春樹降臨!ミラクルなオラクル王


株式会社JMA・アソシエイツ

代表取締役会長

林 武利 氏

2018.10.9


林武利

◆業種

 

オラクルカード企画・輸入販売、セミナー運営、事業自動化コーチ

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

高校の社会や国語の先生

 

小学5年生の頃から思い始めた。

 

幼少の頃は、小児喘息もあり泣き虫のお母さん子。

 

小学生の時は、身長が小さくてずっと一番前だった。

 

我が家の祖父がテキ屋と土建業を営む議員で、人の出入りが激しい中で育った。

 

祖父からは物凄くかわいがられ、戦争時代の武勇伝と「松阪けいりん」をつくった話などをよく聞かされた。

 

戦争中、ナウル島という島の村長に気にいられ捕虜としてオーストラリアに連れていかれるときも、村長から戻って来いと言われたそうだ。

 

もしかしたら、母の兄弟がいるかもしれない!なんてことも言っていた。

 

母は、祖母の経営する、2階が雀荘、1階がバーとスナックという建物の一角で叔母と美容院をしていた。

 

2階の雀荘は祖父の趣味みたいなものだったらしいが、私は幼稚園が終わると一人でバーに行き、カウンターでジュースを飲み、飲み屋街の中を歩いて家に帰るということが日課だった。

 

父は婿養子ではなかったが、祖父の仕事は何もさせてもらえず、造園業になったがうまくいかなかったようだ。

 

父は私が5歳くらい、丁度私の弟が生まれたころから、私に暴力をふるうようになった。

 

酔っぱらうと、祖父のことも母のことも殴るとようになっていった。

 

父のことが嫌いだった。

 

そんな環境から早く抜け出したくて、大学は東京へ。

 

親戚の誰もが学歴を求めていない環境でありながら、学校の先生になりたいという思いは、小学生からそのまま大学まで続き、実際に大学では教職課程も履修した。

 

しかし、いざ教育実習というときキックボクシングの試合でケガをしてしまい実習をすることができなくなってしまった。

 

キックボクシング部自体は全日本チーム戦で4連覇し、私自身も大学職員の先生方に教えるくらいになっていたが、このタイミングでケガをするとは。

 

仕方ないので留年して教育実習を受けようと思った。

 

当時は、工事現場に学生を紹介すると紹介料をたくさんもらえたので学費には事欠くことはなかったので、まあ2年くらいの間に教員免許が取れれば良いかなくらいに思っていた。

 

ところが、キックボクシングを教えていた大学の先生から「林君、就職しないの?」と尋ねられた。

 

先生たちからは部局を超えてファンクラブが出来る程とてもかわいがられていた。

 

実際仲人やらスピーチなどで結婚式ではお世話になった。

 

留年しようと思っている内容を話すと、「いやー林君ダメだよ、きちんと働いて納税しないと」と言われた。

 

そうかと思ったが、もう既に4年生の10月だ。

 

皆4年の4月には内定が決まっている時代に、成績がよく卒業はできてもまともな就職は難しいように思えた。

 

すると、大学の先生が就職先を紹介してくれるという。

 

「大マスコミだよ!林君」

 

角川春樹事務所だった。

 

当時の角川春樹事務所は、角川書店の映画製作部門である。

 

しかも、いきなり社長面接だという。

 

しかし、本当かどうか怪しい話だが、目つきが悪いという理由でNGになった。

 

紹介してくれた先生が「俺の顔をつぶして!」と怒って、結局角川関連会社である食品輸入会社に就職することとなった。

 

その1年後、春樹社長が角川春樹事務所を閉めたので、角川春樹社長の秘書として23歳から26歳までの3年間務めた。

 

その後、1年間書籍の流通販売センターで研修を受けた後、角川書店の営業部に所属、主に雑誌の広告を取り扱った。

 

角川書店の広告宣伝部に配属され5,6年したころ、春樹社長が事件で逮捕され社長交代となった。

 

春樹さんが出所後、新生「角川春樹事務所」を設立。

 

