天上天下唯我独尊を謙虚に貫くスポーツ・イベント王



株式会社スポーツワン

代表取締役社長兼CEO

武田 利也氏

2012/8/16 1600


武田利也

 

◆業種

スポーツマーケティング


◆子供のころになりたかったものは?

ルパン三世

カッコイイ!!

IQ300
で運動神経抜群で何でも出来るから憧れた。

(よくよく考えたら泥棒なんだけどね。)


◆毎日欠かさずしていることはありますか?

寝る前に本を1時間程読む。

小説でも政治経済でも、理系の専門書でも何でも読む。

勉強はまったくしない子だったけど、本をよく読んだ。年間300冊くらいは読む。

1時間で1冊程度は読んでしまう。

読み方が少し変わっていて、まず目次を見て興味がある項目を読む。

そこで面白い!と思えば1冊全てを読むが、つまらないと思った本はそれ以上読まない。

購入している本は、年間500冊以上。


◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

いない。

理想の自分がいて、常にそれを目標にしている。

何か事が起きても、自問自答し自分で判断して答えを出す。

だから人に影響されることがない。

不良少年だった訳ではないが、中学の頃から親、先生の言うことも聞かない子だった。

例えば、バイクは危険だ!と言われても、乗って怪我をして危険だということを知る。

やってみたいと思ったことは、多少の危険が伴っても自分で経験してみないと気がすまない。

子供の頃から、自分で判断して選択・決断することを当たり前にやってきた。

だから、社長業に向いていると思うし、プレッシャーを感じたこともない。


◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

「皆と違うことをやろう!」

小学校5年生の美術の時間に、急にふっと思った。

皆が同じものを作っているのが急に気持ち悪く思えた。

何かが違う!何かがおかしいと思った。

違う方が「かっこいい!」と思った。

今思えば、そもそも一律に教えて同じ物差しで評価する日本の学校教育に疑問を感じていたのかも知れない。

それ以来、「皆と違うことをやろう!」がテーマになって今も続いている。


◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

就職活動

大学3年生の時、ロケットが造りたくて就職活動をした。

しかし、ロケットを造る研究者や技術者となると、東大クラスの大学院卒業でないと難しいということがわかった。

それでも何社か受けたが受からない。

この経験が、起業するきっかけになった。

自分で会社を興して、ロケットを造っている会社を買い取ろう!と思った。

まずは自分の会社を創るには、どうしたら良いか考えた。

色々なスキルを身に付けなければならない。

長期、中期、短期と計画を立てた。

ゆくゆくは海外にも進出したかったし、”営業”のない会社はないとおもあったので、

営業を学べるであろう、外資系の商社に就職することにした。

皆と一緒の就職活動ではなく、独自の就職活動を始めた。

外資系の商社は、日本では未上場の会社がほとんどだ。

まずは、未上場四季報を購入して100社程リストアップした。

リストアップした会社にかたっぱしから電話して、「受けさせて下さい」と申し込んだが、実際に受け付けてくれたところはほんの数社。

なんとか、その中の1社に内定をもらった。

営業で内定していたが、入社1週間前に呼び出されて、内定していた部署の業績が悪くなり、営業には行けないと告げられた。

そして、なぜか情報システム部に配属された。

外資系だったこともあり、当時(93年)日本では先進的だったインターネットを使った

メールや情報共有をしたり、ERP(統合型業務ソフトウェア)も導入していたので、最先端のITを勉強できた。

1年後に営業を希望して部署を移り、数社のメーカーを担当して、事業の立ち上げをやった。

出世も順調だった。

しかし、目標は自分の会社を創ること!

