

それは日野先生の教えにもあることだったからだ。

 

病院には常に危険な状態の患者さんがいる。

 

休日でも、回診したり、深夜に緊急で呼び出されたりして、35年間休みなしで頑張ってきた。

 

しかし、「人の役に立てることが嬉しい。」と思ってやってきたので、苦しいとは思わない。

 

結局はモチベーション、気構えが大事。

 

給料の為だけだったら、続かなかっただろう。

 

無数の人との出会いで、人間理解が深まった。

 

私の物凄い財産になっている。

 

私自身が受けたくなるような医療で、患者さんを苦痛から少しでも解放したい。

 

更に理想の医療を求めて7年前都内に開業した。

 

よくなったとの患者さんからの喜びの声は、とても励みになる。

 

ガンで亡くなった患者さんの家族から「苦痛から解放された」とお礼の電話を頂くこともある。

 

救命できないとしても、医者冥利に尽きる。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

チェロを弾く。チェロの軟らかい深い音色に魅せられている。

 

毎朝4時に起きて30分くらい弾くのだが、瞑想しているかのような状態になる。

 

音楽を聴くのもよいが、自分で楽器を弾くと更に免疫力が上がる気がする。

 

チェロを弾いていると、とてもリラックスしてあくびが出て来る。

 

毎日、真剣勝負で深刻な病気の方と接しているので、リラクセーションを大事にしている。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

日野厚著「自然と生命の医学」

 

大学5年生の時、臨床で大きなショックを受けた頃に出会った本。

 

日野先生は旧制中学生の時腸結核になって命を落としそうになった。いちかばちか、死ぬ前の精神修養を目指し断食道場に行ったところ、何と腸結核が治ってしまった経験をもつ。

 

日野先生本人もびっくりしてしまったそうだ。

 

これは研究する価値があるだろうと、医者になった先生だ。

 

日野先生は統合医療のパイオニアとも言われる先生だが、内科医としても名医だった。

 

4時間睡眠で勉強していた。

 

当時は、東京品川の総合病院で内科部長をしていた。

 

私は大学卒業後、日野先生の下で5年間修業した。

 

早朝から深夜までしごかれた。

 

日野先生からは多くを学んだが、西洋医として一流であるべきこと、西洋医療の隙間を埋めるために補完医療(西洋医療を補完する医療)を使って良いが、インチキはいけない、きちんと科学的に立証するという姿勢を持ち続けることが大切であることを、徹底的に叩き込まれた。

 

これは私の人生の最大の収穫といっていい。

 

後日談だが、日野先生が亡くなられたとき、遺言で、彼の1万冊の本が私に贈られた。

 

弟子の中で一番信頼してくださっていたのかもしれない。

 

本を見て驚いた。

 

殆どの本が私と重複していた。

 

今私は、癌治療には、西洋医療+先進医療+補完医療が完治の近道であることを提唱し実践しているが、何のことはない、日野先生の教えを忠実に守っているだけのことである。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「自分にしてもらいたい事は、人にもしなさい。」キリストの言葉

 

「自分がされたくない事は、人にもしない。」孔子の言葉

 

医療では、この原則が極めて大事。

 

患者さんが、自分だったら、家族だったらと思ってアドバイスする。

 

私のクリニックには「ガン難民」の患者さんが多い。

 

担当医から抗ガン剤治療を勧められたガン患者が、抗ガン剤治療を断ると、多くの担当医から「もううちの病院には来なくていいですよ。」と言われる。

 

病院から見放された患者さんの気持など全く考慮されないのが現状だ。

 

しかし、たいていの医師は、家族や自分がガンになったとき抗ガン剤治療は受けないという。

 

私は、キリストや孔子の言葉通りに治療をしたいといつも考えている。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

健康増進クリニックを開業した時

 

何年も勤務医として働いていた病院を、開業に理想を求めて退職した。

 

退職してきても、妻からは一言の文句もなかった。

 

それどころか「なんとかなるわ!」と言ってくれた。

 

しかし、子供が二人とも大学に通っている時だったので、これから先の経済的な事を悩み、不眠になり、妻と二人共5Kgくらい痩せてしまった。

 

そんなとき、知人が開業資金をポンと提供してくれた。

 

返さなくていいし、見返りもしがらみもない上、医院経営にも口を出さないというのだ。

 

そのお陰で開業することができた。

 

天のお導きとしか思えない。

 

物凄く感謝している。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

まずは大学を落ちたこと。初めての大きな試練だった。

 

ベストを尽くして落ちたのならともかく、勉強が手に着かなかったので、よけい悔しかった。

 

しかし、それを通して謙虚になれたのが人生には大変プラスになっている。まちがいなく人間が大きくなった。

 

2番目は、米国留学中に、英語に慣れないために、落第しそうになったこと。

 

先生達は早口でまくし立て、半分しか聞き取れないので、成績は、当初はかろうじて合格レベルだった。

 

あまりにも辛くて、もう夜逃げしようと考えたこともある。

 

しかし、大学の先生達、クラスメート、友人達、家族が支えてくれた。

 

妻が30人程のアメリカ人にピアノを教えて家計を支えてくれた。

 

だから妻には今でも頭が上がらない。

 

4年間苦労して授業で120単位取り、分厚い博士論文を書き、最後に教授達の口頭試問に合格した。

 

博士号をもらえたときは、本当に嬉しかった。

 

3番目は、長年務めた勤務医を辞めてしまったとき。

 

信念を貫いていると、それをジッと観ていてくれる人、そして、助けてくれる人がいる事を知った。

 

人生色々試練はあったが、真面目に一所懸命生きていれば、何とかなると信じている。

 

どんな試練でも必ず乗り越えられると信じている。

 

その時は、一回りたくましい人間になっている。

 

 

◆夢は?

 

患者さんが選べる医療にする!

 

医師は、患者さんが選べるようにわかりやすい情報を提供しなければならないと思う。

 

日本はまだまだ医師主導型の医療だ。

 

欧米諸国は進んでいて、患者主導型の医療をしている。

 

患者さん自身が納得できる治療でないと、患者さんは目をむいて怒るし、同意書にサインをしない。

 

ドイツやヨーロッパでは質の良いサプリメントを医師が処方するのは当たり前で、たとえばドイツでは、うつの患者に一番使う抗うつ剤は薬草である。医療には多数の選択肢がある。

 

日本の医療体質を改善し、何より患者さんの心に寄り添う医療をしたい!

 

患者に触りもせず、パソコンのデータばかりみているような医師にはなりたくない。

 

顔色を観て、目を見て話したい。

 

私は診察の時、威圧感があるので白衣を着ない。

 

患者さんとドクターは対等の立場にいるのだから。

 

健康増進クリニック

http://www.kenkou-zoushin.com/main.htm



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