呼ばれて転職したが、3年後に倒産の危機のタイミングで退職した。

 

その後独立して映画関係の広告ブローカーをしていたが、債務超過の有限会社だが社長をやらないか?と今の会社を紹介された。

 

「もらっちゃったら」といわれて内容をあまりよく知らないまま社長に就任してしまったのが始まりだ。

 

債務超過で給料も出ない状態であったが、広告の仕事は今まで通りしていたので生活はなりたった。

 

しかし、債務超過をそのままにしておくわけにはいかないので、改革をした。

 

アメリカのスピリチュアルな有名人を日本に招いてセミナーを開催する会社だったので、会員や先生をたくさん持っていた。

 

年間の一人当たりのLTVは350万円もあったのに、なぜ債務超過なのかというと、セミナーは申し込み時にお金が入金になる。

 

セミナー開催する前に会社に入ってくる受講費を預かり金とせず、社長がネットワークビジネスに運用してしまったので会社にお金がない状態になったと判明した。

 

仕事は順調だったので、うまく回せばかなりの利益がでる。

 

社長を引継ぐ前にセミナー会員へ無料で送っていた会報誌を、ページ数を増やして小冊子にし、セミナーの情報を掲載。

 

更に、無料配布ではあるが、あえて有料として価格を表示したことで、付加価値が生まれ、2,000部発行していたものが20,000部近くになった。

 

また小冊子には広告枠もつくり、有料で広告を掲載するようにした。

 

2年もすると利益が面白いように出始めた。

 

しかし、有名人の先生は結構気難しくて、一つの会社で一人の先生を扱わないと満足しない。

 

株式会社(先生の名前)ジャパンのようにいくつか会社をつくった。

 

10億近い売上が10年くらい続いたとき、落とし穴に気づいた。

 

商品が人であること。

 

同じセミナーを何度もしていると内容にしまりがなくなるし、有名になれば先生がわがままにもなる。

 

最初の頃のような緊張感がなくなるので、それはお客様にも伝わる。

 

これを私は「コンテンツの劣化」と表現している。

 

このままでは衰退する。

 

一人の先生がお土産として買ってきたオラクルカードを「輸入して販売すれば!」と言われたことを思い出した。

 

1年後、販売権を取って書店へ直販を始めた。

 

この出版事業が軌道に乗っていまに至る。

 

その間、色々な事業もした。

 

不動産、霊園開発、宗教法人設立等、失敗したものもあれば成功したものもある。

 

多くの経験を積んだ。

 

「事業自動化コーチ」として、会社に社長がいなくても収益が上がる仕組みを構築する専門家としての仕事もしている。

 

 

◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

2005年から瞑想をしている。

 

朝4時から5時くらいの間で15分から20分程度。

 

15分から20分程度して1分くらいが無になれる。

 

マントラやご真言、祝詞を唱える時もある。

 

アカシックレコードやオーラリーディング等のセミナーを主催して、聞いているうちに自らも瞑想するようになった。

 

 

◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

角川春樹氏

 

学校の先生になるという発想しかない私に、一流の経営者の秘書として刺激と経験をさせてくれた人。

 

毎日のように怒鳴られ、殴られ、怒られたが、面白かった。

 

他の人は春樹さんに会うために何年も待っている人がいるのに、私は毎日会える。

 

当時は贅沢にも「たまには春樹社長が一人で出張にでも行かないかな」と考えていた。

 

朝は、他の人が出社する2時間前に出社して、神棚と仏壇を整え、春樹社長が出社したらすぐにお祈りできる状態にしておく。

 

夜も一番最後に帰った。

 

春樹さんは少し霊的なところがあり、何を言っているのかわからないときがあった。

 

何か忘れたり、しくじると、灰皿等、その他手あたり次第、ものが顔を目がけて飛んでくる。

 

よけようものなら、なおさら怒られる。

 

眼鏡をかけていたので、眼鏡がわれないように、しかもよけていることがわからないようにうまく当たることができるように?なった。

 

他には「あれ」とか「これ」でも何を言っているのか指示がわかるようになった。

 

