心のキメまで美しく!カウンセリングケア女王


シャレコ株式会社

理授愛株式会社

代表取締役

北林利江氏

 

2017.9.16 14:00


北林利江

◆業種

化粧品の製造販売 化粧品のOEM


◆子供のころになりたかったものは?

「1年が長いなあぁ」と思った。

将来になりたいものを想像できなかった。

それでも学校で、何か書かなければいけなかったとき、「10つ子の母になる」と書いた。

かなり負けず嫌いな私は、当時、5つ子ちゃんが世間を騒がせていたので、10つ子くらいにしておこうと思った。

しかし、私の母は長女の私を名門の中学に入れることに一生懸命だった。

物凄い教育ママゴンだった。

幼稚園の頃から、色々な習い事をさせられ、小学5年生になる頃は、1週間は7日しかないのに9つの習い事と家庭教師が2人もつくようになった。

当然、友達と遊ぶ暇はなく、更に優等生でいなければならなかった。

部活だって習い事のため途中で帰される程。

ところが、中学受験日当日、私は高熱を出して試験会場に行かれなかった。

結局私は、地元の公立中学に進んだので、母のお受験熱は妹に向けられるようになった。

当時は母が大嫌いで、憎んでいた。

中学時代、少しぐれてやろうと思ってカバンをつぶしたこともあるが、母に見つかり怒られてやめた。

そのストレスを、道でぶつかった大人の人を睨みつけることで発散していた時代もある。

物凄く神経質な子だった。

もちろん今となれば、母の気持ちもわかる。

父の仕事はとび職で体力勝負のところがあるので、私にはそんな苦労させたくなかったのだろう。

また母の願望を私に投影したのかもしれない。

小学校の部活はソフトテニスで、そのきっかけは図工の先生が木彫りでテニスラケットを2本つくってくれたこと。

木をくりぬいてガットまで張ってくれた。

それで私たちは校庭でテニスのまねごとをして遊んだ。

それを見ていた校長先生が、テニスコートをつくってくれ、多少の道具も用意してくれた。

更に近くの大学のテニス部員が、小学校のテニスコートをかりるお礼にコーチをしてくれた。

そんな経緯でソフトテニス部が誕生し、児童たちも各々マイラケットを持てるようになった。

中学もテニス部に入部し、高校もテニスの強い学校を選んだ。

中学では、上手と褒められ、1年生から打たせてもらえたし、先輩もかわいがってくれた。

大学受験の頃になると、スポーツ推薦の話があった。

ところが、上位3人が関東の大学に推薦を決めたので、4位の私は、枠がなくなってしまった。

母も無念の中学受験から諦めモードで、大学に行かなくてもいいと言いだし、就職しようと学校推薦で2社程面接を受けた。

一次面接はとてもいい感触だったが、二次面接の時、まったく返答ができなくなってしまった。

緊張して声が出なくなってしまったのだ。

結局2社とも不採用になり、あまりに落ち込んでいる姿をみた母が、「大学に行ってもいいよ」と言った。

色々調べると奈良の天理大学がテニスも強いし、推薦があるとわかった。

ところが、申込み期限まで後2日しかない。

知り合いがいたので問い合わせると、推薦が決まっていた2人が関東の大学に行ってしまったので、まだ間に合うという。

人の縁とは繋がっているもので、大学に入ると、高校のテニス部でペアを組んでいた友人の父が、大学のテニス部の監督と昔ペアを組んでいたことがわかった。

テニス部には女子が8人しかいなかったので、1年生から試合に出させてもらえた。

ところが勝ちたい気持ちが強すぎて、試合になると委縮してしまう。

それまで後衛だったが、監督から前衛を薦められ前衛に変わることになった。

前衛になったとたん、日本でトップクラスの1つ学年が上の藤村先輩が手とり、足とり毎日教えてくれ始めた。

私のペアは、インターハイ3位なので、私を鍛えれば全国大会で優勝出来るチームが作れると思ったらしい

「あんたに託す!」と言って、テニスの技術の他に哲学的な成功マインドを叩き込まれた。

先輩は、毎日練習が終わると自分の部屋に私を呼び、自分は宿題をしながら、「今日のあのサーブは何で失敗したと思ってんの?」と詰める。

何か答えても「それは違う」と却下される。

夜の9時から始まって12時まで、ずっと問答が続く。

或る程度した頃から、最後に、「明日は、心から精いっぱいがんばります!」というと解放されることがわかった。

しかし、これを早い段階でいってもダメ、だいたい12時くらいにならないとどちらにしても解放されない。

最初のうちは、「性格が悪い」とまで言われ、一体何なの!?と憤慨し、半年間ぐらいは、先輩に言い返すし、友達にも「もういやだ!」と愚痴をこぼしていた。

同級生の男の子にまで、「人の好き嫌いが多いことはよくないよ」と1時間くらい道端でさとされ、くやしいやら恥ずかしいやらの思いをしたこともある。

その時は、物凄いショックで、自分がそういう人間だと初めて知った。

しかし、メンタルも強くなり、テニスも上達してきたので徐々に受け入れた。

当時から「判断、決断、実行」これを瞬時にやることを叩き込まれた。

相手からボールが来た、何処に返せばいいか考え打ち返す!これを瞬時にする。

お陰様で、今でも身に付いているので直ぐに動ける。

成功マインドと「判断、決断、実行」は、生活の中でも、起業してからも物凄く役立っている。

先輩には感謝しかない。

先輩たちが引退するとき、私にキャプテンを任命した。

そのとき先輩から、黒板に全国大会優秀まであと○○日と毎日書きなさいと言われた。

その言いつけを守って、毎日黒板に書き続けた。

結果、なんと5年連続優勝の強豪を破って私たちペアが全国大会優勝を果たした。

その試合を見ていた大手企業からスカウトが来た。

当時、民営化され株価がうなぎ登りになり、入社したい会社ナンバーワンだった会社だ。

しかし私はスポーツメーカーに就職したいと思っていた。

それなのに、母が「はいはい、うちの娘は御社に入らせますから。」と勝手に約束してしまったので、結局、大手企業に就職することになった。