3年で辞めるはずだったが、計画より2年過ぎて退職。

その後、K-1の興行を主催する会社に転職した。

当時は、4大ドーム興業、K-1JAPANK-1MAXなど、K-1ブームの波に乗り急成長した。

ここでイベントの企画・運営を学んだ。

それと平行して、趣味でアマチュアフットサルチームのリーグ戦を仲間内で始めた。

仲間同士で試合結果や順位が見られるようにウェブサイトを作って公開した。

すると、当時はフットサルのウェブサイトが少なかったこともあって全国から問い合わせが殺到。

ウインドウズ98が発売された頃のことでインターネットが急速に普及していた。

これも時代の波に乗り、あっという間に登録者数が500チームくらいになった。

集まって来た人たちの中には、アミューズメントやエンターテイメント業界の会社の役員などがいて、

その人たち5人で「面白いエンターテイメントの会社を作ろう」となって会社を創った。

ところが、それぞれ本職を持ちつつ、片手間でやっていたことと、5人も取締役がいて方向性が定まらず

赤字続きとなってしまった。

3年たった頃、会社を清算するか、自分に会社を任せてほしいと他の4人に提案した。

すると皆、折角創ったのだから自分に任せると言ってくれ、皆の持ち株を全て買い取り、新規一転一人で再スタートさせた。

今までの反省を生かして、事業を絞り、得意な”フットサル”に集中してフットサルイベントの事業展開をした。

それが功を奏して翌年から売り上げは毎年2倍3倍と増えていった。

フットサル以外も、サッカー、バスケ、ランニング、ウオーキングなどアマチュアスポーツイベントを次々と展開していった。
2011
年には、全国でアマチュアスポーツイベントが年間7,000程開催されるうちの、3,000を自社で企画・開催するまでになり、
日本No.1のシェアを誇っている。

さらに、現在では事業領域を広げ、スポーツ施設のネット予約、スポーツイベントの決済システム、スポーツ保険、

スポーツ選手のキャスティング、スポーツグッズのネット販売なども手がけている。

そして、今年はついに海外進出が実現!インドネシアでマラソンイベントを開催する運びとなった。

ジャカルタのテレビ局もパートナーとなり、インドネシア1位の航空会社など大手スポンサーも付いたかなり大掛かりなイベントだ。



◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

ある年、新卒で入社した社員8人が全員辞めてしまった。

起業してから唯我独尊!体育会系で仕事を進めていたが、反省して方針を変えた。

やはり人が育たなければ、会社も育たないと悟り、人材教育には物凄く力を入れるようになった。

社員には、とにかくチャレンジさせている。

こちらからも難しい仕事を任せるし、自分から提案した企画もやらせる。

また、早ければ2年くらいで管理職になれる。

社員だけでなく、アルバイトの教育にも力を入れている。

2ヶ月に1度の割合で、接遇や救急救命など研修をアルバイト全員に受けさせている。

ここにはお金と手間をかけていて、ディズニーランドの教育担当をしていた人や、

航空会社のマナー講師にきてもらったり、一流の講師を厳選している。

これは、弊社の役割として、優れた人材を創ることだと思っているからである。

例えば、大学生のアルバイトは卒業したら、就職する訳だが、皆一流の会社に就職している。

アルバイトも正社員も、どんな会社でも通用するような人材育成が目標だ。

たとえ弊社を辞めて他の会社に行っても、活躍すれば社会貢献になると思っている。

また、スポーツ業界は基本的に給料が高くない。

しかし、その状況を変えたいとおもっている。

大卒の初任給は他社が20万円のところ、27万円と高めに設定している。

これは、優秀な人材がスポーツ業界にくれば、より良いサービスを創ることができるとおもうからだ。

その甲斐あって、毎年新卒の倍率は1,000から2,000倍で、みんな物凄く優秀だ。

社長業とは、皆に成長のチャンスを与えることだと思っている。

海外でイベントをするのもそのため。

海外の人と働くと、日本の常識は通用しない。

想像もしなかったことをするとき、人は伸びる。

海外イベントがたとえ赤字になったとしても、それは人材教育費だと思えばいい。


◆夢は?

当面は、アマチュアスポーツイベント世界一!

国内では一位なので、次は世界一を目指している。


株式会社スポーツワン
http://www.sportsone.jp/taikai/

 


ジャカルタマラソン公式サイト
2012
923日(日)
http://www.sportsone.jp/jkt_jp/