ある時、後輩の秘書とホテルの部屋にいたとき、隣の部屋にいる春樹社長が葉巻に火をつけ吸っている様子が伺えた。

 

案の定、続いてタンを切る声が聞こえる。

 

その少し前から淹れ始めていたコーヒーが出来上がったタイミングで、春樹社長が隣から、「おいコーヒー」と怒鳴った。

 

後輩は、私の事を超能力者だと思ったそうだ。

 

当時は1杯立てのドリップコーヒーをいつもカバンに入れていた。

 

懐かしい思い出である。

 

 

◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「自分がやられて嫌なことは人にしてはいけない」

 

経験から得た言葉。

 

今の私の基本行動になっている。

 

 

◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

転機だらけの人生のように思う。

 

一つあげるとすれば、角川書店を辞め、新生「角川春樹事務所」に転籍したときだ。

 

社長交代となった後、1年くらいは角川書店の広告宣伝部に残ったが、出所直後の春樹さんから電話がかかってきた。

 

「俺んとこ来い!」

 

今度は出版社として「角川春樹事務所」を設立したという。

 

結局転職することにしたが、転職してもいいことはないとわかっていながらした。

 

いいことないとわかっていてもなぜ転職したかというと「リベンジ」をしようと思ったから。

 

春樹社長の秘書をしていたころは、まるで王様と奴隷の関係だった。

 

そんな10年前の関係性を、今度は呼ばれていくのだから解消しようと決意した。

 

「絶対やられないぞ!」

 

春樹社長の提案にはことごとく反対し「拘置所に入っている間に世の中変わったんですよ」と言ったこともある。

 

春樹社長は「でてけー!」と怒鳴るので、荷物をまとめて出ていこうとすると、「そういうことじゃない表に出てろ!」と言うことだと廊下に立たされたこともある。

 

会社にいるのが嫌で、タイムカードを押して直ぐに出かけ、取引先のところに向かう。

 

当時の私はやさぐれていたと思う。

 

しかし新生「角川春樹事務所」は設立3年程で倒産の危機を迎えた。

 

春樹社長は「リストラ会議」としてスケジュールに発表した。

 

あまりにもストレート過ぎる。

 

会議では、部署ごとにリストラする人数を何名と言い渡された。

 

会議の席上で私が「上から5人が辞めればいいんですよ」と発言すると、春樹社長は「その上から5人に俺は入っているのか!」と怒鳴る。

 

「いやいや会社名が『角川春樹事務所』ですから社長が辞めたら困ります」と。

私がいる分人件費がかさむと察して辞表を出した。

 

すると春樹社長は「林が辞めるとは思わなかった。」と言った。

 

何を言っても怒鳴り口調で答えが返ってきていただけに、この言葉は意外だった。

 

10月27日が先代角川源義の忌日。

 

当時の仲間が集まって角川時代を懐かしむ。

 

いつか春樹さんの本を書きたいと思っている。

 

 

◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

1、良かれと思ってしたことが裏目に出たこと。

 

セミナーの有名講師ごとに会社を設立し横展開したが、一人の有名講師にその会社を事実上、乗っ取られる形となった。

 

社員は有名講師の信者のような人ばかりだったので、1対多数の状況になり、会社をつくった私が追い出される形となった。

 

自分のことを責めたし、見返してやろうとも考えたがターゲットがあまりにも小さいと気づき、別の目標を持つことにした。

 

 

2、会社の利益がまだそれほど上がらない頃、会社の売上金を社員に持ち逃げされたこともある。

 

確か、半分ほど返してもらえ、持ち逃げした社員を紹介した人が悪がって、それ相当の対応をしてくれたので助かった。

 

 

◆夢は?

 

1、 全ての人が「心健やか」に「よりよい人生」を送る「幸せな未来」に貢献します。

 

これは我が社の目的である。

 

手段・方法は、オラクルカードを使って!

 

オラクルカードを日本の文化にすることで。

 

 

2、神話研究の塾を運営すること

 

株式会社 JMA・アソシエイツ

http://www.jma-inc.jp/

http://hayashitaketoshi.com/