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

朝起きた時「今日も生きていた、ありがとうございます。」と思う。

ケニアの女性を救う活動をしている友人に連れられ、今年の2月にケニアに同行した。

ケニアの大地の強いエネルギーを受けてか、心臓が激しく鼓動し続けなかなか収まらなくなり、大変な思いをした。

日本に帰って医者にいくと「あと少し同じ状態が続いたら心臓が止まってましたよ。」と言われた。

その日から、朝起きると、「今日も生きていた、ありがとうございます。」と思うようになった。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

人物:大学の藤村先輩


本:
1、ジョセフ・マーフィーの著書全部

出会ったのは、33歳くらいの頃、地方の駅で40分ほど時間を潰さなければならなかった時。

駅には小さな本屋しかなく、一回りすると、一瞬光って見えた本がマーフィーの本だった。

気のせいかと思い、もう一周して戻ってきてもやはり光って見える。

気になったので買って読んだら、「自分が思い通りに生きられる」事がわかった。

それから、マーフィーの本を見つけては全て読んだ。


2、中村天風著「運命を拓く」


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

1、「判断・決断・実行」
大学生の時、藤村先輩に教わったこと。
これで、判断したことは、何が起きても自分が原因。
自業自得説を持っているので、結果が良いも悪いもない。


2、
「人は3秒しか他人のことを考えてくれない。」
「人の口に戸は立てられない」
「人の噂も75日」
社会人になってパワハラ上司に悩んでいた時、藤村先輩に会いに行った。
そこで先輩が行ってくれた言葉。
お陰でスッキリした。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

3つある
1、大学3年の時、藤村先輩に出会ったこと

2、会社を退職したこと

会社では、タウンページの改革プロジェクトを担当していたころが一番楽しかった。

タウンページに写真を入れたり、本編にイラストを入れたり、インデックスを人生のステージに合わせたものに変えたり多くの提案が採用され楽しかった。

しかし、役職に就く前に本社の評価を上げるため、支店やコールセンターを経験しなければならない規則があった。

そこで、故障や移転のコールセンターに配属されたが、昇進のために仕事はとても続けられないと思い、入社10  年で退職願を出した。

「やめてどうすんの!?」と母は大激怒したが、会社をやめたことでやっと母の呪縛から逃れられた気がした。

退職後は、お笑い  の吉本興行に入るか、スキーのインストラクターになりたいと考えた。

スキーのインストラクターに決めたが、6月退職だったので、冬まで何所かでアルバイトしようと考えた。

そこで、アトピーだった私が使っていた化粧品会社に面接に行ったところ、社員で来てくれということになった。

当時、年商35億の会社で、200の代理店があったうち50店舗を任された。

全職の経験から、販促のチラシをつくることになったが、70代の創業者である社長が、チラシをつくるにしても、美容カウンセラーの社内資格がないと出来ないだろうと言いだした

それに合格するには、A4サイズのテキスト24枚丸暗記して1時間のセミナーをしなければならない。

必死で覚え資格を取り、初めてカウンターに立って接客したお客様に「シミがなくなった」と嬉し泣きされた。

聞けば、ご主人が借金をつくり、それがシミの原因でもあったようだが、化粧品で治ったと感謝された。

こんな素敵な仕事があったことに感激した。

3か月くらいすると、本社で課長、係長以下10名がいっぺんにやめるという事件が起きた。

そこで大手企業で組織運営もしてきただろうから、本社の組織運営をやってみてと言われた。

期限も短かったが、突然プランが浮かんで、あわててメモし、それを元に企画書をつくり、立ち上げを成功させた。
 
それからは北海道や名古屋等、店舗立ち上げに携わり、開業に関する全てのことを学べた。

35歳で結婚し、子供が生まれ、産休後復帰したが、子供が熱を出す度に休んでいては仕事にならない。

マーケティングの方法をネットサーフィンしていると、新しい成分のアイディアが浮かび、創業社長に提案した。

しかし、自社には創業以来の成分を変える気はないと断られた。

そこで、自分でつくってみればいいじゃないかと思い付いた。

同時に夫も同じことを考えていて、化粧瓶の卸を自営していた夫が試作品をつくってくれた。

手荒れにすごく良いものが出来て口コミで広がり、起業することになった。


3、起業したこと

多くのお客様とお話していると、肌の状態は精神状態の現われとわかる。

神経質だとアトピーになることを自分でも、お客様のカウンセリングを通してもわかるようになった。

親の過保護でも過干渉でも同じ。

精神的な事が肌に直接影響している事が多いとわかった。


◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

何か困ったことがあると、必ず誰か助けてくれる人が出てくる。

人助けの人生を送っている母と祖父のお陰だと思っている。


◆夢は?

「ご縁のある全ての人を幸せに」

世の中には、虐待されている人、何らかのハラスメントを受けている人、多くの悩みを抱えている人等がたくさんいる。

ハッピー教室をしているが、スキンケアより自分の潜在能力を引き出すワークをしている。

本人が求めている答えを代弁するべく、それを伝えたい。

セミナーや講演を、どんどんして、より多くの人々に話をしたいと思っている。


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